DAYS
STAY SALTY ...... means column
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コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
Tatsuro Rokudo Column
For Enjoying Toyama Life !
from Toyama / Japan
六渡達郎
太陽珈琲焙煎本舗
大学在学中より演劇の制作に携わり、一方では雑誌や広告の写真撮影を生業にすると共に、数々の舞台に関わる写真を撮影。
1999年写真展『小笠原生活様式』銀座コダックフォトサロン、2000年写真集『小笠原ターザン』を出版。
その後、2005年生活拠点を北京に移し、2007年「Caffè il Sole Beijing」開業。
中国人も驚く「神奇的杏仁豆腐」で巷では有名なお店となる。
北京在住の日本人中国人有志と共に2010年北京で自分の夢を追い求め奮闘する若者を描いた日本語喜劇『咖啡店的太太〜Catch the Beijing Dream』を企画演出し好評を博す。翌2011年再演。
その後も舞台演出、アフレコ、中国TVドラマ出演なども。2013年「Caffè il Sole Beijing」閉店。
日本スペシャルティコーヒー協会SCAJコーヒーマイスターの資格を取得。
2014年10月富山へ。2015年12月、コーヒー豆の焙煎加工を行う「太陽珈琲焙煎本舗」を開業。
2019年 タニノクロウ演出作品『ダークマスター2019TOYAMA』出演(主演ダークマスター役)富山オーバードホール
9.10.2024
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
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RELOADED
2024年11月22日から27日、富山県民小劇場オルビスにて、『Naanの本懐 ーthe Success in TOYAMA』の公演を行うことを決めた。
原作は,大阪の劇団南河内万歳一座の主宰内藤裕敬氏の「青木さん家の奥さん」。
この「青木さん家の奥さん」は1990年に即興芝居として作られたもの。
ストーリーの主要な部分は決められてはいるものの、ほとんどの部分はアドリブで展開される。
何度も何度も再演される中、ある時期の東京公演が行われた何度かは自分も舞台写真撮影のスタッフとして稽古場や本番の開場で共に過ごしていたこともある。
2009年北京在住の頃、現地に住む日本人と中国人の有志が集まってこの「青木さん家の奥さん」を上演した。
有志が集まったと言っても舞台経験が豊富にある役者ではなく、誘われて日本語の演劇を面白がって付き合ってくれた舞台初心者だった。
実際見てきた長けた経験者のようにアドリブで90分以上もの上演時間を展開出来るはずはないと判断して、原作を元にしっかりした台本を作った。
それで良かったのは、劇中のシチュエーションを北京の街に置き換え、演じる者や観劇するお客さんが身近に感じられる情報を織り込む事が出来た。
更に、ほぼ素人と言っていい役者に合わせて都合の良いように台詞を作り替え、極力身近でリアルな台詞に修正して生きた言葉にすることが出来た。
それらが功を奏したのかどうか判らないが、2011年に北京の別の劇場で再演を果たすことも出来た。
驚く事に「人民中国ネット版」「CRI online」が10年以上経った今でも当時の記事を残してくれているようだ。
以前から富山に於いても演劇のワークショップやイベントを繰り返し開催してきた。
そんな中でコロナ禍に陥り、演劇に関わるイベントが不要不急を指摘され自粛を余儀なくされてしまった。
そうしたどこへぶつけて良いのやら判らない怒りの腹いせ、もしくは復讐といったものがモチベーションの発端になっているような気がしないでもない。
更に、昨年令和5年富山県主催の「とやま観光塾・魅力アップコース」セミナーに参加してみて、富山の観光をどのように盛り上げるかといったプレゼンを考える中で「富山に於けるシアターツーリズム」という構想を提案していた。
「寿司と言えば富山県」というブランディングの推進を考えたりするように、富山のイメージをアップして他府県や海外からの観光客にどのように足を運んでもらうか、どのようにリピートしてもらえるかを考えるものだった。
イベントと言えば、都会からメディアで既に活躍されている有名芸能人を招いて集客を図るものがほとんど。
だが、そうした場合都会に地域のお金が流れてしまうだけで、一過性の盛り上がったイベントに過ぎないのだ。
ネットが発達しテレビのようなメディアの陰りを感じる現代に於いては、地方でこそ都会に無いものをアピールし発信する価値があるに違いない。
先ずは、富山在住の舞台俳優を集め、演劇公演を小規模な人数が関わるだけのものではなく、あくまで富山発信型で、しっかりまとまった動員を図って、多くの関係者が第一に楽しめる企画でなければいけない。
県外からの来場者が芝居を観た観劇後、一度は寿司を食べて帰ってもらわなければならない。
アルコール摂取に問題が無い人なら、富山の美味しい水で作られた日本酒も飲んで行ってもらわなければいけない。
そうすると、クルマを運転して帰ることも出来ないので、最寄りのホテルなど宿泊施設に泊まっていただかなくてはならない。
せめて一泊はして、翌日にまた別の観光巡りをしてもらいながらお土産を買ってもらいつつ楽しんでもらわなければいけない。
…………などとセミナー受講期間中に考え、県知事の前でプレゼンをすべくパワーポイントを駆使したりもしていたのだ。結局のところ、知事の前でプレゼンをしようがセミナー参加者の中から最優秀賞を獲得しようが、根本的な「集客」が出来ないと何もならない。
何の成果もえられなかったと判断せざるを得ないのだ。
それに気が付いたときに、机上の空論にかまけていないで、実践有るのみと自分が経験して来たことを再びカタチにしてみたいと思った。
7.1.2024
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
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A MUJINA
2022年の1月18日だったと思う。丸の内の店舗で事務作業をしてて脳梗塞になったのは。
リハビリも含め一ヶ月くらい入院することにり、それ以来高血圧という理由で何種類かの降圧剤を飲み続けることになった。
医者に見立ててもらうまでも無く元々母方の遺伝的な高血圧で、2005年1月に北京に移住して引っ越し直後に高熱を発して倒れた時に血圧を測ってもらい、その北京の外国人対応のクリニックで「血圧が高い!」と言われ、その頃から少しだけ意識するようになり、高血圧の自覚はあった。
でも特に身体のどこかに痛みがある訳でもないので、身体を顧みることもなく、塩分を控えるとか食事に気をつけることなど全く配慮するようなことは無かった。
その10年以上も何も配慮しない生活を続けていたところに、脳梗塞がキッカケとなり降圧剤を施し、普段は170 越えの血圧を強制的に血圧を140 くらいまで下げてしまうと、逆に低血圧の女子のように具合が悪くなってしまう。
体育館でバタッと倒れないまでも、薬を飲んでいる所為で午前中はグッタリしてしまって動けなくなってることが多かった。
この二年間は、血をサラサラにする効果を期待するあまり、午前中を犠牲にしても致し方が無いという判断をくだされていた。
月イチの通院の際、朝食後に飲む薬の量や種類について散々不具合を訴え続けて来たのだが、一時は薬の量を減らしてみたり飲む時間帯を変更したりしてくれてはいたが、結局血圧の数値に良い風に反映されないため薬の量を増やされてしまう。
薬のために調子が悪くなっている患者の言い分など大して聞き入れてもらえなかったように思う。
薬を毎日忘れずに飲み続けてさえいれば表面的な数値が良かったりするだけで、体調は脱力してグッタリしてしまい、生活に支障が来しているのだ。
これがイレギュラーなイベントが続いたりして生活のリズムが狂い、薬を飲み忘れてしまったりすると、血圧の数値はしっかり確実に世間で言われる高い数値に戻ってしまう。
それ見たことか!? とまた薬を処方されてしまう。
もっと根本的に、しっかり体質改善をするような対策を講じなければ、病気が治ったということにはならないのだ。
そこへ、この2024年4月、高血圧の基準値が変更されることになった。
( いったい誰がどんな意図をもって基準値を変更するのだろう?)
収縮期 上160 拡張期 下100となったのだ。
続いて調べてみると、1960年代は「 年齢+90 」。
1987年は「100~180」。
2000年には「90~140」。
2019年には「80~130」と変遷している。
かつて130で高血圧と見なされていた人は降圧剤を処方され午前中グッタリして過ごしていたのが、今年4月からは問題がクリアされてしまったことになる。
そこには月イチで通院し薬を処方され5000~6000円掛かっていた薬代が浮くことになる。
この血圧の上の数値を繰り上げを製薬会社がよく了承したもんだな~。
製薬会社のサブスクが減少してしまうではないか!?
世の中の高血圧基準値がそのように変わったことを、シレッとして通院している患者に伝えない医者も同じ穴のムジナだということだ。
もう病院に通院するのは止める!
コロナワクチン接種についても不信感満載だった。
世の中の雰囲気に流されるものか。
本気でウイルス感染を防ぐつもりがあるのなら、マスクは息苦しくても「PN95」のマスクを付けなければいけないだろう。
ましてや政府支給のアホノマスクは120%役立たずだった。
政治家の身内もしくは関係者が経営する会社が独占的に儲かる仕組みに他ならない。
自己責任の日本に住み続ける限りは、根本的な血液の体質改善を目指すべく、先ず富山市の老舗城石薬局へ行き「松寿仙」という名の松葉エキスを手に入れた。
ヒトの新陳代謝は、一定の周期で繰り返される。
スキンケアでよく言われる「お肌の細胞は28日で入れ替わる」という。
ほかにも、胃腸の細胞はや約5日、筋肉や肝臓は約2カ月、骨の細胞は約3ヶ月の周期で入れ替わるとされている。
多めに見積もって4ヶ月で身体の細胞が入れ替わっているはず。
この2年余り飲み続けた西洋系の降圧剤では改善されなかったため、和漢薬「松寿仙」をメインに取り入れ、同様の主な成分を含むクマザサ茶、赤松茶、高麗人参茶などの効能を期待して、先ずは飲む習慣を身につけようと思う。
飲んでしばらく時間をおいた後、血圧を測ってみると、嬉しいことに多少の効果が反映されているような数値を表してくれている。
強制的に血圧を下げてしまったような脱力感も無い。
少なくとも病院に通っていた頃よりは良くなるような気がする。
4.15.2024
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INPUT
丸の内2丁目からの引っ越しで荷物の移動はなんとか完了させられた。
次なる課題の、新住所での消防署へ防火対象物使用開始届を提出するまでの内装工事を含めた防火対策がより大きな壁として立ちはだかっている。
想定外の出費となるため、引っ越しの荷物移動と同時進行で内装工事を施工してもらう訳にはいかなかった。
今回の内装工事の監督は、能登地震被害の復興の影響で職人さん達が忙しくなるに違いないと言いながら、施工費用の見積もりも出さずに工事を始めたがる様子がやや垣間見られた。
かつて、今の自宅となっている祖父が住んでいた古い木造家屋を修繕する際も、その時の施工業者は見積もりも出さずに成り行きで工事を進め、あそこもここも問題があるとして次々と改修を進め最終的には雪だるまと化した施工費用を請求されるという、こちらが依頼主にも関わらず業者側の言いなりにならなければいけない立場に置かれてしまったことがあった。
前回2014年から取り掛かった丸の内店舗の内装工事の時も、別の業者だったのだが、大した見積もりも出してくれないまま施工期間やしっかりした契約書のようなものも無いまま成り行きで工事が展開され、最終的に予想を超えた金額の請求書を受け取ることになった。
北京在住の頃、内装工事は部屋の中の、水道の蛇口から電灯のスイッチに至るまで、すべての新しくする部分の器具のカタログや名称、値段をリストにして何を使うか伝えてもらい、了承を得た上で更に見積もりをもらって、施行期限を決めて実行してもらっていた。
どうも富山での内装工事は、土地柄というものがあるのか、北京の時のようなキチッと明確化された展開にはならなさそうな雰囲気だ。
こちら依頼主側がガタガタ面倒臭い要求をする分、それだけ工事の取りかかりが遅くなっているような気がしてならない。
結局、この3月中は確定申告があるとか年度末だとかで、ほぼ工事は進まなかった。
内装工事には新しくLPガスや水道の配管工事も含まれているため、ずっとコーヒー焙煎機が稼働出来ていない。
このタイミングで、焙煎機の釜内の温度をパソコンにグラフ化して表示しコーヒー生豆の温度変化を可視化すべく、デジタル温度計やインターフェイスなど細々と買い揃え準備万端でワクワクしているところなのだが。
コロナ禍以降毎日店に出勤する習慣が完全に乱れたからなのか、脳梗塞を患って以降自律神経や血圧が不安定だからなのか、朝起きて朝食を摂って、、、その後が体調不良とも言い難いような自分自身でも説明出来ない、怠け癖のような状態が身に染みてしまって、以前の作業処理能力の30%程度しか出来なくなっているような気がする。
単に「歳を取った」ということなのかもしれないが。
それだけに、意識して新しいことに取り組まないといけないのではないかと思い立ち、店舗が稼働してしまうと出来なくなってしまうと思われる、今のうちにやっておかなければいけないこととして。
富山市からクルマを走らせて約40分。
富山県砺波市の「大門素麺」の作ってる様子を見学させてもらいに行って来た。
知る人ぞ知る富山の有名な素麺なのだが、実際自宅で食べてみてコシがあって美味しいということ以外は長い間富山県民をやっているくせに何も知らなかったのだ。
富山に生まれて富山で育っている者としては、子供の頃から普通に有った美味しいものでしかなかったので、特に気に留めて感心するものでも無かったのだが、富山を離れ日本を離れた生活を経てみて「あの時食べたアレが美味かったな~」と広く世の中を知ったことによって、故郷富山の産物が美味いものだったことを再認識することとなった。
江戸時代末期の嘉永初年(1848年)で、能登国高松(現かほく市高松)から素麺製造の技術が伝えられたと言われている。2m近い細く長い麺を丸まげ状に丸めた形で、和紙で包んだ独特の形状で販売されている。
砺波には「立山酒造」「若鶴酒造」「北陸コカコーラ」など酒や飲料メーカーが有り、水が良い地域とされている。
そうした良質の水を使って小麦を何回もこね、何回もよりをかけながら細く延ばしていくことで、強いコシとなめらかな喉ごしを生み出し、冬の寒さと山から吹き降ろす寒風にさらして乾燥させることで美味しさが極められるようだ。
メーカー工場のようなところで量産されるのではなく、砺波市内の大門地区と呼ばれるエリアで、農閑期とされる10月から3月にかけて冬場の農家の副業として作業されている。
全国には乾麺が普及しているようだが、最近は「半生麺」というカテゴリーの麺も売りに出されており乾麺とはまた異なる食感で楽しませてくれる。
今回はラッキーなことに現地で試食もさせてもらったが、夏を待たずに最寄りのスーパーマーケットで見掛け次第、自宅の常備食として買っておきたいと思っている。
2.10.2024
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
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想定外の展開に
きっと焙煎機の移設が最も大変な作業になるだろう。
そりゃそうだ。
コーヒー豆の焙煎屋の心臓部、メインの最重要の機器なのだから、当然の話である。
本体だけの重さが310kg。男二人で持ち上げて2tトラックに乗せて簡単に移動させられるものではない。
丸の内の店舗に設置した時は、まだ内装工事が終わってない頃の店内には何も物が入ってない状態だった。
表のシャッターやドアは全開。
そこへクレーンが付いたトラックを横付けにし、焙煎機を釣り上げてトラックの荷台から降ろした後、ハンドリフトを使って店内に運び入れていた。
焙煎機が大阪のメーカーだったこともあるが、設置する業者がわざわざ大阪からやって来て、運搬料として35万円くらい掛かったような記憶がある。
コロナ禍明けで店の経営を立て直す思いでする引っ越しに、ふんだんに経費を投じたくはない。
少しでも経費節約するべく、パワーゲート(テールゲートリフター昇降装置)付きトラックをレンタカーして、ヤフオク等で400kg対応のハンドリフトを購入し、屈強な男を二人ばかり連れて来て、、、と思ったのだが。
焙煎機には煙突が付いていて、その煙突の取り外しと防火の対策を施した設置にも手間が掛かってしまう。
400kg対応のハンドリフトならば、その本体自体もそれなりの重量になるに違いないだろし、購入した後所持していても使い道や置き場所に困ってしまう。
そして、100kgを越える運搬となると単純に危険な作業だ。
素人がお金をケチって大怪我してしまう羽目に陥らないとも限らない。
やはり専門業者に依頼しなければいけない案件だ。
そう思い焙煎機メーカーが奨めてくれる設置業者に依頼する方法を選ぶつもりだったが、作業日程の予約など詳細を擦り併せていくと、こちらの引っ越しの日程にどうも上手く合わず。
厨房にある業務用冷凍冷蔵庫も移動させなくてはいけなかったこともあり、厨房機器の移動を得意とする運送業者に任せることになった。
焙煎機からは太めの直径150mmと細めの直径100mmのダクトが付いており、それが室内から壁を突き抜けて屋外で煙突となって焙煎中に出る煙を排出する作りになっている。
煙はコーヒーの匂いがする。
悪臭では無いものの、ベランダで洗濯物を干しているご近所さんにとってコーヒー臭が染み付いた衣服は耐え難いものだろう。
そんな近隣住民に迷惑が掛からないと思われる物件を探していたつもりだった。
まず不動産屋には飲食店の営業が可能かどうかを確かめて、実はコーヒー豆の焙煎屋の営業をするつもりだと言うことを伝え、契約をする前に物件のオーナーにも確認を取ってもらった。
希望する店舗面積が充分満たしてる物件だったとしても、マンションの一階だったりすると、焙煎機の煙突を立てられる条件に合わず、階上に住む住民達の理解を得るのが困難と思われ、その物件は諦めざるを得ない。
2014年に富山に戻って来て店舗物件を探していた頃よりやがて10年を経て、ネットによる情報が整理されており、街中を歩き回って空き物件の看板を探して不動産屋に連絡を取る方法ではなくなっているように感じた。
まずネットで条件に見合う物件を探し出し、担当している不動産屋に問い合わせをする。
コロナ禍を経て営業を取り止める店が街に溢れているような気がしていたが、煙突を立てて近隣に配慮しなければならない条件付きとなると、なかなか思い通りの物件には巡り合えなかった。
丸の内を引き払うタイムリミットは12月31日、年内には退出すると宣言してしまった。
年末ギリギリになると引っ越し業者や内装工事の業者など仕事納めを迎え、通常の感覚では予定が組めなくなる恐れもある。
11月末には新しい物件の契約を済ませるつもりでいたが、結局新しい場所が決まったのは12月上旬のことだった。
引っ越しの荷物を移動させる前、そして不動産の契約を済ませる前、新しい物件に於いても焙煎機を設置し煙突を立てた後になって、周囲に迷惑を掛けることになってはいけないと思い、一応そのエリアの管轄にあたる消防署に確認に行くことにした。
イベント等の野外出店でかつて火気使用届を出したりすることもあったため、最寄りの消防署がどこなのかということも把握していた。
ネット上に公開されていた物件の情報をプリントアウトして、馴染みの消防署へ。
一階に設置されてる受付用の電話を使い、エリア担当なのか担当の部署なのか、身構えることなく先ずは話を聞いてみることにした。
イメージしているのはコーヒー豆の焙煎をする作業場としての利用であって、カフェや喫茶店のような通行人がフラッと店に入って来てコーヒーを飲んで時間潰しをするような店ではない。
それでも、イベント等でカレーや魯肉飯を作って販売することもあるだろう。
それにケーキを焼いたりその他のスイーツを作る可能性も充分ある。
一階受付に降りて来てくれた消防士にそんなイメージをつらつら説明して、20人以下の少数人数相手の飲食店なら各階に消火器を設置する程度で営業出来るでしょうといった大まかなアドバイスをもらいつつ。
今日のところはエリア担当ではないので日を改めて、物件が決まって焙煎機の設置する位置が決定したら、予め電話連絡をしてまた来てくださいとのことで。
やっと引っ越しが出来そうな物件に出会えて安心して早々に不動産契約をすることにした。
ところが、契約した後店舗の内装工事も含めどのように手を加えるか、業者さんを交えて内観を確認し始めたところから、「おや?」と思えるような軽い違和感を覚える事象が出て来た。
先ず焙煎機で使うプロパンガスの配管をどのように引くか。元々建物には都市ガスが通っている条件のはずで、中を通ってるガス管をそのまま利用するつもりだったのだがガス会社のメーターが見つからない。
電気のメーターらしきボックスが建物の脇にはあるが鍵が掛かっていて開けない。
建物の外壁は全面トタンで包まれており建物の外壁の材質が外から見ただけではわからない。
建物の一階に以前の入居者が使っていたと思われる使えなくなった古いエアコンがそのまま残されている。
奥の厨房エリアには、これも古くて既に使われなくなって時間が経っている簡単に動かせないような大きた冷蔵庫がある。
それらを不動産屋に問い合わせてみたが、現状のままの賃貸で新たな入居者がどのように手を加えても良いという条件なので、それらも含めそういう現状ということだった。
下見をした時にエアコンと冷蔵庫の撤去をよく考えて判断するべきだったのだ。
単なる業務用電化製品ではない。
どちらもフロンガスを冷媒に使っているものである。
フロンガスは、炭素とフッ素の化合物で、無毒性、不燃性、化学的安定性といった優れた性質をもっており、それによって空調機器や冷凍庫・冷蔵庫などの冷媒として広く一般的に使用されている。
オゾン層を破壊する物質として法律で大気放出が厳しく禁止され、段階的に製造が縮小・中止されている。
また地球温暖化にも悪影響があるため、順次影響の少ないものへの切替えが進められている物質だ。
要するに、撤去するためには専門業者に処理してもらわなければならず、少なからず撤去料が派生する。
誰がその撤去料を持つのかということだ。
そして、焙煎機の設置位置の再確認するため、再び消防署へ足を運んだ。
本来のエリア担当の確認を得るべく部屋の間取りを示す見取り図と焙煎機の仕様書をコピーして持参した。
だが、飲食店を開業する時は消防法に定められた義務として届出をする必要があり、改めてエリア担当に確認してもらうのはそれら書類の届出をしろということだったのだ。
カフェではない、喫茶店ではないと業態を説明しても、衛生の関係で保健所の方は飲食店の登録をするつもりだと言うと「飲食店」のカテゴリーにされてしまったようだ。
そして、焙煎機の位置は五方向の壁から1mは離して設置しなければいけない。
天井の最も低いところから焙煎機の最も高い部分の間隔を100cm取らなければいけないのだ。
焙煎機というものは、電動で回転する釜の部分が230℃くらいまで上昇することもあるが、最も上部にあるコーヒー生豆を投入する部分や釜から焼き上がった豆を排出し冷却する部分の端っこの部分などは常に室温で熱を帯びるところではない。
また、ちょうどこの頃に富山市街の老舗喫茶店で火事があり全焼したのも、何かしら厳しいことを言われてしまうことに影響を及ぼしているような気がしないでもない。( しかも、1月1日能登半島地震も起こってしまったし。)
改めて正式に必要書類の提出を要求されてしまった。
消防用設備等設置届出書
防火対象物使用開始届出書
図面
・付近見取り図
・敷地配置図
・平面図(1階~3階)
・立面図
・建具表
・LVS計算について
・有窓判定計算について
焙煎機の仕様書
焙煎機の排気温度について
煙突の施工について
この後、幾度となく消防署へ足を運び、担当者が居たり居なかったり時にはエリアで火災が起きて出動していたり、それぞれの届出の説明を請い、書き方を細かく説明してもらい、ついには素人では対応しかねるとも言われ、一級建築士を呼んできて図面を起こしてもらわなければいかず、どんどん話が大きなものに膨張していった。
そして、専門業者が登場するとなると図面を描いてもらうのに一枚10,000円程度で済む訳がない。
ネットのホームページをプロにお願いして作ってもらうにしても、今ページ10,000円では作ってもらえないだろう。
提出するに必要な図面は、ざっと数十枚は必要と思われ。
仕事に取り掛かってもらわないことには全容が見えないだけに、果たして幾ら掛かってしまうのだろうか、もうアタマを抱えるしかない。
なんとか年末年始でサクッと荷物を移動させて、年明け早々に年始の御挨拶と共に「太陽珈琲焙煎本舗リニューアルオープン!」と触れ回るつもりだったのだが、完全に想定外の展開に陥ってしまった。
店舗の引っ越しというのは個人宅の引っ越しとは訳が違うようだ。
昨年末までは、とにかく引っ越しを優先して完了させるべく荷物の移動を重視していたのだが、年が明けて新住所の物件の方での営業を再開するまでに、果たしてどのくらいの出費になるのか想像も出来ない。
一旦歩みを止めて、その間は当然そのまま営業もストップしている訳で、焙煎機は置いただけ、ガスの設置なども果たせてないので全く稼働出来ず、コーヒー豆の販売に至るまではまだまだ程遠いのだが。
先ずは消防署に提出する図面等の書類を作成するための見積もりを出してもらうことにした。
能登地震ため職人さんは忙しくなったらしく、そのうえ年度末も控えているのは判っているのだが。
12.10.2023
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店舗移転 !?
