

DAYS
STAY SALTY ...... means column
Coffee +
コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
Tatsuro Rokudo Column
For Enjoying Toyama Life !
from Toyama / Japan

六渡達郎
太陽珈琲焙煎本舗
大学在学中より演劇の制作に携わり、一方では雑誌や広告の写真撮影を生業にすると共に、数々の舞台に関わる写真を撮影。
1999年写真展『小笠原生活様式』銀座コダックフォトサロン、2000年写真集『小笠原ターザン』を出版。
その後、2005年生活拠点を北京に移し、2007年「Caffè il Sole Beijing」開業。
中国人も驚く「神奇的杏仁豆腐」で巷では有名なお店となる。
北京在住の日本人中国人有志と共に2010年北京で自分の夢を追い求め奮闘する若者を描いた日本語喜劇『咖啡店的太太〜Catch the Beijing Dream』を企画演出し好評を博す。翌2011年再演。
その後も舞台演出、アフレコ、中国TVドラマ出演なども。2013年「Caffè il Sole Beijing」閉店。
日本スペシャルティコーヒー協会SCAJコーヒーマイスターの資格を取得。
2014年10月富山へ。2015年12月、コーヒー豆の焙煎加工を行う「太陽珈琲焙煎本舗」を開業。
2019年 タニノクロウ演出作品『ダークマスター2019TOYAMA』出演(主演ダークマスター役)富山オーバードホール

























4.12.2025
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
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SPACE

久しぶりに羊肉を大量に仕入れ、羊肉串儿(ヤンロウ チュワル)を焼いて食べる集まる会をやろうと思いついてしまった。相変わらず富山市内のスーパーマーケットに於いて、羊肉はほんの少ししか売られていない。もしくは店頭に並んでいないことが多い。
日本国内で普通に羊肉が売られているとするならば、知る限りでは北海道のスーパーくらいだろう。
富山市の繁華街、かつて栄えていたアーケードは御多分に漏れずシャッター街となっている。40年前くらいは、買い物と言えば 中央通り と 総曲輪(そうがわ)通り に繰り出すものだった。その中央通り には デパート・タイヨー、長崎屋 が有り、アドバルーンが上げられ、週末の集客を目指し富山市上空にはセスナ機で「デパート・タイヨーへ行こう!」と宣伝アナウンスをやっていた。
夏には、通りを行き交うお客さん達の為に、通り内に 氷柱 をいくつも配置して涼をサービスしてくれていた。また、夕方から 夜店 が並び金魚掬いや風船ヨーヨー釣りをやって遊んだ記憶がある。いわゆる神社の祭りに出るテキ屋さんとも違う出店だったような気がする。大学進学の為に1984年には富山市を離れて生活することになったのだけれど、高校生の頃はこの中央通りの映画館に通ったものだ。
北京生活を経て富山市に戻って来たのが2014年。一時的な帰省はしていたものの、富山はすっかりクルマ社会が進み、かつての繁華街は廃れしまい、買い物をするとなると広い駐車場を備えた郊外型のショッピングモールが主流になっていた。更に言うなら、iPhoneの発達と共に世の中の買い物はネット通販への移行が始まってしまっていたのかもしれない。
縁あって、そんな中央通りに面する大きなビルのオーナーを紹介してもらうことになった。
ビルは50年ほど経っており、何度かの改修や増築がされてはいるものの、今は全てのテナントが出てしまって、空きビルになっている。テナントが居なくても、固定資産税が発生してしまうそうで、数百万円にも上るらしい。またテナントが居なくとも、中のエレベーターやエアコンを稼働させるべく電気代を始めランニングコストが掛かってしまうらしい。取り壊すにしても解体費用が何千万円も必要になって来るだろう。広い面積の大きな物件として、どこか大手企業に一棟貸し出来るのが理想と言ったところだろう。だが、ココはシャッター街と化した中央通り。不景気が極まってる日本、その日本海側の富山でコロナ禍明けのタイミングで、素人目から見ても芳しい展開は難しいと思わざるを得ない。
太陽珈琲としても一昨年の年末年始に店舗の引っ越しをして、運悪く(?) 消防法の対応の防火対策の内装工事が捗らず、荷物を引っ越しさせてからマトモな営業をしないまま一年余り経ってしまった。
プロパンガスの8kg釜焙煎機は、ずっと止めたまま。ガス管にも繋がず煙突の設置も中断したまま、通常の常連さん達に卸している珈琲豆達は IHによる1kg釜の焙煎機を使ってだましだまし営業しているような状態。ワンオペで焙煎をしながらカフェ営業は無理なので、消防署には焙煎の作業場としての使用と説明をして昨年末に無理矢理一段落させた感じだ。
移転先の「小泉町」を有効に使ったのは、昨年11月の『Naanの本懐』の稽古場として使えただけに過ぎず、本来の目的であるはずの珈琲焙煎の作業は決して100%の力を発揮出来ていない。
初めて富山で『Naanの本懐』を上演してみて、駅前にある富山県民小劇場オルビスはもう二度と使いたくないと思った。先ず、演出として “ 本番中に舞台奥で珈琲焙煎機を稼働させること “が出来なかった。当然、予めの打ち合わせ段階から確認はしていたのだが。そして、更に、劇場と名乗るスペースであるにも関わらず、” 照明効果を活かす為のスモークマシンの使用 “も叶わなかった。どちらも劇場の消防法に関わることではあるのだが、商業施設の中に有るスペースである為に劇場側に保守的な判断を下されてしまったと思っている。
そんな事もあって、次なる芝居の上演会場は富山市内に限らず、100人くらいのキャパを収容出来る劇場を持つ文化ホールのような建物で、脇に喫茶スペースを所持しているところが良いのではないかと思いつき、実際富山県内にはそうしたホールが有りながら脇に喫茶スペースも持っていて、尚且つ物件として “空いている” ところが有ったりするのだ。今年になって、緩々とそうしたスペースにアプローチをしようと思っていた矢先のことだった。
今の中央通り はシャッター街ではあるが、栄えていた思い出があり少なからず再び人が集まる場所に戻ってくれたらという願望が有ったりもする。
とはいえ、昨年引っ越してからマトモな営業も出来ないまま一年過ごしてしまい、また新たな場所へ移転する経済的体力が無い。でも、この中央通りの空きスペースに自前の照明機材や音響機材を持ち込んで、どのくらい集客出来るものなのか。果たして、スペースのポテンシャル、コンテンツのポテンシャルは有るのか!?
友人知人を総動員して、富山に呼んで、音楽ライブ、ダンス、落語、芝居、絵画や写真の展示、、、、。
空きビルの殺風景なところは、どこかニューヨークのSOHOやChelseaを連想させてくれなくもない。もしくは北京の現代美術が栄えた “798” が思い浮かぶ。
コロナ禍明けの今年。富山で最も大きな山王祭り、5/31(土)、6/1(日)、6/2(月)。
空きビルの一階入り口辺りで、羊肉串儿を焼いてみようと思う。
2.8.2025
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
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RED MAN