コロナ禍明け(?)と言う訳ではないのだけれど、令和5年5月8日から「5類感染症」に移行されたこともあって、世の中が再び動き出したと如実に感じ取れるようになってきた。
コロナ禍の為に世界は歩みを止められ動きたくても動けない状況だったのだけれども、自分の場合は2020年の1月に脳梗塞で入院してしまったので、ある意味世の中のスピードがスローダウンしてしまうことは好都合にも感じられた。
退院後も降圧剤がどうも身体に合わず、朝食後の薬を飲んでしまうと午前中は動けなくなって仕事にならない状態がしばらく続いた。
その後も通院先の医者に五月蠅く言って、朝夕一日に飲む薬の配分を変えることによって、少しずつ通常の動きを取り戻せるようになったような気がするものの、今度は午前中はゆっくり過ごす悪習慣から離れられなくなっていた。
太陽珈琲焙煎本舗の 丸の内2丁目 に有る店舗をあらためて見直して見ると、隣にあったフィルム映画の上映にこだわりのあった映画関係の会社はコロナ禍早々に廃業され、ウチの上にあった某写真ギャラリーのオーナーが切り盛りされていた写真サークル団体の事務所(きっと、サークルで管理されていた写真暗室があったはず)がオーナーの急逝と共に解散されたのか、間もなく退去された様子で、気が付けば建物の中にはウチだけが残っている状態となっていた。
そうした魅力的に惹かれたご近所さんへの興味がこの 丸の内2丁目 に店舗を構える決定打となっていたはずが、結局のところ交流出来ないままもう再会することも出来ない事態になってしまっていた。
ネット上で店の所在を表し紹介してくれるGoogleも、しきりに営業の状態を尋ねるメッセージを送りつけて来る。
イベント等による屋外のテント出店などには積極的に参加しているものの、実店舗に不特定多数のお客様を迎え入れてコーヒー豆を購入してもらったり試飲してもらったりするような、いわゆるカフェのような営業を止めていたからだろう。
店の外に看板のように掲げていた「太陽珈琲焙煎本舗のロゴ」のタペストリーもボロボロになってしまったので、今年になって降ろしてしまって、新しく掲げ直していないからだろう。
イベントに出店している時に、実店舗を知っているお客さんからも「止められたんですか?」とか「移転されたんですか?」と何度か尋ねられたりもしていた。
そんなこともあって、実店舗をどのように再開したものか考えあぐねていたところだ。
拠点を移すことによって、潮目を変えられるのではないか!?
「そうだ。移転しよう。」と思いつき、店舗の賃貸契約を更新しないことを決定した。
店舗の荷物を全て移動させる引っ越し完了のタイムリミットは、2023年12月31日。
次の引っ越し先を決めないまま移転を決定し、契約を更新しなかったことがどれほど大変で無謀なことであったか、理屈の上では判っていたはずなのだが、やはり実体験しないと学習出来ないのか、舐めていたのか、楽天的なのか、、、。
コーヒー豆の焙煎機が相当な重量があると言うことは知っていた、認識していた、つもりだった。丸の内2丁目、現在の住所に店舗を設ける時、業者さんに関西方面から焙煎機を届けてもらい軽トラックの荷台からハンドリフトを使って地面に降ろし、店舗内の今の場所に設置してもらったところは目の当たりにしていたのだが。
今回あらためて焙煎機の取扱説明書を見直してみると、なんと 310kg と書いてある。
ネットで簡単に購入出来るハンドリフトは100kg前後、もうワンランク上のタイプが必要になって来ると容易に想像出来る。
そして更に、焙煎時には煙が出て煙突が必要なので。
悪臭では無いながらも少なからず排出する煙のやり場を考慮しないといけない。
丸の内2丁目の店舗を決めた時は、きっと運が良かったのだろう。
市電に乗っていて、自宅から歩いても行けなくもない距離のところに、映画と写真の関係の会社が入ってる建物に空き物件があるを見付け、ドアに付いていた不動産屋さんの情報をスマホで撮影して。
物件を探して、賃貸契約をして、内装工事に取り掛かるまで然程の苦労は感じなかった。
先ず「富山市」内の物件だろう。
山の中で自然に囲まれオーガニックのコーヒー豆しか扱わないような店、にするつもりは無い。
イベント出店して飲みに来てくれるお客さんと言葉を交わしコミュニケーションを取るのは嫌ではないのだが、店舗を構えて毎日同じ職場に通い同じ空間に缶詰になって常連のお客さんの応対をする、同じことをする繰り返しが耐えられない。
自分でも不思議でならない。
今後は黙々と焙煎をしてネットを最大限に利用した通販をメインにしたコーヒー豆の焙煎屋を目指したい。
富山に構える店舗ならば、駐車場は必須。
無料の駐車場が無ければ立ち寄りたくもないのが富山のお客さん。
今後通販メインの営業方針に変更するならば、物件に数台分の駐車場有りの縛りからも解放される。
次に、その方針ならば富山市内の商業エリアに店を構える必要もない。
御多分に漏れず地方都市富山はクルマ社会であり、クルマが有るから商品に魅力が有れば何処に店を構えようが客足に影響するものでは無い。
とは言いながらも、焙煎機から煙が出る匂いが出ることを考慮すると住宅街にコーヒー豆の焙煎作業場を設けるのは潔しとしない。
焙煎機の重量が310kgある為、建物の一階であること。
出来ることならコンクリートの土間になってるのが理想的。
今回の物件の第一条件である。
丸の内2丁目の物件を見付けた時のように、普段の行動範囲を些か広げた動きで街を見回してみたもののサッパリ条件に合うような物件に出会えるような事が無く、次なるはネットにある不動産物件情報から富山市内にある空き店舗物件の検索を始めてみることにした。
そうした検索結果から、家賃に見合うもの、店舗面積が叶うもの、そして紹介されている住所に実際に足を運んでみて、なんとなく良さそうに感じたところの不動産屋さんに電話をしてみる。
電話の向こうの担当者となる人物がどう動いてくれるか、互いの言動のひとつひとつが良い物件に巡り会うキッカケとなる。
「建物の一階で約60平米」「煙突を立てもOK」の条件だけでも、かなり篩に掛けられてしまう。
第一希望の物件は、マンションの一階だったために建物の持ち主であるオーナーに確認を取ってもらいたく不動産屋社員に電話連絡を取ってみた訳だが、一週間経っても返事が無い。
こちらから再度担当者に催促の電話しても、定休日だから不在だとかで話が一向に進まなかったりもした。
結局のところ、物件の外観からは見極められないような、建物が原因不明の雨漏りをしているという理由から諦めざるを得なくなった。
ひとつめの物件の進捗状況があまりにもイマイチだったので、第二希望の物件も同時に天秤に掛けて、別の不動産屋に問い合わせ物件の詳細を伺ったりもした。
今回、物件を探すにあたって、最大で有力な協力者となってくれている人物が居る。
富山でリフォーム業を本業にしながら、かつて飲食業にも携わり居酒屋を経営していた経験を持ち、尚且つフィルムで撮影する写真が好きで仕事にではなくプライベートで Sinar の 8 x 10 を使っているという、一般的とは言いがたい偏屈なオジサンである。
だが、劉備元徳が諸葛孔明と知り合ったのに相当するくらいの出遭いだったと補足しておきたい。
第二希望の物件は、建物の築年数が経っている代わりに、借り手が如何なるようにも作り替えて良いというオーナーの許可が出ていた。
その分、家賃が破格に安い。
幽霊が出るような事故物件なんじゃないかと疑いたくなるほど。
だが、良い方に解釈すると錆びたトタン張りのバラックな隠れ家のような外観。
2000年頃だったか、渋谷区恵比寿のマンションに住んでた頃。
裏に ZEST CANYINA と呼ばれるメキシコ料理に近いアメリカンな雰囲気のレストラン(?)居酒屋(?)のような店があって、、、。
この富山の幽霊屋敷の錆びたトタンの外観も綺麗に手入れさえすれば、オサレなZESTのような店にも成り得るのではないかと、一瞬夢を膨らませてしまった。
そこは諸葛孔明「家賃が安いくても焙煎作業場とは言え客商売ですし満足に内外を整え始めたら内装工事費が嵩んでしまいますよ」と宣うので、此度の経営再建には不向きな物件と判断することにした。
第三、第四と次々と葛藤を繰り返し悩みに悩んだ挙げ句、やっと次なる移転先が決まったのは11月入ってからの事だった。
引っ越し完了までのタイムリミットは2ヶ月足らず。
家賃はそこそこ、面積は充分、引っ越すには楽しみと思えるような条件が揃い、、、。
正直なところ、半ば焦って契約してしまったのも否めない。w
そこは、かつて一階が寿司屋だった物件らしい。
10.15.2023
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
For Enjoying Toyama Life !
カレー無いんですか?
「今日は、カレー無いんですか?京都から来たんですけど 。」
そう言われても用意していないものは無い。
この日は 牛すじハヤシライス に変更していた。
毎月の定例になってる第四日曜日「越中大手市場」。
いつものように数種類のコーヒー豆を用意して、屋外で食べられるフードとして前日に仕込んでイベントに臨んでいた。
普段だったら定番の ハニーバターチキンカレー を出しているところだった。
昨年秋頃から食材に限らずあらゆるものが値上がりし、やっと最近になって価格が落ち着いたと思われ、久しぶりに牛すじを購入したい衝動に駆られ、その流れでメニューが 牛すじハヤシライス に変更となったのだ。
確かに、京都からわざわざお越しのお客さんには大変申し訳ない、突然の気まぐれな変更だった。
何度も来店していただいてる常連さんならば空かさず「ぶぶ漬け でもどうどす?」とふざけた提案をして場を和ませようとしそうなものなのだが、初めてのお客さんだ。
何か取っ掛かりが無いものかとお客さんの姿を見直してみると。
首から一台のレンジファインダーのカメラをぶら下げている。
パッと見ではカメラメーカのロゴまではよく見えなかった。
レンズには今の時代には必要ないはずのオレンジフィルターが付けられている。
モノクロ!? フィルム? アナログ、、、、ではなさそうだ。
となると、ライカのデジタルモノクロームの可能性大。
オレンジフィルターを付けてる時点で完璧にモノクロ仕様だ。
「ライカデジタルモノクロームですか? M11ですよね? 日本人で持ってる人を初めて見ましたよ!」と口を突いて出てしまった。
ひょっとしたら日本語が堪能なアジア人だったかもしれないのに。
以前ライカデジタルモノクロームを見掛けたのは、もう8年程前。
未だ北京に居た頃。
北京に旅行に来てる、明らかに富裕層と思われるリッチな香港人が首からぶら下げていた。
ボディだけで80万円くらい。
そして、デジタルカメラなのにモノクロでしか撮れない。
他の接客の手を止めて、矢継ぎ早にいろいろ質問を浴びせかけたかったが、屋外イベント出店とはいえコーヒー屋としての営業中。
しかも、初めてのお客さんに立ち話で問うにはディープ過ぎる質問であると判断して止めておいた。
ライカ M11 モノクローム。
後になってネットで情報を確認してみると、2023年4月22日に発売が始まり、価格は税込み138万6000円。
本体のCMOSセンサーはカラーのものと同じものを採用していながら、カラーフィルターを取り除き解像度をアップさせたモノクロ専用機である。
6300万画素という高解像度で、一度シャッターを押して得られるデータ量はRAWモードで60MBだそうだ。
モノクロのポスターを撮影するカメラマン専用のカメラと言って良い。
カラーデジタルの一眼レフを使って一回シャッターを切って8MBくらいのデータならば、コンビニのコピー機でポピュラーなL判サイズ(89x127mm)で出力出来るはずだ。
普段徒歩でプラプラ歩いて最寄りのコンビニに行ってアイスクリームを買いに行くところを、わざわざ大型トラックで駐車場に乗り付けて買いに行ったような感覚である。
兎に角一般の人にとってはもの凄いオーバースペックなカメラなのだ。
他にもデジタルモノクロ専用機を出しているカメラメーカーがあるが、いずれもマニアックで唸らされる。
PENTAX K-3 Mark Ⅲ (2023/04/28発売) 最安価格 299700円。
SIGMA sd Quattro はミラーレスのタイプで2016年に発売されたが既に生産終了している。
それぞれデジタルでモノクロに仕上がるはずで、各機種独自のモノクロテイストの仕上げが有ると思われる。
だが、結局撮影後にRAWデータをパソコンに移しパソコン上で現像を施す作業を行うならば、大型トラックでコンビニ駐車場に乗り付けなくても良いのではないか!?
デジタルカラーのカメラボディで撮影したカラーRAWデータをパソコン上で現像した後、Photoshop等でグレースケールに変換するかもしくはモノクロ変換ソフトを使えば良い。
同様の結果を求められるはずだ。
デジタルの世界に於いてパソコン処理してしてしまうので、光学的にレンズ前にオレンジフィルターを設置したとしても蛇足なのではないか!?
理屈ではそうなってしまうが、写真作品を作るとなると、作業上の満足度も重要であり作品を作り続けるモチベーションを維持するための一翼を担う要素とも考えられる。
果たして自分だったらどんなアプローチを選択するのだろう。
間もなくして、かつてシルバーゼラチンプリントを教えてもらった 大坂寛氏の写真展があることを知った。
大坂寛 写真展「樹霊」2023/06/28 ~ 2023/07/16 西麻布EMギャラリー だ。
2014年に北京から戻って来て、その間も何度か写真展を行われていたがタイミングが合わず現地に足を運ぶことが出来なかった。
少なくとも2005年以降は日本に居なかったため直接会うことも出来なかった。
その間の18年はアッという間に過ぎ去ったのである。
北京在住の頃、北京出張がある度に会いに来てくれていたコイケ君とも直ぐに連絡が取れて、難無く西麻布で再会を果たした。
コイケ君は鶏卵紙を使ったアルヴュメンプリントという方法のプリントをして精力的に写真作品を作っている。
コロナ禍の驚異が過ぎ去り(?)、思ったときに人と会えるようになって、何かが再び動き出したような感覚になった。
小笠原を撮影した一連の写真をまとめた『六渡達郎写真集 小笠原ターザン』が出てから既に23年。
フィルムを使って、自分の作品を作るのはもう終わりだと思っていたが。
このところの周囲の写真事情に影響を受けて、また何かしらの方法で、自分のオリジナルプリントを作りたいという衝動が芽生えたような気がした。
6.10.2023
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
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“ 羊肉串儿 ” の宴 ①
最寄りのコストコに行っても、高くて手が出せないなと横目で眺め通り過ぎていた。
羊肉。
無きゃ無いで食べなくて良い。
寒くなると北京に居た頃の習慣で、涮羊肉(薄切り羊肉のしゃぶしゃぶ)を食べたくなったりもするが、羊肉が身近に無いなら牛肉や豚肉でも充分に欲求は満たされる。
以前に羊肉を買ったのはいつの事だったろう。
おそらくコロナ前。
毎週のようにテント出店を繰り返し、そこで毎週異なるカレーを提供していて、食材を変えてラムカレーを作った事があった。
その後は、コストコでも羊肉を見掛けなくなっていた。
ところが、手に入らない。
無い。
となると,逆に欲しい食べたい欲求が湧いて出て来る。
北京に移住して間もない頃、” 沙漏咖啡 “ (砂時計コーヒー)という名のカフェに良く通っていた。
いや、毎日通っていた。
場所は、紫禁城があるところのチョット北側。
辺りに時を知らせる為に作られた建物、“ 鼓楼 “がある。
そこから徒歩数分の場所に “ 中央戏剧学院 “ (中央戯劇学院)という、中国の俳優や映画監督の殆どを輩出している大学があった。
東京で言うなら日芸大学がある江古田のような学生街だ。
2008年北京オリンピックの為に北京の至るところが開発され殆どの道路はアスファルトで舗装され綺麗になったが、その2、3年前、戯劇学院周辺はまだ街路樹が生い茂り、道路は凸凹、雨が降れば大きな水溜まりが出来、夜は街灯も無く薄暗い古い胡同の街だった。
中央戯劇学院では、中国の標準語となる中国語を教えており併せて外国人を受け入れていた。
オリンピックを控えていた事もあって、いろんな国からやって来た外国人の語学留学生達がおり、集まってくるお客の所為でカフェは中国人経営の、単なる胡同をリノベーションして作られた店ではなくなっていた。
経営は海外留学を経験している若い漢族の中国人。
店長として店を管理しているのが内蒙古出身の蒙古族。
そこに、バイトの店員として日本人の留学生の女の子が入っていた。
2005年オリンピック前の急成長を間近に体感したくて北京に移住を決意したものの、強力なコネがあった訳でもなく、流暢な中国語で自己主張を捲し立てるでもなく、写真を生業にするカメラマンは直ぐに仕事に就けるはずもなく、何か有益な情報はないかと、有象無象が集まるカフェに足を踏み入れることになったのだ。
カフェと言っても、美味しいコーヒーが飲める店ではなかった。
カウンターの中には、おそらく中国に進出して来て間もないアメリカの家電メーカー “ Cuisinart “ のエスプレッソマシンが鎮座していた。
当時のコーヒーのシロウト目で見ても、それは家電のコーヒーメーカーであり業務用のプロフェッショナルな機械ではないと判断出来た。
それでも、一応コーヒー豆の種類がいくつか用意してあって、一袋500gくらいの豆が入っているパッケージになっており、“ 巴西 ”(ブラジル)、“ 哥伦比亚 ”(コロンビア)、“ 蓝山 ”(ブルーマウンテン)、、、中身はどれも凄い深煎りで、見た目も味も区別が付かないようなシロモノだった。
そう、当時の中国はコーヒー後進国、発展途上国だったのだ。
スタバも既に中国進出を果たしてはいたが、コーヒーを飲むような場所ではなく、“ 富二代 ”(新興富裕層の子供たち)がデートの待ち合わせに使う流行のイケてる場所でしかなかった。
今から50年前の日本と同様、「コーヒーは身体に悪いもの」という民間の常識がその時の北京にもあった。
それ故、基本的に皆コーヒーを飲まない。
あまり見掛けることがなかったメニューには、“ 铁观音 ”(鉄観音茶)、“ 普洱 ”(プーアル茶)、“ 菊花 ”(菊花茶)と、” 可乐 “(コーラ)、” 雪碧 “(スプライト)、、、くらいだったような。
カフェなのに、通常なら暗黙の了解で何かしら飲み物をオーダーしそうなものなのだが、店長 ULA の大らかさなのか、顔見知りになりさえすれば居ることを許されるというシステムが成立していた。
いつも誰かしら店内には居て、むしろ外国人留学生の方が常連で、時折現地の中国人学生が間違えて入って来たりすると「何者だ!? お前ら~」と言わんばかりの視線を浴びせる。
ところが、中国人は元々他人の目を気にしないタイプが多いので、ずかずか店内に入り込み数人が座れる一角を陣取り、その数人で一種類のお茶のポットをオーダーしてトランプを始める。
お茶がポットサービスの習慣なので、数人が一種類のお茶で数時間もトランプを興じる場所になってしまう事もしばしばあった。
日本人である自分の感覚では信じられない光景だったりするので、カウンターの中で ULA に尋ねてみると、蒙古人としても一種のお茶で長居され周囲を顧みず大騒ぎされるのは不快らしく文句を言ったりすることもあった。
でも、そのお陰で外国人チームも長居が出来ていた訳で。
殆ど中国語が出来ないにも関わらず、皆よく受け入れて長居させてくれていたものだと今更ながらに感謝する。
店のカウンターに入って、バイトをしていた日本人留学生の SAKI がいろいろ紹介してくれた功績が大きい。
それに加え、ULA 自身が親日的でいずれ日本に留学しようと思っていたからなのか、何かにつけて良くしてくれていた。
その頃、北京に移住して初めて生活をすることになったマンション?アパート?は “ 西单 ” という、東京で例えるなら新宿や渋谷のような、北京の西の大きな繁華街。
そこから20分くらいタクシーに乗って、後に代官山のようなオシャレストリートになる“ 南锣鼓巷 ”という江古田の学生街になる” 沙漏咖啡 “ に毎日、毎日通っていた。
仕事も無く、語学学校に通うでもなく、他にする事が無かったからに他ならないが、混沌とした空間で、只、只、毎日が楽しくて仕方がない数ヶ月だった。
皆、昼間は何かしらそれぞれのやるべき事をやっていたはずだ。
そして、夕方になると約束をした訳でもないのに自然とカフェに集まって来る。
フランス人、イギリス人、オーストラリア人、デンマーク人、、、それぞれが目的を持って北京にやって来て、高度成長期の北京ドリームを夢見ていたと思う。
間もなく夕食時になると、誰かしらが近所の中華食堂に電話してお惣菜やら炒飯やらスープを注文し、皆で箸を突き合って食べていた。
“ 糖醋里脊 ” 、” 宫保鸡丁 “、” 辣子鸡 “、” 萝卜干腊肉 “ 、” 地三鲜 “ 、、、( 食べていたものを全て列挙したいところだが次の機会にする)。
更に、夜が深まり23時頃になると、誰かが突然「ヤンロー タイム ( “羊肉”TIME )!」と叫ぶ。
そして、近所の “ 新疆菜 ”(ウイグル料理)の店に電話を掛けて数十本の “ 羊肉串 ” をオーダーする。
30cmくらいの竹串に2cm角くらい羊肉の塊が5個くらい刺されていて、味は “ 孜然 ”(クミン)と塩と“ 辣椒 ”(唐辛子)、そしてたっぷりの“ 味精 ”(通称: 味の素、グルタミン酸ナトリウム)。
まだ派手に弾圧されていなかったからか、“ 南锣鼓巷 ”のストリートには3、4軒の“ 新疆人 ”(ウイグル人)の店があり、中華とも違う大陸の西の料理をも楽しめた。
電話注文をした後30分もすると、いつも店の手伝いをしている、10歳にも満たない ハッサン が“ 羊肉串 ” を届けにやって来る。
夕食のお惣菜もそうだが、中国の習慣では他店の会計済みの料理は他店であっても 持ち込み可 なのだ。
代金の支払いは、毎回異なるが誰かしらが自発的に払っていた。
ルールが有る訳でも誰かに負担を強いることもなく。
どちらかと言うと、割り勘をするのは無粋とされる雰囲気があった。
皆がとても満足して、白熱して幸せな毎日が続いていた。
4.10.2023
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
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サックスを吹いてみたい!
昨年末からコロナに感染してしまい40℃にも達する熱で寝込んでる間、閃くように「サックスを吹いてみたい!」といった気持ちが噴出した。
学生時代に吹奏楽部に所属していた訳でもなく、リードを使った楽器など口にしたことすら全く無いにも関わらずだ。
敢えて挙げるなら、某レコード会社の関係でライブハウスでの写真撮影をしていてジャズ系ビッグバンドの演奏でサックス奏者がカッコイイと思っていたことに起因するのかもしれない。
そして、何故かテナーサックス奏者のハンス・ダルファーのCDを持っていたりする。
アルトサックスを吹く娘のキャンディー・ダルファーではない。
正月が明けた頃、そのまま勢いに任せサックスの知識など全く無いまま、ヤフオクで安い中古のテナーサックスを落札してしまった。
コロナで高熱を出していたからという事にしておこう。
間もなく送られて来た実物の中古テナーサックスを目の当たりにして、やや我に返るものがあった。
シロウト目に見ても直ぐにそのまま使えるような道具では無いと一瞬にして悟ってしまったのだ。
サックス初心者ならば、クセが付いていないニュートラルな状態でスタートした方が良いに違いない。
道具をベストな状態にして自分の責任として修練するべきものである。
病み上がり少々冷静になって自分の明らかなフライングに後悔してしまった。
YouTubeで「サックス 初心者」を検索してみたり、「初心者必見!」といったタイトルの動画を観てみると、ほぼ皆が新しい楽器の購入を勧めている。
ネットから中古楽器を購入することを勧めている動画は皆無と言って良い。
それほど楽器がデリケートなもので、サックスが金属で出来ていようとも経年劣化するものであり、細かな部分に至るまでの定期的な調整が必要だと説いている。
サックスを吹いて生業にするつもりは決して無いのだが、全くの初心者としては素直に耳を傾けておきたいところだ。
一旦目の前の中古テナーサックスは忘れて、世間ではよりポピュラーなアルトサックスから始めることにして、ちゃんとしたリアル店舗の楽器屋で多少安価な新品アルトサックスを購入し直してはどうだろうかとも考えた。
後から判って来たことだが、アルトサックスの方が楽器の大きさが小振りでその分出費が小さく済んだりもする。
また教則本のような書籍が多かったり情報が得やすいようなのだ。
とは言え、手元に既に錆び錆びのテナーサックスがあるので、先ずは修理の見積もりを出してもらうことにした。
判らないながらも明らかに治してもらう必要がありそうな部分の写真を撮って、メールで問い合わせてみることにした。
既に型が古く部品の取り寄せが出来ない等、修理不能をも予想され半ば諦め掛けてたのだが、なんとか新品のテナーサックスを買い直すよりは少ない出費でオーバーホールしてもらえそうな見積もりが返ってきた。
一ヶ月くらいを経て、初心者が気持ちよく始められるニュートラルな状態にまで治してもらえそうだ。
たまたまOpenAI Inc.が2023年3月14日、Generative Pretrained Transformer 4 (GPT-4)のリリースを発表したこともあり、早速AIに尋ねてみたりもした。
Q: テナーサックスを始めたいと思っているが、まず何をするべきか?
A: 1/ 2 テナーサックスを始めることは楽しい冒険になるかもしれません! テナーサックスは、音楽愛好家にとって非常に魅力的であり、様々な音楽スタイルで使用されています。
以下は、テナーサックスを始めるために考慮すべきいくつかのステップです。
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テナーサックスを手に入れる 最初にすべきことは、テナーサックスを手に入れることです。サックスを所有することができない場合は、レンタルすることもできます。購入またはレンタルする際には、アクセサリー、例えばリード、ストラップ、クリーニングキットなども購入する必要があります。
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基本的な音楽理論を学ぶ サックスを演奏する前に、基本的な音楽理論を学ぶことが重要です。音楽理論を理解することで、楽譜の読み方や音符の長さ、音程、リズムなどを理解することができます。
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レッスンを受ける プロの指導を受けることは、初心者にとって非常に役立ちます。質の高いレッスンを受けることで、正しい姿勢、息の使い方、フィンガリングなどの基本的な技術を学ぶことができます。
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練習する テナーサックスを始めるには、継続的な練習が必要です。毎日少なくとも30分から1時間の練習を行うことをお勧めします。練習することで、音質を向上させ、演奏技術を向上させることができます。
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演奏する機会を得る 演奏する機会を得ることで、自分の演奏を評価し、自信をつけることができます。学校の音楽会やコミュニティの演奏会に参加することを検討してみてください。
2 / 2 テナーサックスを始めることは、やりがいのある冒険になるかもしれませんが、最初のステップは始めることです。継続的な練習とプロの指導を受けることで、技術を向上させ、音楽的なスキルを発展させることができ
テナーサックスを始める前に、以下のステップを踏むことをお勧めします。
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テナーサックスのレンタルまたは購入 まずは、テナーサックスを手に入れる必要があります。初心者には、レンタルがお勧めです。レンタルしてから、練習を続けることができるかどうか確認してから、購入することもできます。
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楽器に慣れる テナーサックスを持ってみて、楽器に慣れることから始めましょう。テナーサックスは、他の楽器に比べて重いため、正しい姿勢で演奏することが重要です。まずは、楽器を支える方法を学び、ゆっくりと楽器を吹いてみましょう。
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基本的な演奏技術を学ぶ テナーサックスを始めるためには、基本的な演奏技術を学ぶ必要があります。これには、息の使い方、音の出し方、フィンガリング、そして楽譜の読み方が含まれます。教則本やオンラインのレッスンを利用することで、基本的な演奏技術を学ぶことができます。
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練習する 練習は、テナーサックスをマスターするために非常に重要です。毎日練習することで、演奏技術を改善し、音楽的な表現力を向上させることができます。練習のスケジュールを立て、定期的に練習することをお勧めします。
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演奏する機会を探す 演奏する機会を探すことで、自分の演奏技術を試し、より上達することができます。音楽スクールやミュージックイベントでの演奏や、オンラインの演奏会などがあります。
以上のステップを踏み、継続的に練習することで、テナーサックスを始めることができます。
あまりの的確な応答に納得し驚いてしまった。
テナーサックスが調整されて手元に戻って来て、今度は実際に吹いてみたりもして。
果たして、自分のモチベーションがどこまで維持出来るものなのか。
大して習い事などの経験も無いので、どうなることやら。一年も経たずに行き詰まってしまって、 Chat GPT に悩み相談をしているような気がしないでもない。
2.8.2023
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
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云南咖啡豆
何気なくHDDを整理していたら、「雲南pics」という名前のフォルダを見つけてしまった。
中の写真データの記録をそれぞれチェックしてみたら、2013年11月に撮影している。
詳細をすっかり忘れていた。10年前のことである。
2013年10月、北京の東北エリアに位置する「麦子店」という名の街、日本大使館から徒歩で10分も掛からない場所の龍宝大厦マンションの一階で営業していた Caffè il Sole をクローズして間もない頃のことである。その後、北京を後にして日本に本帰国するまで一年足らずの時間があるのだが、店を閉じてスグに雲南省にあるはずのコーヒー農園の視察が第一目的の旅行だった。
多くの人が思う通り「中国はお茶の文化」のイメージが強い。
そもそも自分が北京に移住するに至ったキッカケのひとつ。北京のド真ん中にある故宮(紫禁城)の敷地内に作られたスターバックスの店舗の存在が大きく影響している。
中華人民共和国の成立は1949年10月1日。( 偶然にも10月1日は国際的に「コーヒーの日」だったりする。w ) それよりも以前の明の時代1406年永楽帝が先の元王朝から跡を引き継ぎ、礼儀宮殿・後宮・政治議事堂などの機能を加えたところであり、更に清の時代も経て数百年もの間中国皇帝の宮殿だった場所である。
記憶が定かでないが、2001年、北京が2008年のオリンピック開催地に決定した後、故宮の中にスターバックスが作られた。おそらくフランチャイズだろうが、中国の象徴とも言える場所にアメリカの、今やマクドナルドに勝るとも劣らないアイコンとなっているスターバックスが出来たというニュースを耳にしたのだ。自宅のケーブルテレビで、たまたま付いていたBBCのニュース番組だったと思う。そして、理屈抜きの、単純に自分の目で確かめたいという動機で、北京のスターバックスの視察旅行を決行することになる。2005年以降実際北京に移住した後もしばらくは「コーヒーは身体に良くない」という認識の中国人は多かった。日本の40年くらい前と同様だと思った。
2006年、成り行きと勢いだけで北京にカフェを作ってしまったが、人並みにコーヒーが好きだっただけで、特別な知識を持っていた訳でも喫茶店でのバイト経験があった訳でもなかった。
北京市内を駆けずり回って美味しいコーヒー豆を探し求めたが、日本人と中国人のコーヒーの好みが違うように感じたし、自分自身で自分に淹れるコーヒーを満足していても店に来てくれるお客さんがどんなコーヒーを望んでいるのか。コーヒーという飲み物は何によって美味しいとされるものなのか、只々闇雲にやってるに過ぎなかった。
北京の東北エリアには日本人を始め外国人達が多く住むエリアでもあったため、成城石井のような外国人御用達のスーパーマーケット「婕妮璐(Jenny Lou's ジェニールー)」に行って買い物をすることが多かった。チーズやベーコン、ケーキを作る材料など、ローカルの超市では手に入らないものを調達する店として重宝していた。
その店の陳列棚には、雀巣( Nestle ネスレ )と意利( illy イリー )と並んで「云南小粒咖啡」という名で中国国産雲南省のコーヒー豆が輸入物の5分の一くらいの値段で売られていた。エチオピアのコーヒー豆のように小粒で、アズキ豆のようなコーヒー豆だ。飲んでも特に特徴が無い豆で、他に飲めるコーヒーが無いなら飲んでも良いのだが、取り立てて香りが良い訳でもなく、選択肢があるなら選ばないテイストだった。
そうは言っても、広い中国の国土の一画でコーヒー豆が獲れるということで、かねてから時間に余裕が出来た時には雲南のコーヒー農園に行って「コーヒーの木」を目の当たりにしたいと思ってたのだ。
コーヒーの栽培とお茶の栽培は、気候条件が似通っているようで、どこの国に於いても隣接した土地で作られていたりする。お茶が多く栽培されていた雲南では、北京政府から遠く離れていることを良しとして、栽培や製茶に手間を掛けるより儲けになる大麻を育てる輩が増えた時期があったそうだ。アヘン戦争のトラウマが有るのか無いのかは知らないが、大麻栽培の対策として雲南省はコーヒー栽培を奨励し、それらのコーヒー豆をネスレやマクドナルド、スターバックスがまとめて買い上げる保証をすることによって定着させたと聞いた。
富山に戻って「太陽珈琲焙煎本舗」としてコーヒー豆の焙煎をするようになってからも、雲南産のコーヒー豆のことは積極的では無いにしろ多少は気には掛けていた。何しろ最初に訪れたコーヒーの地である。
そこへ一昨年だったか、雲南のコーヒー豆のサンプルが配布されるとの情報を得て、早々に送ってもらい自分の店でカッピングしたところ、かつてのイメージを覆すようなスペシャルティを感じさせる仕上がりの豆だったため、スグに生豆を仕入れることにした。ネスレのような多国籍企業の投資によって、コーヒー生産のインフラが構築されて久しく、そのビジネス環境に加えコーヒー豆の質と量を両立させ、輸出可能なレベルにまで改良を繰り返したらしい。
昨年はコロナ禍に加え1月は脳梗塞で入院し12月末にはコロナに感染してしまうという、思うように身動きが取れない年だったこともあり、年が明け、1月22日には春節(旧正月)を迎えるタイミングで雲南のスペシャルティコーヒー豆を焙煎出来て、とても良い気分に浸っている。
12.15.2022
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
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コハダは大トロより儲かる
思いがけず12/11(日)のマルシェ、越中大手市場が中止になってしまった。
2022年最後のテント出店の予定だったのだが。
原因は、流行のコロナ感染拡大ではなく最大風速10mをも越えるかもしれない強風が予想されたからだ。
風速5mくらいでマルシェで使っているテントなどあっさり飛んでしまう。
コーヒーのハンドドリップ抽出をしている時に集中出来ないし、危険極まりない。
人の安全に関わる。当然の判断である。
屋外のテント出店は常に天候に左右される。
今に始まったことではない。
華奢なテントの場合に限らず、この雪国富山に於いては冬場の大雪に見舞われると即客足に悪影響を及ぼし、ダイレクトに売上が落ち込み大打撃となる。
とは言え、店舗を構えている立場では、店にいつ訪れるか判らない通りすがりの一般客のために店内は充分な暖房を施しておかねばならなかったりする。
しかも今は燃料代が高騰している。
世にコロナが蔓延してからは、そういった不安定が顕著になった。
災難が過ぎ去るまではミニマムにやり過ごすに限ると考え、店舗自体は意図をもって休業状態にすることにした。
店内はコーヒー焙煎の作業場になり、ひと月に数回あるマルシェなどイベントのテント出店が主たる現金の収入原となった。
地方都市である富山県に限った話ではないだろうが、店舗を持ったからと言って、そこは決してゴール地点などではなく、暢気に胡坐をかいていられるような場所ではないのだ。
少しでも人が集まるようなチャンスが有れば、店側がこちらから出向いて商いしなければならないのだ。
シンプルな屋台の営業は数を増やせば増やすだけ売上は単純に増えてくれるのだが、天候に大きく左右されてしまう難点は相変わらずだ。
そして、今年1月にやった脳梗塞も軽症だったとは言え少なからずダメージを残している。
昨年までは出店の準備のため前夜の作業は深夜に至ることはおろか丸々徹夜に及ぶこともしばしばだった。
退院して早10ヶ月。
降圧剤は飲み続けており、そうした体力を要する仕事がスッカリ出来なくなってしまった。
おそらくもう元には戻らないのだろう。
二日間連続のイベントに参加した時も自分自身の身体がままならない。
コーヒードリップをしている最中、右手に持ったドリップポットでコーヒーの粉にお湯の円を描いて注している時に意識が飛んでしまったりしていた事があった。
それ以前に、屋外で全然立っていられないのだ。
いわゆる自律神経や体感のようなものが衰えてしまったようだ。
アウトドアの折りたたみ式キャンバスチェアに座り込んでしまって、そのまま立てなくなってしまう。
そんなこともあって、毎年恒例になっていた越中稲荷神社の初詣出店も断念することにした。
大晦日22時頃から年越しで初詣客向けにコーヒーを淹れる。
病み上がりの身、寒い中のロングラン出店を強行するのは得策ではない。
久々に御節の準備に時間を費やし、大して興味が無いNHK紅白を眺めながら家族と共に過ごす大晦日になりそうだ。
出来ることならコーヒー豆の焙煎作業に没頭していたい。
テント出店に体力の限界を感じるようになって来た以上、新たな豆の販売方法を模索したいところ。
きっと中小企業診断士や商工会議所などに言わせるなら、とりあえず「ホームページを作りましょう」「LINEアカウントを作りましょう」「Instaを始めましょう」と見え透いたことを言われてしまいそうだ。
この今年夏以降ガソリンがジワジワ値上がり、次第にあらゆるモノが値上がりし御多分に漏れずコーヒー生豆もしっかり2割3割と値上がった。
かと言って、そのまま焙煎後のコーヒー豆の価格を2割3割値上げて反映させて良いものやら。
2014年店を作った頃一時的な業界内のコーヒーブームと思いきや、今や護國神社 とやま のみの市にやって来るお客さんも「話題のゲイシャをください」と宣うようになり、スペシャルティコーヒーの名前が随分世の中に浸透したように思われる。
それでもテントにやって来るお客さんの殆どが「酸味は好きじゃありません」と枕詞のように言い放って止まない。
お客さんのお好みを伺って酸味NGとなると、扱ってるコーヒー豆の三分の二はオススメ出来なくなる。
また、業界的に話題の人気豆がお客さんのお好みと合致するとは限らない。
焙煎屋の製品であるため、各々の好みに加え、豆の価格と見合うかコストパフォーマンスが高いか低いかによって消費してもらえるかどうかが変わって来る。
毎日習慣として飲む日常コーヒーもあれば、ここぞと言ったハレの日に飲みたい高額なコーヒーもあり、消費者の選択は多岐にわたる。
お寿司屋さんに因れば、コハダは大トロより儲かるとのこと。
自動車業界で言うなら、コハダはカローラ、大トロはロールスロイスと言ったところか!?