「Naanの本懐〜the Success in TOYAMA」富山県民小劇場オルビス (c)2024 TATSUO ROKUDO
なんとか、演(や)りきることが出来た~。
富山に戻って来て10年目。コーヒー焙煎屋の方は、ムラのある富山の消防法の所為で停滞が続いているが、今まで演劇界に関わってinputしてきたことを自分に出来る限りoutput出来ないものかという思いから、富山県観光塾セミナーがキッカケとなって動き始めた。自分自身の発案がキッカケとなって一年以上も前から動き出した計画だ。セミナー関係者からは「えっ、ソレって儲かんの!?」と今までの演劇活動自体を否定しかねないような言葉をぶつけられ、反発心から始めたこと。そして、芝居を一本作り上げるまでには自分以外に何人もの関わる者たちを賛成者反対者に関わらず巻き込んでいく。いや、多くの人の協力が得られないと成立させ難い困難なものだったりする。
そんな苦労をして作り上げた今回の芝居『Naanの本懐~the Success in TOYAMA』は、主催者の冷静な判断として、今回は大失敗に終わった。
稽古不足と言えば説明は簡単なのだが。半年以上もの時間を掛けて来た。出演者五人のスケジュールを合わせるのが最も苦労したところ。それば13年前北京で公演したときも同様で、今回に於いては覚悟のうえでのことだった。生活リズムがそれぞれ異なる出演者達が一堂に会して5人揃ってやるべき稽古が時間が取れず出来ない。台詞が入りきらない。結果、もう一歩、最後の詰めが今ひとつ甘いのだ。
役者の仕事は他人が書いた台詞をさも自分が発した言葉のように言い放つこと。稽古を始めた段階で、富山弁の方言をたくさん取り入れようという意図の下、役者本人の言い易いように台詞を書き換えていたのが仇となったか、出演者達の間ではニュアンスが変わらず伝わりさえすれば台詞は台本通りで無くても良い。一字一句キッチリしていなくても良いといった緩い雰囲気が出来上がってしまっていた。演出する側からしても、役者にある程度の自由度を与えることによって本人自身のキャラクターが出しやすいのではないかといった考えもあった。演出家によっては、この台詞と台詞の間には3秒くらい空けてとか、10秒後に次の台詞を言い始めてとか、キッチリした要求をする人も多かったりするが、今回は今回の富山の出演者達で作り上げる空気感に委ねようと思っていたために、あまりガチガチに演出意図で縛るのは避けようと思っていたのだ。
だが、台本上で決められた台詞がうろ覚えだったりすると、コンマ何秒かの無駄な間が生じてしまう、会話のテンポにキレが無い。
そして、富山で初の演出作品、初お披露目。一般の観客にとっては、実績が無い者の作品を安くはない入場料を払って観るのは大きな賭に等しいものだった。7ステージで1000人の動員を予定していたのだが、毎回50人前後の来場者しかおらず、全ステージで400人にも満たない数に終わった。
スグにまた別の劇場で再演を企画し、今回の作品の不十分な点を改善し2025年にリベンジとして公演したいと動いてもみたのだが、今の企画に適したハコ(劇場)のスケジュールが埋まっていて、適した会場が見つかりそうにない。同じ出演者5人をまた同じタイミングで集めるのもカナリ難しい。同じ出演者達と再演するにしても、次の公演まで時間を空けてしまうと、また再び稽古時間が必要になったりもして。それならば、刷新して一から別の新作に取り組むべきなのではという考えも浮かんで来たりもする。
2025年を迎えるお正月、今年も太陽珈琲焙煎本舗は越中稲荷神社でのテント出店はしなかった。
とはいえ、新年の挨拶をしに初詣に出掛けたところで気が付いた。今年は巳年で年男。昨年12月で59歳になったばかりなのだが、今年は還暦を迎える。レッドマンになる年だ。
毎年一本ずつ芝居を作っていったとしても、もう20本も作り続けるることが出来ないかもしれない。この先、どのくらい悔いない output を出すことが出来るのか!? 思いがけずヒヤッとした。