そのまま太陽珈琲焙煎本舗のコーヒー豆に言い換えるなら、「ブラジル セラード カラメリッチ #18」と「パナマ エスメラルダ ゲイシャ」が当てはまる。
「ブラジル セラード カラメリッチ#18」は、昨今の値上げに伴い最も格安のコーヒーではなくなってしまったが、標準的で馴染み深いコーヒーらしいブラジルの豆にほのかな甘みを併せ持った飲みやすいタイプ。
「パナマ エスメラルダ ゲイシャ」はコーヒー業界に革命的な新風を吹き込んだクリアでフルーティーでありベルガモットのような香り高さの中に甘みやカラメル感も持つスペシャルティコーヒーの筆頭格に当たる豆だ。
11.7.2022
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
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COMANDANTEを選ぶ理由
コーヒーを美味しく淹れるポイントのひとつとして「直前に豆を挽く」ことが重要だ。
焙煎されたコーヒー豆はその時点から劣化が始まると言って過言ではない。
豆から粉の状態に変わると単純に表面積が拡大し空気に触れる部分が増える。
よって酸化速度が倍増し劣化が早まってしまう。
スーパーマーケット等で売られている大手コーヒーメーカーのコーヒーは粉の状態でも売られているが、そうした場合はパッケージ袋に詰める際に窒素と共に充填するか酸化防止剤を入れたりしている。
コーヒー豆の焙煎屋としては、お客さんには自宅でコーヒーを淹れる直前にミル(グラインダー)で粉にしてもらいたい。
些細なことなのだが、コーヒーを美味しく淹れるポイントはこうした些細な選択の積み重ねで違いが出て来る。
目的地までの移動手段としてクルマを使う場合、ランボルギーニやフェラーリのようなスポーツカーをぶっ飛ばして行く方法もあればメルセデスベンツのような高級車の満足感を得ながら運転する方法もあれば、トヨタカローラのようなロングセラーで大人気の車種を選択することもある。
似たようなもので、単にコーヒー豆を粉にするという方法だけでも迷ってしまうくらい多岐にわたる。
何も考えず豆が粉になれば何でも良いと言う選択をするなら、販売価格の安い電動のプロペラ式ミルになるのだが、焙煎豆屋としてはオススメしたくない。
スイッチボタンを押してジャーってやってしまえば早いと思われがちだが、電動によるモーター音がうるさいうえ粉の粒度が安定せずバラツキが激しい。
ウチを訪れてミルを購入したいと言われるお客さんには習慣的にコーヒーを飲む頻度や量を聞いて、今まではまず手動のコニカル式セラミック刃のミルを薦めることが多かった。
一人でコーヒーを飲むことが多く一杯ずつ淹れられる方にオススメしていた。
セラミック刃の場合、使い終わった後のコーヒーの粉が刃に付着していても洗えば容易く落とせる。
そして錆びない。
一方家族が居て一度に数杯分を一挙に抽出する可能性が高い人には、まず容量が大きめの手動セラミック刃ミルを薦めていた。
そして多くの人は習慣として朝にコーヒーを飲むことが多く、出勤や通学のために朝食時の時間はとても貴重だったりすることから、手動ミルをゴリゴリ数分も掛けて回している時間がもったいないと感じられることもあるだろう。
そんな人には少々奮発してもらって電動のコニカル式や臼式を購入していただく。
それで、直ぐに淹れて飲みたい、一度に数杯分を抽出したいという思いはストレス無く叶えられるのだが。
そんな電動ミルにもデメリットはなくは無い。
モーターで刃が高速回転する機械であるため、長時間もしくは大量にコーヒー豆を粉砕し続けていると熱を帯びてしまうのだ。
これがコーヒー豆に悪影響を及ぼす。
またその粉砕している際に細かな微粉を出してしまう。
コーヒーを抽出する際、コーヒー粉の粒度が揃っていることを重視するならば微粉は避けたい要因なのだ。
この微粉が抽出したコーヒーに雑味を及ぼす原因となったりするのである。
日常生活でのコーヒーでは気にする程の事では無い取るに足らないことかもしれないが、コーヒー業界の中にあるSCAJ(日本スペシャルティコーヒー協会)のような団体が主催するハンドドリップ競技会などでは、ミルした後の粉を茶漉しのような細かな目の篩を使い微粉を取り除いて雑味を極力少なくする手間隙を加えたりもするのである。
なので、必ずしも電動のミルが優れてるとは言い難い点もあるのだ。
かつて、手動ミルではフランスのPeugeot(プジョー)とドイツのZassennhaus(ザッセンハウス)が有名で、どちらも硬質な鉄系の刃が付いており比較されたものだ。
ここへ来て、数年前からドイツの手動ミル「COMANDANTE(コマンダンテ)」が話題になっている。
新しく開発されたNitro Blade(ニトロブレード)と呼ばれる刃の部分によってコーヒー豆の粒度が非常に良い状態に仕上げられるのだ。
ドイツからの輸入商品ということもあってか、販売価格も40,000円前後。
価格と共に世界最高峰だ。
小さめの電動ミルが充分買えてしまう値段だ。
1990年代まだ普通にフィルムのカメラを使って撮影していた頃、Nikon一眼レフの旗艦機種がF3からF4に移行し、伴ってカメラマン達は新しいF4ボディをメイン機として仕事の撮影するべきか否かを躊躇していた時期があった。
バブルが弾けて間もない頃だったのもあるかもしれない。
カメラメーカーの一眼レフでフラッグシップモデルとなると、流石にポケットから気軽に出て来る金額ではなく。
ところが、一般向けにも売られていてハイアマチュアなカメラマンやカメラ好きなオジサン、オタクや鉄ちゃんも同様な立場で購入可能な機種だったりもする。
そんな中、フリーのカメラマンだからと言って、機材に掛かる経費をケチって二番手のカメラを選んではいけないのだ。
いつもいつも芸能人やプロのモデルの撮影ばかりをしている訳ではない。
知人からの紹介で一般の方の結婚式の撮影依頼を請けて出向くこともあるかもしれない。
そんな時、人生に於ける数少ないハレの日に、せっかくプロのカメラマンに撮影してもらえるのだとしたら。
少しでもカメラのことを知ってる人が近くにいて、わざわざプロカメラマンを呼んで撮影に来てもらってるという事態を知ったとしたなら。
そこは二番手のカメラではなく、少なくともその時の最高機種Nikon一眼レフでF4sで撮るというパフォーマンスをしないことにはいけないだろう。
一期一会なのだ。
それがプロの心意気というものだ。
またその時代の最高の機材を使うことで、機材に因る落ち度は決して無いものとして、もし問題が有るとすれば撮影者本人の問題として受け止められるよう最高の機材を用いるよう心掛けていたものだ。
30年後の今でこそ、デジタルカメラの最高峰と思われるものは100万円を超える値段になり、自分の撮影では使うことのないようなオーバースペックな機能が付いているカメラを選択してしまうのはメーカーの策略に踊らされて馬鹿げている行為のようにも思えるのだが。
そして、カメラメーカー各社はデジタルの一眼レフカメラの開発を止めてしまうくらいに時代は移り変わってしまっている。
とは言え、そうした経験を思い返すなら、コーヒー豆の焙煎屋としても、ここはNitroBladeの刃を持ち合わせている手動の COMANDANTE を選ばない訳にはいかない。
10.7.2022
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
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R.I.P. CHAPPY
9月18日 14:39 、凄く久しぶりにボビ男からの Facebook Messenger を受け取った。
→→→→ ご無沙汰しています。 残念なお知らせですが、 今日午前、チャッピー君 亡くなってしまいました。
→→→→ 一人で、ドラゴンアウトサイド(みやのはまの外洋)にサーフィンに出かけて、浮いている所をダイビング船に見つけられて、保安庁の船に引き上げられましたが、もう心肺停止だったそうです。
→→→→ さっき、診療所で会ってきましたが、まだ手も温かく今にも起き上がりそうでした、とても穏やかな表情でした。 僕もまだ、信じられません、残念です。
この時期、台風が生まれ沖縄の方を北上すると、小笠原諸島の父島には良い波が来る。
16日くらいから沖縄は台風14号の暴風域内に入り、そのままゆっくりと北上を続け、18日には九州に上陸していたことから、父島にはちょうど秋のビッグウェイブがやって来ていたに違いない。
享年54歳。
思い返すと、1995年父島に撮影に行って出会った頃からずっと波に乗ってるサーファーだから、CHAPPYらしいと言えばCHAPPYらしいのだが。
唯々寡黙に波に乗っている島の男、島の中でも代表的な BONIN ISLANDS SAFER だっただけに、もう島に渡ってもCHAPPYに会えないというのは信じがたい。
ところが、時間差で父島の仲間達から、FacebookやらInstagram やら、次々と容赦ない訃報が受け取った。
翌19日になって、SNSで知らされる話題は同世代の仲間達で作り上げられるお別れ会の予定に移り変わっていた。
写真集「小笠原ターザン」の表紙を飾っていたのが CHAPPY だっただけに、お別れ会でも島で最も大きく出来るプリンターでプリント出力したいとのこと。
今Macの中に入ってるスグに扱える写真データは、自己紹介用のファイルに入ったサムネイル的なラフなものしかない。
とてもA0サイズのプリントアウトに耐えられるデータではない。
幸い丁寧に暗室作業をしてブックマットを作り額装までしてるものが自宅にあった。
実家の倉庫として使ってる家が雨漏りする恐れがあるため、2014年に帰国して早々に写真だけ避難させたものの一部である。
暗室作業としてプリントしたのは1998年。
当時入会したばかりのAPA(日本広告写真家協会)の写真展のために焼いたものだったろうか。
FB(ファイバーコットン)のバライタ紙を使って丁寧に現像や水洗や調色を施し、無酸性のミューズコットンと呼ばれる厚手のボードでブックマットを作っていたので、写真面は20年以上経ていても全く変色も無く、自分でも驚くほど非常に綺麗な状態で残っていた。
倉庫の雨漏りから逃れたものの自宅での保存は自慢出来たものではない。
室温や湿度などお構いなし、成り行きのまま全く気を遣っていなかった。
しかし、恐るべしアーカイバルプリントだ。
それを今手元にあるデジタル一眼レフで再度複写して、ベストコンディションのデジタルデータを作る。
デジタルが主流になって登場することも少なくなってしまったストロボを引っ張り出してきて、スタンドにヘッドをセットする。
自宅で広げるには大き過ぎるレフ板を使いRAWデータで撮る。
今はMacに入ってるPhotoshopに撮影時のレンズのデータを入力してやると、クリックするだけでレンズの収差をデジタル補正してくれる。
Macの画面で大きく拡大して観てみると、当時丁寧にプリントしていたつもりでもしっかりとアラが見えてくる。
アナログケミカルの時代、引き伸ばし機でプリントする際にネガフィルムに付いた埃の影が白く点になって画面上に跡を残してしまう。
それを極力防ぐためにアセテートフィルムに静電気除去の装置の風を当てたりブロアーで吹き飛ばしたりした。
細心の注意を払っても暗室を無塵空間にはなかなか出来ないため、水洗処理を済ませプリントを乾燥した後の白い点を極細の筆を使って写真の粒子を書き込みスポッティング作業をしたものだ。
今はPhotoshopで開かれたRAWデータをA0サイズでのプリントアウトに耐えうるデータに変換する。
そのついでにPhotoshopのコピースタンプツールでスポッティングを施してやる。
図らずも映画等でよく耳にする、所謂デジタルリマスター処理をすることとなった。
最終的に圧縮率の低い tif データで保存し、重たくなったデータはギガファイル便で父島へ送った。
23日午前9時より、父島の小笠原聖ジョージ教会でお別れ会が行われた。
生涯サーフィンを愛し続けた小笠原の CHAPPY がサーファーとして海へと帰って行った。
9.6.2022
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
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2022年9月になって
コロナ禍になる前、店がオープンしたばかりの頃からの知り合い。
後輩の松村が紹介してくれた、関西で劇団を主宰しているキホーさんが生業にしている会社勤めの富山出張で、ついでに病後の様子を見に来てくれた。
彼の仕事は富山には似つかわしいとは思えない某猫キャラのライセンス契約を取る営業の仕事。
最後に会ったのがコロナ前。
「ダークマスター2019 TOYAMA 」の稽古が始まって台本を受け取ったばかりの頃だから、正月が明けて間もない頃以来だ。
県外からの来訪者には、せっかくなら富山近郊で獲れる海鮮を食べてもらいたいと思うので、太陽珈琲焙煎本舗の店舗の近所、数百mのところにある美乃鮨さんへランチに行く事にした。
富山湾は3000m級の立山連峰からミネラルを含んだ雪解け水が流れ込むことから天然の生け簀と呼ばれている。
そんな富山湾で獲れる魚をネタにした「富山湾鮨」を提供してくれる。
ミシュランガイド北陸2021でも紹介され、東京からわざわざ訪れる利用者も多く、最近銀座クラブホステスに乱暴をして巷を賑わしている俳優さんも訪れる店でもあり、普段からなかなか予約の取れないところなのだ。
暖簾をくぐると大将が「もう身体は大丈夫ですか?」と透かさずカウンター越しに声を掛けてくれた。
退院して早半年以上が経ち、外見からは全く病人の体を成していない者としては、不意を突かれて気遣われてしまうともはや恥ずかしい気分になる。
実際は、未だ右手を使って文字が書けない。
箸はなんとか使えるのだが。
そして、自分でも自覚し辛いのだが、なんとなく集中力の持続が短くなってしまったような気がする。
その二日後。
2022年になって初めて、カターレ富山のホームゲームでスタジアム周辺でのテント出店する事になった。
退院して間もなく、第一日曜日の「護國神社 とやま のみの市」、第四日曜日の「越中大手市場」と月2回の出店は再開させたのだが、屋外でのイベントでその場に居続けることが体力的に不安だったり出来なかったりするのだ。
今まで何の迷いもなく普通に出来ていた事が不意に出来なかったりする。
二人前のカレーを更に盛り付けて、両手でひとつずつ持って何歩か移動しようとして、右手の握力はだいぶ戻って来たと思っていたが、突然意思とは関係なく手指の力が抜けて、皿を落として割ってしまいカレーを地面にぶちまけてしまう。
通院していた病院のリハビリも、先月の時点で退院して半年経ったという事もあって一段落した。
今後は独自に生活の中でのリハビリを意識しながら仕事の復帰を目指す段階となる。
そんなこともあって、今までなら夫婦二人でテント出店を切り盛りしていたところを、大事を取って男性一人をヘルプ要員として加わってもらうことにした。
何ともないなら、二十代の愛想の良さそうなカワイイ女の子にバイトに来てもらい、店主自身のモチベーションをアップすると共にお客様の印象の向上を図るところなのだが、カターレ富山の出店は荷物が多く重い物が有ったりする。
コーヒーグラインダーを動かすための電源は持参の発電機を動かさなければいけない。
それが中にガソリンを入れた状態にした場合30kgを越える重量になってしまい、搬入搬出時には運転してきたクルマから上げ下ろししなければならず、ヘルプ要員は愛想やビジュアルを重視する訳にもいかない状況であると判断するに至った。
カターレの出店では、いつもの出店のようにカレーこそ出さないが、カレーに変わる「台湾魯肉飯」を出すことに決めている。
他にも10店舗以上の出店者がいて中には移動販売車で乗り付けてキッチンを現場に用意出来てる店があったりする。
この場所に於いては、カレーなど珍しくもなんともないのだ。
そして、魯肉飯も仕込みはカレー同様、前夜の作業となる。
約40人前を目安に、豚バラ肉を10kg買っておいた。
今年になって初めての購入。
9ヶ月ぶりの豚肉は、このところの情勢や物価高騰もあってか、以前の価格から20%も値上がりしていた。
これは魯肉飯の販売価格もそのまま反映して値上げして良いのではないか!? とも思ったのだけれども、今回で復活する久々の出店ということもあって、なんとなく値上げはしたくなかった。
ブツブツ文句を呟きながらも魯肉飯を仕込むためには豚バラの塊を切らなければいけない。
10kgの肉をおおよそ2cm角に切るのは右手がマトモに動いていたとしても単純に時間が掛かる作業だ。
溜め息を付いていても作業は捗らない。
重たくてウッカリ落としそうになる豚バラを無心になって切る。
先ず10L鍋に入る程良い大きさに切って、火が通る程度に下茹でをする。
その茹でたものを氷で冷やし、もしくは冷蔵庫で冷やしたものを包丁で切る。
生肉を切ることも出来なくはないが、脂身を蓄えた生のバラ肉は柔らかく脂で滑って切りにくい。
茹でて低温で堅くしたものを切るのが効率的だ。
途中何度も包丁を研いで、何度も湯で刃を洗う。
ステンレスの包丁が良くないのか!?
北京にいた頃、市場で肉屋の阿姨( アーイー:おばちゃん )が切り分けてくれる時の包丁はどこにでもあるような鉄製の錆びて焦げ茶色になった包丁だったが、驚くほど良く切れるものだった。
一度手を動かすだけでシャーッと切れていた。
切れない包丁を使うときは、包丁を鋸のようにギコギコやってしまう。
今のところ、下茹でして低温にした肉を切る方法がベストと思われるが、果たしてどうなんだろう。
とにかく右手を動かして切り続けるのが、生活の中でのリハビリとなる。
9月3日カターレ出店の当日は、生憎の雨。
それも結構真剣に降っている。
出店の準備の時だけでも止んでもらいたいが、自然相手では容赦ない。
店からコーヒーの道具や魯肉飯の鍋やらテントやテーブル、、、、久しぶりの出店でクルマに荷物を積み込む段取りが上手くいかず、出発をするまでに酷く時間が掛かってしまった。
決められた搬入時間を厳守しないと、スタジアム周辺に集まり行き交う観客の邪魔をしながらクルマを侵入させなければならず、場内を誘導する警備員さん達に大迷惑をかけてしまう。
だがしかし、スタジアムまでの道路は雨のため、富山市では珍しい渋滞を起こしている。
ワイパーを速く動かしても視界が悪く運転していて無性にイライラする。
事故になったりしないよう気持ちを落ち着かせ、なんとか搬入時間の締め切りを8分過ぎてスタジアムの入り口に到着。
ゲートに立ってる一人目の警備員さんに「すみません!遅れました!搬入に来ました!太陽珈琲焙煎本舗です!」と声を掛けたら、予定されてるテントの位置までの脇道へ誘導してくれた。
そのまま徐行して進んでみると、顔見知りの警備員さんが待ち構えていてくれた。
クルマのドアのウインドウを開け「すみませ~ん!遅れました~!」と叫び、小言のひとつも言われるんじゃないかと思いきや。
雨の中彼は小走りに近寄って来て満面の笑みを浮かべながら「お帰りなさ~い」と言って迎えてくれた。
今月半ば頃、北京から長期出張で主に東京に滞在している于智为が富山にやって来る。
美味しいものを食べにとは言ってるが、結局のところ脳梗塞を患ったオヤジの様子を見に来てくれるのだ。
7.11.2022
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
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入院
予想していた通り脳梗塞と診断され、直ぐに幾つかの錠剤を飲まされ点滴が始まった。
脳細胞のダメージがより大きくならないよう血液をサラサラにする薬を投与された。
ストレッチャーに寝かされたまま数人の看護師さんに囲まれ、「へぇ~、太陽珈琲さんだ!? 」「あの市電通り沿いのお店やろ? 」「前から気になっとたんよねぇ~」と歓迎しているがごとく愛想の良い対応してくれていた。
それぞれが現在の麻痺の症状を把握するために「私の手をギュッと握ってください」と言って来るので握り返そうとするのだが全然力が入らない。
病院に到着してから数時間の間もずっと緩やかに、状態は悪い方に進行し続けていたようだ。
そのまま入院することが決まって病室に運ばれた頃は既に12時を回ってたように記憶している。
当直の研修医のデスクの上に乗ってるモニターで、CT画像を見せられ脳の左側に霞が掛かっているその辺りにダメージが有るという事を確認した。
説明してもらわないと何も判らない。
当人自身には全く痛み等無い。
右半身が全体的に重たく感じ、右目の瞼が意図することなく下がって来る。
唇にも右側が歯医者に行った時に掛けられた麻酔のような痺れ、普段とは違う動きの鈍さを感じていた。
そのためなのか看護師さん達と話をするにもどことなく話しづらい。
もどかしい。
これが「ろれつが回らない」ということか!?
病室に入って少し落ち着いたところで、ふと我に返り、先行きが判らず不安に陥ってみたりし勝ちなものだと思うが、急に睡魔に襲われ寝てしまった。
左手は点滴右手は麻痺で身動きも出来ない。
テレビを見るでもない。
スマホでネットを見るでもない。
今後果てしない退屈な状態を過ごさなければならないのだろうと情けない気持ちになりながら落胆しつつも腹を括った。
とは言え、今まで体験したことのない新鮮な出来事に直面している。
一寝入りして、目が覚めてももちろん病室のベッドの上に居ることには変わりがないが、今を思えば差ほど気落ちしている風ではなかった。
午前3時頃だっただろうか、脳梗塞になっても当然尿意を催すものである。
病室に入った時に「何かあったらコレ押してくださいね~」と動かしづらい手元の近くに置いてもらったナースコールのボタンを思い出した。
でも、思った通りに手は動かない。
立ってトイレに行くことも出来ないに違いない状態で、どうやってオシッコするんだろう?
点滴をしている最中ということもあって、身体から管が出ているイメージが先行してしまい、このままベッドの上で尿を排出させるための「尿道カテーテル」を施されてしまう!? と勝手な妄想で占められてしまっていた。
何らかの原因で自力での排尿が困難な場合、尿道口から膀胱へチューブを挿入し、人工的に尿を排出させる方法だ。
10年くらい前だったか、まだ北京で生活していた頃、PM2.5の影響か何かで喉に違和感を感じて診てもらった時に鼻から胃カメラを入れられた事があった。
喉の様子を診るための内視鏡だ。
いわゆる口から飲む胃カメラのような黒い太い管状のものではなかったが、鼻は呼吸をするための場所であって管を出し入れするようには出来ていない。
かつて味わったことのない苦痛を強いられた記憶だけが残っている。
鼻はズルズル、目から涙も出てた。
それが、今度は尿道口から膀胱まで。
いったい何センチ有るんだ!?
想像を絶する苦痛を強いられる気がしてならない。
苦痛を恐れるあまりナースコールのボタンが押す気にならない。
でも、精神的な緊張感と共に容赦なく尿意が高まっていく。
もう少し待つか、今押すべきか!?
タイミング良く点滴の交換をするために看護師さんが来てくれた。
幸い少し年配の経験も充分そうな、婦長さんかもしれない威厳を持ち合わせた方だった。
点滴の交換が終わるのを見計らって、「あの……、トイレに行きたいんですけど」と恐る恐る申し出てみたら。
「あ、まだ動けないでしょ!? 尿器使ってね。」
とベットの脇に準備されていた柔らかい乳白色のプラ製尿瓶を差し出された。
「使った事無いんですけど……」
と応えると、
「ちょっと待ってねぇ~」
とすかさず新型コロナ対策なのか部屋の入り口に置いてあるビニール製の透明エプロンを付け、薄いラテックス製の手袋を嵌めながら、準備万端と言わんばかりに手袋の端をパチンと鳴らした。
婦長さんには全く躊躇は見られない。
むしろ戦闘態勢のスイッチが入った。
有無も言わさず掛け布団を剥ぎ、病衣の下からトランクスを下ろし、迷いの無い慣れた手つきで、親指と人差し指二本でひょい摘まんで尿器の入り口にあてがわれた。
不意を突かれ、声には出なかったが「ひぃ~っ!」って悲鳴を上げそうになった。
婦長さんは、再び上に覆うかのように掛け布団を掛けて「少ししたら戻って来ますね~」と言って部屋を出て行った。今のうちに用を足しておけと言うことか。
そうは言っても、半世紀余り生きて来て横になった状態で用を足した記憶が無い。
婦長さんの手際の良さのあまり、先程のように高まっていた尿意が一瞬落ち着いてしまったようだった。
些か踏ん張るかの如くなんとか尿器に用を足し、さてどうしたものかとひと息付くや否や婦長さんが「おつかされさま~」と再登場。
ドアの外で控えて待ってたのかと思うぐらいの絶妙で無駄の無い間での登場だった。
お陰で、入院第一夜、ダメージを受けていると思われる頭の中で膨らんでいたカテーテル導入の恐怖からはあっさりと逃れられ、そのまましっかり静かに眠りに就けた。
しかし、普段の生活に比べ病院の朝は早い。
一寝入りすると、朝食の配膳のために廊下を行き交う人達がいて自然と目が覚めた。
思いの外、病院食が美味く感じられた。
4.5.2022
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
For Enjoying Toyama Life !
OH, NO !
コロナ禍において丸の内店舗の営業はしばらくしない。
そう決めてから店舗内は、テント出店のための道具やら荷物やらで倉庫としての様相を呈している。
コーヒーを試飲してもらうお客さえも招き入れない方針なのだから、冬場の気温が低い日でも暖房は石油ファンヒーターで作業するときの自分の足下を温める程度にしていた。
今思うと、それも良くない原因のひとつだったのかもしれない。
お金を稼ぐのが仕事なのだから、請求書を書くのは「楽しい」という感情の部類にカテゴライズされモチベーションがいっそう上がっても良さそうなものなのだが、苦手な事務作業の中でも最も時間が掛かってしまい一向に捗ることがない。
区切りの良いところで一旦止めてランチにしておけば良かったのだが、ゴールがまったく見えて来ない嫌いな会計作業という事もあり沼に嵌まってしまって食べ損ねていた。
カウンター奥のコールドテーブルの中に何かあるかもしれないと漁ってみたら、カマンベールチーズが手付かずで丸々残っていた。
お手軽なので包み紙を剝いて一口齧り付き、再び作業に戻ろうとテーブルに戻ろうとしたら、ウッカリ右手の親指と人差し指からポロッと食べかけのチーズを床に落としてしまった。
「あ~~勿体ない! まだ一口しか食べてないのに!」と思いながら、しゃがみ込んで椅子の下に転がってしまったカマンベールを拾った。
「…………なんだ!?」
普段手に持ってるモノを落としてしまう事なんて滅多に無いので、瞬間的に不思議な違和感を感じた。
チーズを拾って、そのままゴミ箱へ捨てに行こうと一、二歩動いた途端、今度は目の前のAmazonの段ボールの空箱を積み上げた山へ頭から突っ込んだ。
その時は「くそっ!」と思いながらも、足がもつれたのは気になする事も無く、今度はチーズをつまんだままになってる右手の指が不思議と感覚が鈍いように思え気がかりとなった。
何かに手を打ち付けた記憶はない。
特に痛みが有る訳でもない。
そして、もう会計作業を続ける気は失せてしまった。
「とりあえず、コーヒーを飲もう!」
カウンター上に置いてあるデロンギの全自動コーヒーメーカーマグニフィカSのスイッチを入れた。
基本的にハンドドリップでコーヒーを淹れるのだが、ウチのコーヒー豆を定期的に購入してくれる飲食店さんが使ってるコーヒーマシンなので、店でもテイストやフレーバーを確認するために置いてみたがのだ。
これがスイッチを入れて間もなくボタンを押すだけでホットコーヒーを淹れられるのだから、ラクに使える余りそのままカウンターの上に鎮座しているシロモノだ。
そして、この日は、19:00~21:00で越中大手市場の定例オンラインミーティングの日でもあった。
18:00頃になって、妻が勤めている会社の退社時間が過ぎて良い頃合いになったので、一応オンラインミーティングがあるため、帰宅せずにそのまま店に残ることをメッセンジャーで伝えようとした。
スマホの文字を打つのにどうもミスタッチが多い。
捗らないのだ。指が太いからというような原因ではないミスだ。
指が痺れるという表現は的を射てない。
メッセージを打つ右手の指の感覚が鈍いのだ。
メッセージを打ちながら、この後店に残ることを伝える内容から右手の感覚が鈍いという内容に変化し、病院へ行ってみた方が良いというところまでの展開となった。
やがて30分程後、妻は会社から自転車を飛ばしてやって来てくれた。
店のテーブルに広げていた会計の書類やパソコンを片付け、暖房を消し電灯を消しながら病院へいく準備をする。
何かが進行して緩やかに体調が悪くなっていくような身体が重くなっていくようにも感じられた。
自家用車のN-VANを自分で運転して病院に到達出来たとしても、自走して帰って来られる自信はすっかり失われていた。
富タクへ電話してもらって、タクシーに店まで来てもらうことに。
東京と違って富山で流しのタクシーを都合良く捕まえられる事はまず無いと思って良い。
待ってる間、暖房を消してしまった店内は結構気温が下がり寒さを感じるくらいにまでなっていた。
ミーティングをドタキャンしてしまうことをメッセンジャーグループに送信し、タクシーを待った。
前もって銀行に寄ることも出来なかったので、タクシー代を支払う現金が足りなくなるのではと少々心配をしていたのだが、運転席の後ろのアクリルボードにPayPayが使えることを示すステッカーが貼ってあったので、安心して後部座席にぐったりして倒れ込んでいられた。
どんどん体調が思わしくない方へ向かい右半身が鈍くなって、顔や口でも麻痺を感じられるようになって来てるので、自分自身でも「いわゆる脳梗塞というヤツだ!」と判断するに至った。
ちょうど一年前、大学時代の同期のヤマグチが罹ったやつだ。
たまたま上京する用事があったので、病室まで見舞いに行って「血圧が高いのってヤバイよね~。明日は我が身だぁ~!」と、口では言っていたものの、まさかその一年後に本当に自分自身の身に降り掛かる事になるとは。全くの想定外の事だった。
緊急を要する事態とはこれっぽっちも考えずに「富山中央病院へ」と行き先を伝えたのだが、着いてみたら病院の受付で「今日は救急お休みなんですよ!」と残酷な返答。
富山市では、救急を受け持つ病院が定期的に交替するらしい。
呆れて冗談交じりに「死んだらどうすんだよ!?」と苦笑してしまった。
仕方なく富山市民病院へ移動せざるを得ない事態に陥り、あらためて妻にタクシーを呼んでもらった。
今を思えば、最初から太陽珈琲の店舗へ救急車を呼ぶべきだった。
そして、中央病院からも救急車に乗るべきだったのかもしれない。
かつて脳卒中と呼ばれる脳血管障害は、発症したと思われた時点から身体を動かさず安静にしなければならないとされていたようだ。
ところが、現代医療では対応がアップデートされ、発症からとにかく早期に発見され対処されることにより重症化を避けることが出来るとされている。
結局、富山市民病院の救急センターで診てもらえたのが右手からチーズを落として4時間後。
救急の医者の第一声は、その場に居合わせている患者の気持ちに対して配慮している暇など無いからなのか「発症したのは何時? ギリギリだなぁ~!?」というオブラートに包まれていないナマの発言を聞かされる事になった。
救急外来のエリアでは何人もの患者と思われる人が横たわっており、医者や看護士が小走りに動き回って対処している。
家族は中に入れてもらえず廊下で待っていなければいけなかったようで。
自分は気が付くと、いつの間にか着ていた服を全部脱がされ、前開きの浴衣のような病衣に着替えさせられていた。
部屋の奥の方では、小さな女の子が「イターイ~、イターイ~」と泣いていたり、首が動かせる範囲の見えるところでは頭から血を流してる老人が呻き声を上げていた。
ドラマや映画で見たことのあるような光景の中、ストレチャーに乗せられたまま病院の廊下を移動して、CTやら心電図やら採られていた。
ストレッチャーに乗ったまま仰向けになって目を開けてると、移動してるからなのか具合が悪いからなのか、目が回るようで気持ちが悪い。
就いてくれた研修医がモニターでモノクロのCT画像を見せてくれた。
自分自身で上から見たの脳幹部の左側に薄黒くくすんだ部分を確認した頃には、しっかり右半身の麻痺をも自覚出来るくらいになっていた。
当然そのまま入院することになり、いろいろな手続きが進められる中、看護士が書類を持って来て、なんの気兼ねもなく「臓器提供の意思登録されてますか?」と尋ねられた。
つい先程まで右手から落としたチーズを勿体ないと思っていたところに臓器提供とは、思いも因らない質問に不意を突かれ、一瞬時が止まった。
最近では運転免許証の裏面に臓器提供意思表示記入欄が儲けられており、意思表示出来るようになっていることは知識としては知っていた。
また、それで意思表示をしてはいなかったものの、提供するなら煙草を吸う習慣がなかった者としては肺が綺麗に違いない。
ぷりぷりで断然オススメだなとも思っていた。
だが、「エッ!? 脳死の可能性があるの?」と思わず問い返してしまった。
それくらい、今自分が置かれている現状に対する認識が伴っていなかった。
普段から血圧が普通より高いという自覚はあったが、健康診断など10年以上受けたことがなかったし人間ドックなど考えたこともなかった。
「病気」というものは、医者の診断によて病名を名付けられるから病気になるものだと思っていた。
入院が決まって、病室のベッドの上で測ってもらった血圧は上が220。
自分でも今まで聞いたことがない数値だった。
2.5.2022
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
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越中稲荷神社
七年目となる越中稲荷神社での初詣テント出店。
毎年やることは同じでも、年齢を重ねるごとに体力的にキツく感じるようになってきている。
逆に、テント出店せずに新年を迎えた感じになれなかったりもする。
それにしても、去年は辛かった。
例によって夫婦して大晦日よりテントを設営し早々に訪れる初詣客を迎えた後、人が途絶えたのを見計らって一端休憩の為その場を離れた。
その後の予想を遙かに上回る大雪に、柔なタープテントは数時間降り続いた雪の重みに耐えかね、それぞれの足がグニャリと曲がり開脚してしまって潰れて全く用をなさなくなってしまっていた。
そのため、しばらくしてその場に戻って来て、一月一日の元旦から雪で潰されたテントの残骸の中からコーヒー機器を救出し、壊れたテントを束ねて処理し、疲れ果てて営業再開に漕ぎ着けるという無駄な労力を使うことになってしまった。
その後も大雪は続き、富山市の主要道路は除雪が全く追いついておらず、自分も4WDのエルグランドに乗っていながら雪に足を取られスタックし、保険会社のロードサービスにレスキューコールするもロードサービスの車両自体も現場に駆けつけられないという理由で、結果的にロードサービスにも見捨てられてしまった忘れられない大雪の日、1月18日だった。
そして、今年2022年寅年。
聞いたこともなかったラニーニャ現象だかの影響で早々にまた大雪になる事が予想され、学習した富山県民は、雪で屋内に閉じ込められても良いようにと非常食や水、インスタントラーメンを買い込んだ。
自営業で客商売を営む者は広い面積の駐車場を所持し管理していがちなものなので、秋くらいから大型特殊免許を取得し除雪用のホイールローダーを操作できるように備えたりしていた。
果たして、不意を突かれた去年と比べると全く足下に及ぶものではなかったのだが。
ウチの場合は、昨年まで乗っていたお気に入りのディーゼルのエルグランド4WDは5月に車検がやって来てしまって、幾つかの修理箇所を直して車検を通すよりかは新しいクルマのローンの足しにするべく修理代を新車に充てた方が経済的だと周囲から説明され、苦楽を共にしたエルグランドと別れ、泣く泣く乗り換えることを決意した。
次に選ぶは N-VAN 。
軽自動車にしたのはいつまで続くかサッパリな景気への燃料費軽減対策とペーパードライバーと化して移動にいささか不自由に感じ始めている妻が運転を試みるキッカケになればという思いから。
日本に於ける車検制度を踏まえると、お気に入りなクルマがあったとしても古くなって乗り続けるのが難しい。
古くなったクルマを直しながら乗るというよりは、どんどん新しいクルマに乗り換えさせる方針なのだと感じた。
そういう国策なのだ。
そして、今後、燃料など日本独自で価格を決められるものではない。
ましてや世界は電気自動車にシフトしつつある。
10年後ガソリンエンジンの自家用車に乗っていられるとも限らない。
とはいえ新しい電気自動車には飛びつけないし、そもそも好きじゃない。
むしろ嫌いだ。
日常の移動手段として使う道具としては経済的でエコで進歩的でもある。
でも、クルマは何か有った時の非常時にこそ役立って欲しい道具である。
洪水で辺りが水没した時、土砂崩れや地震や災害時の足場が悪いところ、富山のように大雪が降ったりする地域にとって自然に対して気を引き締めて生活しないといけないツールである。
そう考えると電気自動車というものは大きく考えの偏りがあり、イザとなった時には使えない粗大ゴミとなったりする。
そして、この新しい N-VAN 。
このコロナ禍の御時世なのか世界情勢なのか、半導体やら部品が工場に揃わないという理由で、納車までに6ヶ月余り、12月上旬になってやっと富山の路上で運転出来るようになったのだった。
当然言うまでも無くこの N-VAN も4WD。
冬のデビューとなってしまったが何の心配も要らない。
重要なのはテント出店で持ち運ぶ荷物たちを積んで現場まで運べる能力。
カジュアル系軽貨物自動車なので、荷物のレイアウトを工夫すれば先のエルグランドとほぼ同じくらいの荷物を載せられる。
更に、燃費も良い。
優秀君だ。
大晦日。
荷物を積んでイザ越中稲荷神社へ。
既に30cm近くの積雪があったが、非常に首尾良く22時には営業を始められていた。
店開きを終えるまで N-VAN を設営したテントに横付けにしていたでので、傍若無人にいつまででも駐めておける訳もなく、予定していた駐車場へと移動させることにした。
行ってみると、その駐車場いや、もとい空き地だ。
その空き地は、入り口から辺り一面に真っ白のフワフワの新雪になっていた。
そういう綺麗な新雪には無防備に身を預け、思い切ってダイブしたいもの。
今回運転し慣れていない N-VAN に乗っていたにも関わらず、そんな衝動に駆られてしまったのだ。
新雪の中に、新しい N-VAN で「うぇ~~~ぃ!」だ。
N-VAN はちょうどクルマ一台分くらい突っ込んだ所で止まった。
全然問題ない。
この N-VAN は四駆なんだぞ。
、、、、、、、「あれっ!?」
最近の新しいクルマはデジタル制御されていて、空回りのようなタイヤに無駄な動きをさせないためなのか理由はさっぱり解らないが、アクセルを踏み込んでもタイヤが回ってくれる気配が無い。
スタックしたぁ!!!!
首尾良く開店出来たので,スタックから脱出するのに時間を費やすのは勿体ない。
N-VAN をそのままにして、徒歩でテントに戻り、カウントダウンをする間もなく新年2022年を迎えた。
2021年1月18日、大雪でエルグランドが動けなくなってしまい、ロードサービスを呼んでも来てもらえなかったことを決して忘れない。
あの時ほど大雪ではないにしても今回の N-VAN のスタックは、1月1日元旦である。
世の中の動きが止まっている日。
多くの人々はお雑煮喰ってお屠蘇飲んでテレビ見てゴロゴロしてるに違いない。
誰か初詣に来るついでにレスキューしてもらおうと思いつき、Facebookのタイムラインを見た。そうしたら、土偶が、自宅玄関先に積もった雪を除雪してる様子をアップしたばかりだった。
2022年令和4年初のラッキーが訪れてくれた。
午前中のうちに牽引ロープを携えハイエース4WDで駆けつけてくれ、 N-VAN は難無くスタックから脱出することが出来た。
12.5.2021
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太陽珈琲PANGBIAN
2021年11月30日午前0時から当面年末まで、日本は全世界からの外国人の入国を原則停止することを決めた。
新型コロナウイルスの新たな変質株「オミクロン株」の感染が各国に広がっている為だ。
富山県に住んでる者としては、正直なところ報道や都会の様子との温度差を感じざるを得ない。
11月に入ってからの富山県は新規感染者0人の日が長く続いており、27日県外の滞在歴がない70代男性が1人軽症で入院されたことが26日振りのニュースとなった程度なのである。
天気に恵まれた日曜日11/28の毎月レギュラーで参加しているイベントでは、普通に外出出来ることを待ち侘びていた親子連れで溢れかえった。
街に人出が戻り、閑散としていた飲食店にも少しずつ人が戻って来ている様子。
この秋で、太陽珈琲焙煎本舗が入ってる建物の他のテナントさん達は廃業され、最終的にウチだけが残ってしまった。この建物の大家さんは、冗談交じりに「隣も借りてくれないか!?」と言うが、今のこの場所の集客能力と家賃が見合わないと思っている最中、店舗面積と共に固定費の家賃を二倍にしてマトモに存続出来る自信がない。
もうこの場所で、コロナ禍以前と同じようにコーヒー豆の焙煎をして販売する店を再開する気になれないのだ。
そして、異常気象の影響か日本海側に、昨年に引き続き今年もラニーニャ現象で大雪が予想されている。
昨年の災害レベルのような大雪をイメージするなら、一般庶民は自宅に閉じ込められ生活必需品すらも買い物に出掛けられなくなる。
もう元には戻れないのだ。
店を構えて胡坐をかいてお客を待っている場合ではないのだ。
今は、人が集まる場所やイベントに出向いて出店する方法を選んで、ギリギリなんとか存続出来ている。
今後この状況を更に好転させるには、、、。
時を同じくして、ひとりの演劇人からメッセンジャーに連絡が入った。
「六渡さん、お元気でしょうか? 11月終わりから12月第一週までのどこかで富山でステージやらせていただくことは出来ますでしょうか。」
コレは、富山のステージを牛耳っているヤツ宛のメッセージなのか!?
次の一手を考えあぐねている矢先だっただけに、思わず笑ってしまった。
忘れもしない2020年3月28日、公演予定だった『ひょうげば富山+しめんげき』公演の中止を余儀なくされ、今度は2021年12月19日『清水宏の帰ってきたスタンダップコメディ~富山の皆さんお久しぶりです公演!』で演劇部門を再始動することになった。
俳優でありスタンダップコメディアンである清水宏氏の三度目の来県となる。
彼の事は知る人ぞ知る、2010年から英語でスタンダップコメデイを始め、世界最大のシアターフェス、イギリスのエジンバラ・フリンジ・フェスティバルに参加。
英国の大手新聞社THE TIMESの取材を受け、全国版に特集された程の人物だ。
前回富山に来てもらった時は、太陽珈琲焙煎本舗の店内にぎゅうぎゅう詰めで25人程。
駅前にある小劇場やホールを持つ地方公共団体の施設は、コロナの影響に非常に敏感で利用するにはリスクも大きい。今回は、当店の隣の物件がちょうど空いているので短期間借りることにして。
会場名は「PANGBIAN」中国語で「 旁边 (隣) 」の意味。
密を避けて30人程2ステージ行う。
中止した『ひょうげば富山+しめんげき』公演の時と同様、新型コロナ感染防止対策は抜かりなくしっかりやるつもりだ。
動員数は多いとは言えない数だけれど、自分の意思を持ってフットワーク良く出来るところから、少しずつ動き出す。もし再びコロナが蔓延して状況が悪い方向へ向いたとしてもなんとか切り抜けられる感がある。
そんな現状に突破口を開いてくれるような熱い男が富山にやって来る。
11.5.2021
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直径32cmの半寸胴鍋
既に記憶が曖昧になってきているが、2020年3月28日に企画していた『ひょうげば富山+しめんげき』公演を新型コロナ感染拡大防止を鑑みて泣く泣く中止にして、その流れの中で太陽珈琲焙煎本舗の丸の内の店舗営業も自粛を理由に一般向けには休業にしてしまって久しい。
一方で、屋外に於けるマルシェやイベントのテント出店を積極的に行っているため、店内はそれらの荷物の置き場所となりコーヒー豆の焙煎作業場&倉庫と化している。
ある時から思い立ってスパイスを使ったカレーを作るようになり、それをテント出店の場でも提供するようになった。
客単価を上げるためというのが建前のひとつで、実のところは作っていて楽しいからでしかない。
今日は、某社の社員寮で行われる「カレーの日」イベントで提供される何種類かの一部として、2種類のカレーを50人前ずつ作って納品した。
「バターチキンカレー」と「豚肉と大根のカレー」。
どちらも50人前となると相当な量になる。
いつも使っている直径32cmの半寸胴鍋が23Lなので、確実に20L以上の内容になっており重さは20kgを越えるものとなっている。
高さが80cm程あるガスコンロからその鍋を下ろす時、一瞬たじろいでしまった。
重いのである。
重い物を持つ時は、気合いを入れて膝を曲げて真上に立ち上がるようにする。
決して腰を支点にして持ち上げてはならない。
もうこれは、コーヒー屋の仕事じゃないな。
新型コロナに直面して、世の中はもう以前のような元通りのカタチに戻れないだろうし、業態を変えてしまう事くらいを考え、やれる事をやって生き残れば良いと思う。
もう25年も前のこと。
90年代。
まだフィルムを使って撮影をする時代だったこともあり、写真を撮影するためには多くの重たい機材を持って出掛けなければならなかった。
今でこそ撮影するカメラはデジタルになり、照明機材はコンパクトになり軽量化された別のものに変わった。
当時周囲の先輩カメラマン達に「カメラマンは30前後で必ず腰を痛めるから」と散々注意を促されていた。
世の中がバブルで景気が良かったこともあって、まずは自分なりの腰痛対策としてスポーツジムに通うことにした。
新宿高層ビルの中にあるジムで入会金だけでも30万円くらい払った記憶がある。
「職業、フォトグラファー。仕事の後はスカッシュ。UFO信じる。……」
バブル時代の広告のコピーに習ったつもりは無かったが、特に何も考えずスカッシュを始めることにした。
でも、これがいけなかった。
右手にラケットを持ってスウィングする。
この片方向に偏る運動を繰り返すために、やや腰痛を抱え始めた者にとって本格的な腰痛持ちになってしまったのである。
後に、結局三日坊主のごとくスポーツジムには行かなくなってしまうのだが。
次に、何かメンテナンスを施さなくてはと思い、当時住んでいた恵比寿から徒歩で通える整体院を探し出した。
今のようにネットを使って評判を検索する術も無かったので、電話帳を使って恵比寿周辺の何軒かに電話して様子を伺った。
一度に回数券を購入させられるところもあれば、健康保険が利くところもあり、いろいろ選択に迷うところではあったが、一軒だけ掛けると留守番電話になり「施術中は電話に出られません。こちらから折り返し電話をしますので電話番号をお知らせください。」といった内容のメッセージが流れた。
単純に一人だけで営業しているのだと想像出来るが、施術を中断されるであろう電話を取らずに目の当たりにしている患者を一心不乱に診てくれるような気がして、そこに行く事に決めた。
その後、何かに付けて整体に行くようになり、その頃はいわゆるギックリ腰にはならずに生活することが出来ていた。
2005年より北京に移住して。
2008年の北京オリンピックを終えるまでは日本から依頼される写真の仕事で辛うじて食いつないでいた。
時折、現地の雑誌の仕事もしたりして、未だフィルム撮影もしていたけれど、現像所の仕事が粗い。
シビアなオーダーをしても応えてもらえない様子だった。
自然とデジタルでの撮影の比重が多くなった。
一眼レフで撮影するスタイルは大して変わるものではないが、メディアが変わるだけで持ち歩く撮影機材が変わっていった。
フィルムに対するノスタルジックな思いを抱えながらも、撮ってイメージを伝える作業には変わりがないんだと自分に言い聞かせ次第に移行していった。
そして、2006年頃からカフェに興味を持ち始める。
普段の生活の中で、基本的な移動はタクシーを使うのが便利だった。
バスは更に安い料金で利用出来たはずだったが、バス停でバスが来る時間を待つのが嫌で我慢出来なかった。
日本で生活していた頃のように重たい写真機材を持ち歩く機会が少なくなったとはいえ、やはり腰に不安を覚える事は多々有り、いくつかの鍼灸治療院と出会うことになる。
大企業の駐在員さんならば会社の経費でセキュリティがしっかりしている綺麗なマンションに住むのが普通なのだが、こちらは物好きな個人が海外生活をしたいがために渡航しているので、経済的理由から普通の中国人が住むローカルのアパートに住んでいた。
日本では殆どの家庭に風呂があり、風呂場には湯船があるのが疑いようのないのスタイルだ。
海外でしっかりしたホテルは別として、安いホテルやアパートにはシャワールームが有ってもたっぷりお湯を使う湯船があるところは滅多に見掛ける事は無い。
北京で住んでいたローカルアパートも御多分に漏れず、シャワールームには湯船が備え付けられていなかった。
入居した当時は北京オリンピック前で未だ物価が安かった事もあり、湯船だけ自前で購入しようかとも考えたのだが、排水溝の作りがあまりに陳腐で、仮に湯船をシャワールームに入れられたとしても湯船に溜めた湯を一気に排水した場合排水が追いつかずシャワルームから大量の湯が溢れ出てしまう事が明らかで、湯船の購入は断念せざるを得なかった。
北海道よりも寒いかもしれない北京に於いて風呂が無い生活は、たまに高級マンションの敷地の一角に有るスーパー銭湯のような場所を利用してはいたものの、日頃の生活から自然とカラダが冷えてしまい、特にウィークポイントになりがちな腰にはかなりのダメージを与えていたと思われる。
また丁度四十肩に見舞われてしまう年齢でもあった。
実際、北京で生活している時に初めてギックリ腰になってしまう。
初めての体験でも、これがギックリ腰なんだと瞬時に自覚出来るくらいピキッと来るものだった。
そして直ぐに痛みのあまり動けなくなった。
仕方なく最寄りの鍼灸治療院で評判の良い中国人の先生の治療を体験する。
疲れが溜まったた腰の部分の良くない悪血を出す治療で、腰の患部の辺りを鍼で傷つけガラス製カップを使って悪血を吸引するのである。
その時は、ハンカチくらいの白い布が真っ赤になるくらいの血が出た。
加えて整体のような治療も受けて、その時は比較的短時間で難を逃れられたと思われる。
その後、中国に鍼灸を学びに留学している日本人の先生と出会えたのは本当に運が良かったとしか言いようがない。
確実に言葉が通じて微妙なところを理解してもらえる安心感は非常に大きなものだった。
お陰でその先生には腰や肩の痛みに限らず、主治医のごとく何かにつけカラダにネガティブな感覚を覚える度に診てもらっていた。
風邪が悪化して高熱を発している時は、耳から悪血を出して解熱を促したり、花粉症の時は箸のように長いステンレスの鍼で鼻の奥の炎症に働きかけてくれたりもした。
西洋医学の薬は痛みに対して、痛くないように薬で対処するものだが、この東洋医学はカラダの痛みの原因を改善するように働きかけてくれるものだった。
特にこの先生の鍼に関しては、カラダの中で眠っている神経を鍼の刺激によって呼び覚まして元気を与えてくれるものだった。
秋が深まり気温がグッと下がり始める季節になると、ぼちぼちカラダのメンテナンスが必要だと感じる。
10.5.2021
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
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黒いやつらがやって来た!
新型コロナが蔓延し始めた2020年春より、太陽珈琲焙煎本舗の丸の内ある店舗は通常の営業を止め、店以外の屋外イベント、マルシェや蚤の市での出店を積極的に行ってきた。
当店はコーヒー豆の販売とコーヒーの抽出機器の販売が主で、有料によるコーヒーの試飲を目的として来店されるお客も若干数ながらいた。
富山でも地方自治体の助成金を申請して店内にコロナ拡散防止対策考慮した工事を早々に施すお店が多い中、新型コロナが終息したとしても、もう世の中は元通りには戻らないと踏んだ。
しばらくはヤレることをヤルのみ。
様子を見ることにして、場合によっては業態を大胆に大きく変更をする必要もあるかもしれない!? と。
毎週土曜日は黒崎屋さんの店先に出店させてもらっている。
富山市と高岡市を結ぶ国道8号線の南側に位置している魚屋さん。
独自の仕入れルートがあったり、魚を神経締めする手間を惜しまないからなのか、普通のスーパーマーケットに入ってる魚屋さんなどとは大きく差を付けて身が締まった刺身を提供してくれる。
全然違うのだ!
黒崎屋さんの営業は月曜から土曜、09:00~19:00。日曜は河岸がお休みなのでお休み。
富山市内の多くの飲食店さん、時にはお寿司屋さんまでもが開店前から店先に並んで扉が開くのを待っている。
朝イチの09:00に扉が開く前に並ばれる飲食店さん達は、魚丸ごと一匹とか柵で購入される。
特別な予め注文が入ってる魚達は裏口からやり取りされ、午後になると一般のお客さん用にお造りにされたパッケージされた状態で店先に並ぶのである。
そして、富山市近郊の農家で栽培されている季節の野菜や風変わりな野菜も売られている事も忘れてはいけない。
赤い大根や白い苦瓜など単純に珍しい野菜が並ぶので店内を見るだけでも楽しい。
それら、富山県内のいくつものミシュラン星獲得レストランの食材として提供されている。
( あ! 太陽珈琲焙煎本舗のコーヒー豆も、ミシュランの星を獲得されてるレストランに卸してます。)
そんな農家さんの一人、青ちゃんの家で7月30日猫が12匹生まれた。
以前から、何気なく「黒い猫が欲しいな~!」などと言ってた事を覚えてもらっていたらしく、その12匹の中に「黒っぽいやつが2匹いるよ!」と連絡をもらい、即決。
迷わず2匹とも引き取ることにした。
大学を卒業した頃、東京で生まれて目が開いたばかりの子猫を2匹拾ってしまって、そのまま育てることになった経緯もあったので、今回も何かしらの縁があったように思えた。
生後4週間後親猫の母乳でしばらく育てられてから、2匹はウチにやって来た。
ちょうどミルクから離乳食へ移行するタイミング。
30年前飼っていた子猫達にも哺乳瓶でミルクをやっていた記憶があるが、離乳食などどうしていたのか全然覚えていない。
あらためてネットのブログやらYouTubeで確認してみると、時代が変わって猫達の地位はカナリ向上したように思える。
まず出自がハッキリしない野良猫に近い立場の猫は、獣医師に診てもらって健康診断してもらうべきだという事を知った。
猫もHIVや寄生虫など感染症に罹ってる可能性があるので、血液検査をしてもらったり身体検査、尿検査、便検査をしてもらうようだ。
それに、ミルクの後は適当に猫マンマを与えておけば良いという安易な認識だったが、どうも人間の食べ物を与える事が猫にとっては塩分の関係で腎臓に悪影響を及ぼしてしまうらしい。
良いタイミングで猫用ケージを譲ってもらったりもして、2匹は自宅で留守番をする形で飼う予定だったのだが、トイレの習慣を身に付けてもらわなくてはいけないし食事の時間や回数の事もあるので、しばらくキャリーバッグに入って一緒に出勤している。
店に置いてあるケージの中で寝ている時は静かで何の問題も無いのだが、起きてる時はケージの中で走り回って大運動会である。
こちらが焙煎をし終えた後ケージを覗いて目が合ったりすると、「腹減った~!」とか「ココから出せ~!」とか「遊んでくれ~!」とか、2匹揃って容赦なくニャーニャー訴えて来る。
そうなると、ほぼ根負けして彼らの言うことを聞き入れてしまう。
彼らがウチにやって来て一ヶ月足らず、すっかり猫の親バカの出来上がり。
2匹とも雄。
クロネコの大和 ( ヤマト ) とクロネコの端午 ( タンゴ ) と名付け、家内安全、商売繁盛、ウチの招き猫に就任した。
9.5.2021
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
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コロナ禍のオーディション
北陸の中でも比較的人流が少ない富山ならばきっと大丈夫だろうと誰もが思っていたはずだ。
今までは常に石川の方が感染者数は多く、北陸の中でも観光地であり普段から人流が絶えることがない金沢がダントツで密になる都市である限り、富山の感染者数はそれらの足下にも及ばないものだとばかり思っていた。
そうして、五輪が実施されるなら、夏休みが始まったから、お盆になったからと8月に入った途端、富山市内の主要な道路では県外ナンバーのクルマを頻繁に見掛けるようになり、家族ぐるみで利用するようなファミレスや店舗面積の広い回転寿司屋などが書き入れ時の時間帯になると普通に満席になるようになっていた。
そして当然の結果、富山県内の一日の感染者数は100人を超えるようになった。
今年2021年8月10日には県内で感染者や入院者の増加が続いているとして、県独自の感染拡大特別警報(富山アラート)を発令したが、その後も県内の感染拡大に歯止めが掛からず、8月16日には富山県感染拡大特別警報の警戒レベルはステージ3に引き上げられた。
また、8月20日から9月12日まで県内全域の約4千店を対象に午後8時以降の営業自粛を要請。
富山市を軸に まん延防止等重点措置の適用地域となった。
こんな最悪な状況まで想定されていたかどうかは判らないが、富山県と石川県で某映画のキャスト、エキストラの選出目的での公開オーディションが8月27日、28日、29日の三日間予定されていた。
公募要項には、コロナ禍であることを考慮し動画審査の受付も⾏うとも書いてあった。
となると、直接面接を受けるより、動画での応募者の方が応募者側に手間が掛かるだけに、監督を始め審査をするスタッフに印象深く目に留めてもらえる可能性が高いと推測される。あとは日程さえ合うのなら、映像を送った後に駄目押しで直接面接会場に出向きオーディションを受けても良いのだ。
まずは自分で印象深い動画を撮ることが必要だ。
昨年から興味を抱いて最近購入したiPhone用ジンバル・スタビライザーを使って動画の撮影をしようと思いついた。
iPhoneのお陰で写真も動画もお気軽に撮影出来るものになって久しい。そのiPhoneの動画の撮影とはいえ、スタビライザーを付けて映像を見る時に煩わしく感じる手ブレ振動を除去してやりさえすれば、整然とすっきりした映像に見えるはずだ。
ましてや映像のプロならそれらの映像の工夫が加えられたものだと気付くに違いない。
むしろ気付かないような撮影組には関わらない方が良いはずだ。
DJI OM 4 COMBO、iPhoneに専用アプリをインストールして起動させると、かなり優秀なビデオシステムになってくれる。
ひとりで撮影するので、自撮りモードにして内側のカメラを使い、自分の顔を認識記憶させてやるとその後はそのまま被写体の顔の位置を把握し追尾フォローしてくれる。
テーブルの上に付属の小さな三脚を立てて固定してやれば、人物の上半身のちょっとした動きに応じカメラ任せで顔を追いかけてくれる。
機能を判っていて購入しているのに実際チョコチョコっと設定して期待している映像が撮れてしまうと「オ〜〜!」と自然と声が漏れてしまう。
収録する内容は、「自己紹介(約30秒)」「好きな映画、ドラマの台詞の朗読(約30秒)」
「特技・アピール(3分以内)」3点にも関わらず、カメラの追尾機能が面白くて無駄に動いて撮ってしまった。
映っているのは、オーディションの領域から大きく外れ、もう単なる挙動不審なオッサンでしかない。
世の中的にあまり実績が無いと思われる動画審査なだけに、何かデータに問題が有った時のため、締め切りを待たず映像データを制作会社の担当者宛でギガファイル便を使って送った。
案の定、映像データ送信後数日経ってもギガファイル便の送り先相手がデータをダウンロードした確認の通知が全然こちらに届かない。
絶対何か問題があったに違いない。
まぁ、写真撮影の仕事をする時にもなんら起こり得るトラブルだ。
想定内のこと。
そうこうしている内に、周囲のオーディション仲間たちの何人かは面接の日が決定したとか、オーディション会場はどこだとか、今回の出演者は未だ公表されていないとか、ネットなどでは知らされていないはずの新しい情報を得ている。
何かのトラブルで観てもらうべき動画が先方の審査スタッフに到達していないなら、まずは確認して直接面接でなんとかリカバリーしてもらうしかない。
問い合わせ先に電話してみると、予想は的中していた。
電話に出てくれた若い女性が制作アシスタントのようで、話しぶりから察するにまだ現場の経験が浅い。
今回が初めての現場なのかもしれない。
更に今回のオーディションの応募者が想像していた以上に多数だったため、それらの処理が間に合ってなさそうですっかりパニクってる雰囲気を醸し出していた。
映画やドラマの撮影現場には、ひとりやふたり居勝ちなタイプだ。
こうした場合、狡猾なオッサンは、ここで若い女の子をやり込めたりするような事は決してしない。
優しく宥め賺し、味方になってもらって、再度なんとか自分の映像データを観てもらえるようメールアドレスなど再確認して再送出来るよう丁寧に取り計らった。
そして、8月27日(金)午前中に金沢某所にて直接面接のオーディションを受けられるよう漕ぎ着けた。
あらためて受け取ったメールには、日程や場所の決定事項に加え「オーディション会場でのコロナ対策」が添付されていた。
オーディション会場に来る前には、検温など体調管理すること。
過去2週間以内に感染拡大が続いている国や地域への訪問歴があるなど、健康に不安がある場合来場を控えろと。
次に、オーディション会場への来場時には、各自必ずマスク着用。
ロビー備え付けの手指消毒液の使用。ハンカチ・ポケットティッシュを用い咳エチケットを遵守。
受付で検温をし37.5℃以上の場合スタッフへ申し出ること。
飛沫感染予防の観点から審査中もマスク着用。
自己紹介の際には飛沫防止のパーテーションの中でマスクを外してもらう可能性があること。
会場内で待機や入退室の際可能な限り周囲との間隔を確保すること。
会場内の換気の実施。
等々。
だが、既に富山は感染拡大が続いている地域なのでは?
日本が全国的に未だ感染拡大しているのでは?
監督始め制作スタッフたちは、パラリンピックを強行している東京からやって来ているのでは?
奇しくも、8月27日(金) は、映画『鳩の撃退法』全国公開の日。主演、藤原竜也。
この映画、昨年2020年春、富山出身のタカハタ秀太監督によって、すべてのロケが富山で行われたもの。
コロナが全国的に広がり始め、撮影スタッフたちが慣れないマスクを付けて煩わしく感じながら動いていた頃である。
コロナ禍が映画公開になる頃まで未だ続くとは誰が予想していただろう。
一瞬だけれど、バケツを蹴り飛ばす荒っぽい作業員の役で出演しているはず。
映画本編のストーリーには大きく関わらない台詞をしゃべってるので、そのシーンを丸々カットされてしまってる可能性も無くはない。
台本上の決められた台詞は与えられていなかったのだ。
撮影当日、いや、まさに撮影現場で、その場での思いつきのアドリブで本編とは関係ない台詞をしゃべってる。
午前中に金沢のオーディションを受けて、直ぐにも映画館へ駆け込みスクリーンに映ってる自分を確認したいところだが、明日8/28(土)はカターレ富山のホームゲームスタジアムでの屋外出店があり、しっかり前日の仕込みをしなければならない。
コロナ禍に於ける大事な大事な収入源となるだけに、これはこれで魂を込めて。
8.2.2021
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コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
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新記録更新
2021年7月31日、東京都が新たに発表した感染者は過去最多記録を更新し4058人。
全国で確認された感染者は急拡大を遂げ1万2342人。
五輪開催中とはいえ、この記録は更新されなくて良い数字だ。
少なくとも7月中の富山は感染者の増加が落ち着いた様子で、県外からの来訪者との接触があったり出張などで上京していた者だったり、感染の原因がある程度突き止められるものだった。
それが、二桁になったかと思いきや20人を超えている。
富山県全域に新型コロナウイルス感染拡大警報(富山アラート)も発出されている。
最も腹立たしいのが、大会組織委員会の武藤事務総長は8月1日の会見で感染拡大と五輪の関連性について「菅総理大臣も小池都知事も因果関係を否定していて、私もその考えに同調している」と述べているらしいのだ。
昨年からの新型コロナに関する対策などすべてが五輪を優先して講じられて来ていた。
そして、世界的にデルタ株が拡大している最中、東京に於いては緊急事態宣言が発令されている最中に五輪を強行開催していて、五輪との関連性が無いなど誰が信じると思っての言動だろう。
一貫して支離滅裂で矛盾した愚策。
世界的な大イベントのために大勢の人々が時間と労力を費やし天井知らずの予算を投じてしまって、こうしたこの上なく重たい舵を反対方向へ大きく切ることの出来る器の大きな人物は今の政治家の中に居ないのだろう。
太陽珈琲焙煎本舗は、第一回目の緊急事態宣言が出された頃、2020年3月13日辺りから今までずっと店舗を閉めた状態です。
一方で、屋外に於けるイベントに出向いてテント出店する営業にはむしろ積極的で、仮にコロナが終息したとしても、今後そうした移動販売を主な営業として考えるつもりでおります。
店舗を構え、ふんぞり返ってお客さんを待つような時代では無くなったのだ。
コロナが終息したとしても、もう元の生活や仕事のやり方には戻れないでしょう。
変化することを恐れず、新しいカタチを求めて変身し続けることが今後の仕事に必要と思われます。
新たに移動販売させてもらえるイベントが行われる場所を見つけた事もあって、8月末には今までのレギュラーに加え更に一カ所で大きく稼ぎ出す意気込みが生まれてきている。
今はそれらの準備として主催者側と連絡を取り合い、出店する際の商品の写真や宣伝文をやりとりしたり、お互い協力しあってイベントを盛り上げようと静かに情熱を燃やして頑張っている。
今までは、自家焙煎のコーヒー豆を使って挽き立てのハンドドリップコーヒーを淹れ、前夜ほぼ寝ない徹夜状態で毎週異なるこだわりのスパイシーカレーを作り続けて来た。
緊急事態宣言だろうが富山アラートだろうが、仕事としてはやはりお客さんに集まって来てもらう事が大前提である。
反発心と自分自身の中のモチベーションがどんどん盛り上がってきていることもあって、ついに伝家の宝刀を抜かなければならない時が来たような気もする。
とはいえ、このまま富山県内の感染者数が増え続けたり国内の感染者数の記録を更新し続けたりすると、そうした人を集客するイベント自体が中止となってしまう。
そう、普通のイベントなら中止にして感染を拡大させないよう人命を優先するのだ。
チケット収入が無いなど予算に見合わないようなら、中止という選択をして致命的な痛手を負わないよう次の機会を待つのだ。
ゆっくり考える暇も無く暑い夏8月を終え、9月がどんな事態を迎えることになるのやら。
7.2.2021
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
For Enjoying Toyama Life !
市役所のカレーラーメン
午前中のうちに、未だ人が混まないうちにと、富山市役所の駐車場に滑り込む。
ほぼ毎日のように乗っていたディーゼル四駆の愛車エルグランドが令和3年6月19日で車検が切れることにより、まず点検をしてもらったところ潜在している様々な部分の故障箇所を修理して消耗品を交換して乗り続けるには想像以上の費用を要してしまうと言い渡された。
泣く泣くまだ充分に乗れるクルマを手を加えて修理もせずそのまま廃車にするという判断をした。
その一連の手続きのために実印の印鑑証明が必要となったのである。
今やマイナンバーカードさえ有れば、最寄りのLAWSONで印鑑証明やら住民票やら取得出来るはずなのに、どうも慣れない新行程を辿るのに抵抗があって、つい面倒臭い方の選択をしてしまった。
しかも、市役所の中に入ってみると、昨年くらいまでは設置してあった住民票や印鑑証明を取得する機械が、駐車場から一階に駆け上がって一寸見渡すと有ったはずの場所に置いてない。
どこに移転したんだ!?と総合受付のに駆け寄って尋ねてしまった。
移転ではなく機械自体が撤去されてしまったらしい。
普通に従来のやり方で、希望する書類の申請書を記入し整理券を受け取って印刷物が仕上がりを待つという原始的な作業に戻ったのである。
暗に「印鑑証明が欲しければマイナンバーカードを持ってLAWSONへ行け!」という当て付けなのだろうか?
幸運にも人為的な行程を踏んだにも関わらずほんの数分で印鑑証明の用事は済んだ。
せっかく地下駐車場に代車を駐めたのに、30分も経たずに出庫してしまうのは何だか勿体ないと思ってしまったこともあって、ふと市役所の食堂を思い出したので行ってみることにした。
だいたい市役所には頻繁に来ることがない。
そして、お昼前後のタイミングで来るとは限らない。
市役所には一般市民も使える食堂があると知っていても、なかなか利用するまでに至るチャンスがないものだ。
この食堂について話をしてくれたのが、S 師匠。富山出身の落語家さんで、東京都内での活動が主だが日本全国いろんな所に神出鬼没、八面六臂の方なのである。
今でこそコロナのためにその動きを大分妨げられてはいるものの、コロナ前のフットワークの良さ、強靱な体力には見習うべきものがあり、勝手ながら密かに「心のアニキ」に位置付けさせてもらっている。
毎週のように東京と富山の往復移動をされて、その移動だけでも疲れてしまうものなのに、行く先々にはしっかり高座をお務めになる。
Facebookで様子を伺っていると、お酒も良く飲まれる方で、食べ物も自らお弁当を作ったり小まめに何かと作られたりしている。
そんな師匠のFacebookコメントの中に「ウコン摂取」というキーワードが何度も登場している。
カレーがお好きなようだ。
そして、何故か富山市役所の食堂のカレーラーメンが複数回数登場していた。
カレーうどん の方が一般的にポピュラーだと思うが、この市役所の食堂に於いては「カレーラーメン」なのである。
食堂の入り口には食堂内で提供される麺類や定食の蝋細工の食品サンプルがガラスの陳列ケースに入れられ紹介されている。カレーうどん は見当たらない。
元々、富山の人たちは、カレーが好きなのである。
富山県射水市のイミズスタンを拠点に広まったパキスタン&インド系のスパイシーで本格的なカレーで盛り上がってるというカレーとは別の、根本的に習慣化されたジャパニーズカレーが好きなのである。
近所のスーパーマーケットに行けば、ハウスやらS&Bやら有名メーカーのカレールゥが迷うことなく売られているコーナーがあるものだ。
これが富山に於いては、他県のスーパーと比べると什器が二倍。
倍の棚に商品が並べられている。
それだけ需要があると判断して良いだろう。
どこが発表しているデータなのか定かではないのだが、富山市は「住み続けたい街ランキング2020」のトップ1と言われている。
在住者にとっては身近な事柄過ぎて客観的な判断が出来ない。
また、2014年都道府県別の持ち家率の変化では富山県が第一位。
2017年都道府県別の自家用自動車の普及状況でも富山県は第二位だったりする。
こうした一見ポジティブに思えるデータから富山県民は喜ばしい事と満足してしまうようなのだが、しばらく海外生活を経験してきた50代男性は世の中に流布されてるデータをそれほど素直に受け入れることはない。
決して日本に限った事ではないが、富山は一家の長男が結婚を機に家を建てる事、マンションを買って新居を構える事が重要視されてるエリアのようだ。
自分の場合、一人っ子の長男であるため大した自覚も無いまま、海外から富山に戻って来てみたら夫婦2人が住める戸建てが有った。
富山に生活拠点を移すことを決めた時、かつて祖父母が住んでいて、その後空き家となって誰も住まなくなっていた一軒家をリフォームして住むことになった。
ほとんどの長男は家の後を引き継ぐ事が出来てラッキーなのだが、次男以降は独自でなんとかしなければならないようだ。
富山県の西の方は、そうした成人男性の婚期につきまとうプレッシャーが強いらしく、次男のことを「家持たず」と揶揄した表現をされてしまうこともあるらしい。
要は、人生に於ける大きな買い物である「家」や「クルマ」に対する執着が非常に大きいのだ。
その大きな買い物を現金一括払い出来る人などそう多くはない。
富山の働き盛りの年齢に達している夫婦の多くは、家のローンとクルマのローンを抱え否応なしに共働きで汲々としているのである。
その共働きの家庭では、大量の作り置きが可能で、家族の皆が喜んでくれるカレーというメニューが重宝され、富山の多くの家庭でカレーが大人気だったりするのは極自然な現象に他ならない。
そんな事を考えながら、太陽珈琲焙煎本舗ではもう一年以上も前から毎週のようにカレーを作り続けている。
話の節々に統計データやら数字が出て来たりすると、ただただ好きで無心にカレーを作っている訳ではなくて、マーケティングや市場を賢く見極めて外食産業に取り組んでいるようにも見受けられ高尚な風に感じてもらえるかもしれない。
けれど、こうしたヘッポコ広告代理店が言うような理屈程度のものは、ある瞬間に感じる 閃き と比べると一向に太刀打ち出来るものではない。
富山県のコーヒーの消費量は、全国ランキングの上位から三分の一くらいには入る。
因みに、最もコーヒーを消費する県は京都府。
日本の上位三分の一に食い込むくらいの富山で、2015年に創業した太陽珈琲焙煎本舗は売上がどんどん伸びて楽勝なのかと思いきや、富山の人たちのコーヒー消費のほとんどは「コーヒー飲料」、缶コーヒーやインスタントコーヒーになるものの消費が一際多いらしい。
太陽珈琲焙煎本舗が活躍して、富山県民にコーヒー豆を消費してもらう伸びしろは果てしなく大きい。
おっと、カレーラーメンの話だった。
カレーうどん が無いのに、カレーラーメンが有る。
個人的には、どちらも大して好きではない。
カレーうどん なんてもう何十年も食べたことないし、カレーラーメンは師匠が食べてなかったら決して食べなかっただろう。
恐らく、今後また市役所に行ったとしてもカレーラーメンを選ばないと思う。
6.2.2021
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
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イミズスタン 富山県射水市(いみずし)
太陽珈琲焙煎本舗の常連さんに声を掛けられ、 ザイカ(ZAIQA CURRY HOUSE) に連れて行ってもらった。
彼は残念ながらコーヒーの常連さんではない。
毎週土曜日のテント出店の為に作ってるカレーの常連さん。
一年半程前から毎週毎週作り続けているカレーをほぼ毎週、夫婦2食分を買い続けてくれている。
彼らの食事がカレーになる頻度は週に一度や二度ではない。
太陽珈琲のカレーだけではなく、県内に点在するインド、パキスタン料理の店のカレーもローテーションに組み込まれている。
それぞれのお店で働いてる現地インドやパキスタンから移住している店員さんと顔馴染みらしく、簡単なヒンディー語?で挨拶を交わし、メニューなど見ずに当日のお薦めカレーをオーダーしてしまうレベルなのだ。
その日5月12日水曜日は、ラマダンが終わりザイカの関係者やお客さんが集まって皆でお祝いをしようという日。
連れて来てもらいはしたが、実のところムスリムの事をよく知らない。
何度か中東地方へ旅行をしたこともあるし、中国で生活していた頃にはウイグル自治区出身の知人もいて羊肉串を頻繁に食べていた。
けれど、豚肉を食べない人たち、ラマダンの期間に断食をする人たち、といった程度の乏しい認識しかない。
あらためてウィキペディアで調べてみると、聖なる月とされるラマダンの期間、日の出から日没にかけて、一切の飲食を断つことにより、空腹や自己犠牲を経験し、飢えた人や平等への共感を育むことを重視する。
また親族や友人らと共に苦しい体験を分かち合うことで、ムスリム同士の連帯感は強まり、多くの寄付や施しが行われるとのことだ。
コーヒーに携わる者としては、コーヒーの起源に関わるイスラムの知識を深めておく必要があるのではないだろうか。
いくつかあるコーヒーの起源のエピソードのひとつ、イスラム教の聖職者シーク・オマルがコーヒーを発見した説がある。
オマルは、疫病が流行っていたモカの港町で多くの人のために祈祷を捧げていた。
ある時、モカ王の娘が病気にかかってしまい、オマルの祈祷によって病気を治したのだが、その娘と恋に落ちてしまい、王の怒りを買って街から追放されてしまう。
洞窟で暮らし食べ物も満足に得られなかったオマルはある日、木の枝になる赤い実を使ったスープを飲むと爽快な気分になる事を覚えた。
その後オマルはこの不思議な飲み物を街の人々にも伝え、再び街へ戻ることを許される事になったという。
後に日本の中沢清二により歌詞を付けられ、1961年「コーヒールンバ」が作られた。
西田佐知子が歌い、後に井上陽水や荻野目洋子にもカバーされた。
昔アラブの偉いお坊さんが
恋を忘れた あわれな男に
しびれるような 香りいっぱいの
琥珀色した 飲み物を教えてあげました
やがて 心うきうきとっても不思議 このムード
たちまち男は 若い娘に恋をした
コンガ マラカス 楽しいルンバのリズム
南の国の情熱のアロマ
それは 素敵な飲み物 コーヒー・モカマタリ
みんな陽気に飲んで踊ろう 愛のコーヒー・ルンバ
ムスリムの手によって共に中東から東のインド半島へ伝わったコーヒー文化は、後にイギリスの植民地化により紅茶文化へと次第に移行しチャイが普及したと考えられる。
17世紀になるとヨーロッパがアジアに進出し、植民地化が始まり、18世紀後半にイギリスがインドを植民地支配するようになる。
イギリスのインド植民地化は1858年から1947年まで続き、第二次世界大戦終了後、イギリスが植民地を手放す形で、1947年イギリス領インド帝国が解体し、インド連邦とパキスタンの二国に分かれて独立へ。
インド半島内のヒンドゥー教徒とイスラム教徒が統合できず、ヒンドゥー教徒が多い地域がインドとして独立、ムスリムが多い地域(現在のパキスタンとバングラデッシュ)がパキスタンとして独立した。
ここ富山県射水市の通称「イミズスタン」と呼ばれるエリアがある。
通称で呼ばれているはずなのに GoogleMap で検索すると、カシミール、ザイカカレーハウス、アルバラカのパキスタン料理店3店舗を指し示してくれる。
大学へ進学するまで富山に住んでいた頃はそんな話を全然聞いたこともなかったので、恐らく90年代以降のこと。
国道8号線沿いに日本の中古車ロシアへ輸出する中古車販売店が建ち並んでいた。
クルマで国道8号線を走るとズラ~っと英語やロシア語の看板が並び異国情緒を醸し出している。
そのほとんどがパキスタン人が経営しており、中古車販売と共に似たようなプレハブ造りの様相で現地の人たちが通う本格的パキスタン料理の店が出現したようだ。
未だ続くコロナ禍においてはリアルな旅行は難しいが、思わず県内に実在する近場の外国に触れることとなった。
しばらくは、飽きずにイミズスタンに通うことになりそうだ。
5.2.2021
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
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Uber Eats
このいつまで続くのか判らないコロナ禍にあっては、今まで通りのやり方じゃダメだ。
そして、コロナが終息したとしても、以前と同じ世の中が戻って来るとは限らない。
いや、きっともう元通りにはならない。
2014年秋に帰国して、富山に戻って来たのは30年振り。
富山市の出身とはいえ、高校まで生活していた後大学進学と共に上京しているので、自転車移動出来る程度の行動範囲でしか街の事を知らない。
また不在にしている間に街も大きく変化してしまっていて、ほぼ新しい土地に来た時の感覚と変わりがなかった。
まさにこの年、北陸新幹線が開通し今後は富山も活性化するだろう。
そんな幻想を抱く人達も居たのだろうが、それこそ昭和の考え方だ。
こうしたハードが整って都会への人の流出に拍車が掛かるだけで、結局のところ地方から発信出来るほどの魅力が無ければ地方に於ける活性化は有り得ない。
そんな事を考えながら、時の流れでシャッター街と化してしまった中央通りや総曲輪(そうがわ)通りから差ほど遠くない場所、住所も「丸の内」と書くところにコーヒー豆の店を構えてみた。
もう写真撮影を生業にするのはやめよう。
自分の作品を撮ろう。
富山に於いてもブライダルや家族の記念撮影の仕事は有ったとしても、出版社やメディアが無いと思われる地方で東京と同じ感覚で写真のカメラマンは食べてはいけない。
広告の仕事も都会から出向いてる代理店に仕切られて地方にはイニシアチブが無いだろう。
ましてや時代はフィルムからデジタルに移行し、写真の価値も大きく変わってしまった。
今となっては、性能の良いカメラ付きスマートフォンを買うべきか、ムービーも撮れるコンパクトなデジカメを買うべきか真剣に悩んでしまう。
北京に居たときに衝動的にカフェを作ってしまった流れから、全く迷いなく富山でもコーヒー関連の仕事を。
世の中では世界的なコーヒーブームの到来を感じていた事もあり、自分自身が美味しいコーヒーを見極められるようになれるためにも、コーヒー豆の焙煎屋を始めることにした。
自分一人でコーヒー生豆(なままめ)を仕入れ焙煎して、それを販売する。
店内ではコーヒーの試飲は出来る。でもカフェのようなスイーツも食べられるような、場合によっては食事も出来てしまう喫茶店にはしない。
地の利もよく判らない富山で、もちろん繁盛店にする事が目的ではあるが、ひとりで切り盛り出来て、カフェではなくて、コーヒー豆の焙煎の作業をしてコーヒー豆を販売する店として誤解なくこちらの意図通りに認知されるようになるまでには多くの時間が必要だろう。
地方の家賃は東京に比べて安いとは言え、固定費として出て行く家賃、そして人件費の出費は大きい。
まずはミニマムを成立させること。
豆の販売店としての認識がされて経済的な余裕が出来てからカフェを併設するなり別の場所に作りたい。
だが、最悪の場合、豆屋の認識が成立させられなかった場合、店舗としての存続のために保健所の食品衛生許可だけは取得しておこうと考えていた。
店舗を構えて3年目、2017年の冬。富山に戻って来て初めての大雪を体験する。
( 昨年2020年の冬は更に酷い大雪だったが。)
お店のシャッターを開け、パワフルなガスストーブを点けて待っていても、営業時間内にまったくお客さんが来ない。客足が悪天候に影響されてしまうのは頭で判っているつもりだったのだが、単純に売上に反映されてしまい様々な支払いが滞ることになってしまう。
富山に於いては店舗を構えたからと言って商売が成り立つとは限らない。
お客を待つのではなく、人が集まるところへこちらから出向いて商売をすべきとテント出店を積極的に行うようになった。
だが、テント出店も天候に左右されてしまう。
スマホの時代、もっと通販を強化しなければ。
その後、協力者が現れ何度か打ち合わせを試みてはいるが、こうした販売の流れの中で注文が入ってから「翌日発送」や「送料無料」などの多くのネット販売の企業が当然のように行ってるサービスが、ウチのようにたったひとりで稼働させている小規模店舗では対応仕切れないのである。
誰かアルバイトに来てもらえば解決することなのか。
イベント出店だけでも手がいっぱいになっている現状や売上が不安定な点からも、通販部門の強化はもう少し先の話になりそうだ。
一方で、富山でも四角い箱型のリュックを背負って自転車で街を駆け抜けるUberEatsを見掛けるようになってきた。
昨年のコロナが蔓延しはじめた頃から店舗は基本的に休業状態。
イベント出店だけは積極的に出向いているが、店舗内は倉庫と化し、常連さんのためにコーヒー豆の焙煎はしているもののイベントで売るカレー作りにエネルギーを注ぐあまり傍ではカレー屋に商売替えしたとも思われてる。
保健所の食品衛生許可を取っておいたのが正解だった。
カレーも作る豆屋としては、バターチキンカレーとインド AA モンスーン・マラバール をセットでオーダーしてもらえると結構嬉しい。
カレーとコーヒーのマリアージュと言ったところだ。
2021年4月22日。
UberEatsに申請したのは昨年12月だったか。
既にかなりの時間が経っている。
まだ会ったこともないUberEatsの担当者にメニューを早くアップするようにと、半ば強引にメニューの撮影日を決められ、自分で撮影してアップしてやろうかとも思ったのだけれどUberEatsのメニュー写真のガイドライン等があるだろうから、初回は大人しく様子を見ておこうとも思い、素直にこの日を迎えた。
担当者とは電話で何度か話もしたが、メニュー撮影に関する件はメールで日程や準備しておくモノなどが伝えられただけだった。リモートが徹底している。
15:00スタートの予定だったが、14:30にカメラマンさんから電話が入って「まだ小杉インターを出たところです。」とのこと。
高速に乗って来た!?
どこから来るんだ!? 渋滞だなんて大きな事故でもあったのか?
30分ほど遅れて金沢在住のカメラマンがやって来た。
この日富山の西ではブルーインパルスが上空を飛ぶとかで、富山市までの途中の道では大渋滞が起こっていたようだ。
順調ならUberEatsサイトで5月連休明け頃には、太陽珈琲焙煎本舗のメニューの一部が稼働し始めるらしい。
4.1.2021
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
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Chocolat Blend
3月28日。昨年の今日は、富山で行う予定にしてた芝居の公演を新型コロナの拡散防止を鑑みて泣く泣く中止にした日。
命日と言っても良い。
早くも一年が経ってしまった。
幸いにも一年後の今日、富山市の総曲輪(そうがわ)グランドプラザでは「田畑真希ダンス2021公演『カーーニバル』は予定通り開催された。
ここ数年連続で毎年のようにダンスワークショップが企画され、富山県在住のアマチュアダンサー達が集い稽古を重ね公演をしている。
2014年秋日中関係が思わしくなくなって北京に住みづらくなり富山に生活の拠点を移すべく日本に戻って来て間もなく、富山市内の街中で貼られていたコンテンポラリーダンスのポスターを偶然にも見つけたのがキッカケ。
この田畑真希さんとウチの奥さん陳黛英が桐朋の演劇科での同期だったのである。
大学時代の二人が思いもよらぬ富山で再会を果たした事から、その後黛英も直ぐにダンスワークショップに参加するようになった。
この田畑真希ダンス公演は、毎度毎度 コーヒー屋のテント出店の日と重なってしまって、黛英との結婚後一度もコンテンポラリーダンスを踊っているところを観たことがなかった。
正に仕事が忙し過ぎて子供のピアノ発表会に行けないお父さん状態。
幸か不幸かコロナの影響で例年のような春のイベントやマルシェが軒並み中止になり日程がズレて何もどこにも出店することのない第四日曜日を迎えることになってしまった。
そんなこともあって今回は特別。
会場のグランドプラザでは、朝から立ち位置の確認から簡単なリハーサル、本番2ステージが終わるまで、合間合間でダンスの関係者にコーヒーを飲んでもらおうとポットに入れたコーヒーを用意して控え室に置いてもらうことにした。
だいぶ暖かくなって来て、富山市内の桜の名所では三密お構いなしで人が集まり始めている感じ。
とは言え、無防備な様相で長時間屋外にいるとすっかりカラダが冷えてしまうという感じ。
参加者のほとんどが女性ということもあって、太陽珈琲焙煎本舗では最も人気でコスパの良いブラジル セラード カラメリッチ#18 をベースに コスタリカの豆の爽やかな酸味を少し加えてチョコレートっぽい印象になるように仕上げ「ショコラブレンド」とした。
ウチの店、普段は基本的にシングルオリジンの豆を推しているので、ブレンドを作ったりするのは珍しい。
そして、仕事として舞台写真を撮らないながらもやはり現場に出向く以上は何かしらの撮影をせずにはいられない。絶対に手持ち無沙汰になって居心地が悪くなってしまう。
そこで、iPhoneカメラのムービーで記録撮影をすることにした。
iPhoneを手持ちで約20分間持ち続けるのは手の振動がそのまま映像に伝わってしまうため、少し前にAmazonでポチッとやってしまった iPhone用のスタビライザー、ジンバルをデビューさせることにした。
一応、スチールカメラも用意していく。
けれど、仕事モードにはなりたくないので仕事では使わないオモチャカメラ パナソニックG2を忍ばせて行くことにした。
ところが、いざ撮り始めると自分の中のスイッチが入ってしまってオモチャカメラではメモリーバッファのスピードが遅く、EVF(電子ビューファインダー)では実際の被写体の動きとファインダー内の動きとのタイムラグに耐えがたい不快感を覚えてしまい強烈なストレスになってしまった。
iPhoneジンバルも安物買いの銭失いと言った感じで、iPhoneとジンバルを繋ぐBluetoothが現場環境に飛びまくっている電波なのか何かノイズのようなものと干渉してしまうようで、大事な録画中に勝手に機能しなくなり仕舞いには痙攣したような動きをするといった機材トラブルに見舞われてしまった。
やはりどんな現場であろうとも、自分の機材は常にベストの状態に保持しておかないと、自分の精神衛生上よろしくないという事を再確認してしまう事となった。
うっかり気を抜いた撮影はともかく、3月21日の緊急事態宣言解除から間もない今回のダンス公演は例外なく県外からの来訪者である田畑真希さんは事前にPCR検査を受けて来ている。
本日の公演2ステを終えた後も、参加者や関係者の打ち上げもナシ、慰労会もナシ、乾杯もナシなのである。
この一年、演劇のみならずイベントが行事が冠婚葬祭が学校の授業が悉く中止になり延期になり小規模になって本来のものとは異なる不本意な状態を余儀なく選択させられてしまった。
誰が悪い訳でもない。
新型コロナウイルスの拡散防止の為だ。
仕方が無い。
そう思って自分自身に言い聞かせて来た。
しかし、ここへ来て、どうも東京オリンピックだけが例外的に強引に実施されようとしているような気がしてならない。
3月21日、東京都の感染者数が下げ止まりと言われる中、どういう訳か緊急事態宣言が解除され、3月25日からフライング気味に聖火リレーが福島をスタートした。
「復興五輪」「コンパクト五輪」というフレーズはどこに行ったのだろう?
当初の予算を遙かに超えてるにも関わらず、強引に開催しようとするのは誰の思惑なのだろう?
説明もされること無く、誰も責任を取らない。
理不尽極まりない。
2.1.2021
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
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コスタリカ グラニートス・デ・オルティス・レッドハニー
大雑把に言うと、コーヒーの実から中の種を取り出して乾燥させた物がコーヒーの生豆(なままめ)となる。
そう、便宜的に「コーヒー豆」と言ってしまうが、豆では無く「種」なのだ。
コーヒーチェリーと呼ばれる実の収穫後の加工処理が後々のコーヒーの味や香りに大きく影響を与える。
完熟したコーヒーチェリーをピッカーと呼ばれる人たちが手作業で丁寧に摘み取り、実の皮を取り除く。
チェリーと呼ばれるくらい見た目はサクランボと似てはいるが、少々小振りで、それほど果肉は厚くない。
表皮を剥いてやるとヌルヌルした果肉が出て来る。
果肉はフルーツらしくジューシーで甘酸っぱい。
詳しく言うと、このヌルヌルした粘液質がミューシレージ(スペイン語 miel : 蜂蜜の意)と呼ばれるものであり、それが種に残った状態で乾燥させる精製処理を「ハニープロセス」と呼ばれる。
この加工法で仕上げられたコーヒー豆は、果肉の糖分が種に凝縮され尚且つ爽やかな酸味を豊かに持ち複雑な香味も併せ持つ。更にその後の焙煎によってはカラメル感も出て来たりもする。
「レッドハニー」は50%のミューシレージを残して12~14日間掛けてゆっくり乾燥する。
手間が掛かっているだけに美味しいコーヒーになること間違いなしだが、値段もそれなりに良かったりする。
2019年の夏のこと。
魚津漁業協同組合 魚津おさかなランドの建物を使って、映画のロケが行われた。
このところ、富山県の観光課が運営している TLO (富山県ロケーションオフィス)が大活躍されているようで、映画やドラマの撮影が県内の至る所で行われるようになっている。
この春、舞台『ダークマスター 2019 TOYAMA』富山オーバードホールで舞台デビューしてしまったこともあって、今回の映画の撮影では主人公の上司の役で出演することになったのだ。
こうした現場は初めてではない。
都内で写真撮影を生業にしていた頃、かつてVシネが流行った頃には、そうしたビデオパッケージの写真撮影もした事があったし、TVの2時間ドラマのスチールスタッフとして地方ロケに出向いたこともあった。
そうした映像現場のスタッフとして関わり、ついでの ”内トラ” として、身内がやるエキストラとして、いわゆる通行人のような台詞の無い扱いで出演をしたこともあった。
けれど、今回は違った。
ちゃんと一丁前の出演者扱いされて、一応一言二言の台詞があるため、若干大切に扱われいたような気がした。
映るっているか映ってないか結果の映像を見ないと判らない、台詞の無いエキストラとは明らかに違う扱いなのだ。
「控え室はこちらなんで~」とサードくらいの助監督さんなのか、男性スタッフが部屋を案内してくれて入っていくと、窓際の外光が入る明るいところでは映画の主演である女優さんがメイクさんと思われる女性スタッフと雑談を交わしながら顔のマッサージを受けている。
その反対側の壁の辺りにはハンガーラックが4台くらい置かれていて、撮影で使われると思われる衣装がたくさん掛けられており、その横で簡易的にカーテンで仕切って目隠しされた更衣室、いや、その着替えエリアでは主演の幼馴染み役の俳優さんが正にお着替え中だった。
案内してくれた男性スタッフは「上司役の六渡さんで~す!」と紹介してくれたので、出演者ぶって「おはようございます! 地元富山の出演者、六渡です。よろしくお願いします。」と挨拶をしてみたものの二の句が継げない。
「こちらに座っててください。もう少ししたらお弁当持って来ますんで。」と言われても、なんだか場違いのような居心地悪さを感じる。
借りてきた猫だ。
そもそも、2005年から北京で生活して2014年には富山に戻ってきたけれど、自宅にTV受像機を置かないTVを見ない生活を続けている事もあって、この2人の俳優さんの事をほとんど知らなかったのだ。
この撮影に入る前、熊澤尚人監督の作品はすぐにレンタル屋に駆け込んですべての作品を観まくった。
だが、共演者の作品まではチェックしていなかった。
迂闊だった。
主演の2人結子と一郎を含め、町のお年寄り達と町役場の人たちが集まる宴会シーンでは、サプライズもあって居心地が異なり、こうした撮影現場が初めて楽しいと思えた。
こうした大勢の人が映るシーンでは、ストーリーを紡ぐメインの役者がカメラ前で演技をして、その他の出演者達は奥で背景に映り込みながらも、場の雰囲気に合わせた演技を要求される。多くの場合、背景になる人達には台本上の設定のみで台詞は与えられておらず、雰囲気に見合ったアドリブを声を発する事無く、見た目は普通にお互い意思が疎通しているかのように見せて映らなければいけない。
助監督さんの指示で宴会の座る位置を決めてもらい、テーブルに着いてみて、驚いた!
大学進学で上京して間もなく、友人の紹介で下北沢本多劇場で黒衣のバイトをするようになり、「お前、写真撮れるんだって!?」と言うことで舞台写真を撮るようになって差ほど時間が経ってない頃、渋谷パルコ SPACE PARTⅢで上演されていた『クラウド・ナイン』の舞台写真を撮るためゲネプロで劇場内に入っていた。
イギリスの戯曲家の翻訳劇なのだが、当時現場で目の当たりにしていても内容はさっぱり理解出来ていなかった。
ただ、演出家と照明さんがモメててなかなかシーンが決まらない。
劇場の退出時間を越えて翌日再び撮影に来るという異常事態に陥っていた事だけは明確に覚えていた。
今ウィキペディアで調べてみると、1986年の公演だったようだ。
ナント!? その『クラウド・ナイン』に出演されていた女優の京子さん(仮)が、30年余りの時を経て、この富山で、テーブルを挟んで向かい側で「このマグロの赤身美味しいわぁ~!」と言いながら、宴会シーン用に用意された消え物の刺身盛り合わせをスタッフの指示も待たずにパクパク食べていらっしゃる!
仕舞いには「アンタも食べなさいよ!」と声を掛けられ、指示を待たない共犯者を募る始末。
「いや、ボクは富山在住者なので……、いつでも食べられますから~」
「じゃ、アンタ! 東京じゃ、なかなか食べられないわよ~、こんなの」と彼女の隣に座っている、既に芸能歴20年選手の明日香さん(仮)の脇を小突いて、加担するように強引に誘った。
屈託の無いおばちゃんキャラ炸裂である。
思えば、ベテランの京子さん(仮)の計算ずくなのか天然なのか、宴会で楽しく盛り上がってるシーンを前にして、現場を和ませる言動と振る舞いだったに違いない。
こちらも調子に乗せられ嬉しくなって、思わず「『クラウド・ナイン』のゲネの撮影で劇場内に居たんですよ!」と口を突いて出てしまった。
撮影中のリハーサルを繰り返す短い待ち時間だけでは、30年前の渋谷から現在の富山に至るまでの経緯を話し終える事は出来なかった。
ただ、勝手ながら、演劇特有の、時間と空間を共有して過ごしたという仲間意識を覚えた。
出来ることなら、もう少し当時の話など直接伺いたかった。
きっと、実際の映画の宴会シーンでは、主人公結子が将来を決定付けるお年寄りと会話を交わす奥の方で、ちょっとピントがぼけた状態になりながら、メタボなオヤジが楽しそうにお酒を注いでもらっているように映ってるに違いない。
残念ながら、京子さん(仮)とは後の撮影スケジュールが合わず、御挨拶も出来ず仕舞いになってしまった。
いつか舞台に出演されるような事があれば、観劇がてら楽屋口に会いに行こうと思った。
控え室に戻ると、結子と一郎に加え、明日香さん(仮)も戻って来ていた。
この映画は、ほとんどのシーンが富山県内で撮影が行われ、彼らは既に一ヶ月近く富山に滞在しているようだ。
この日の撮影は魚津漁港の近くだが、3人の話を聞いていると携帯の電波も怪しい山の方での撮影も行われたらしい。
主演の2人が中心になって撮影が進んでいくため、気分転換に「ちょっとコンビニ行って来る~」って事も出来ないらしい。そして、最寄りのコンビニ自体が無い。
いつの間にか明日香さん(仮)の撮り分は、すべて終了していたようで、晴れ晴れとした表情で「また東京で会おうね~」などと帰り支度をしている。
この時初めて判ったのだが、3人とも同じ所属事務所なのである。
詳細は伝えられていないが、事務所の「設立25周年企画」という体裁の映画なのだ。
周囲のスタッフさん銘々に「お先に~!」と挨拶をしていたかと思うと、明日香さん(仮)は、控え室の片隅で差し入れてもらった野菜ジュースをズルズル啜っているメタボなオヤジのところにもやって来て「楽しかったです! どうもありがとうございました! また会いましょう! 握手!」と言いながら、両手を差し出してくれた。
こちらは、もうただオロオロしながら片手を差し出し「また、よろしくお願いします!」と小さな手を握るのが精一杯で。
これで、20年下の女優さんにすっかり心を奪われてしまった!
本番の台詞のあるシーンを残しているにも関わらず、もう大業を成し遂げたような脱力感に襲われたのだが、ふと我に返りロケ現場まで乗って来た自分のクルマにコーヒー豆も乗せていた事を思い出した。
こんな時の「コスタリカ グラニートス・デ・オルティス・レッドハニー」だ!
ロケ現場の建物に横付けされた黒のアルファードに乗り込んだ明日香さん(仮)に、「チョット待って! コレ、自分で焙煎したコーヒー豆です!」と。
一瞬、中学生男子が同じクラスの可愛い女の子に初めてプレゼントを渡すかのような気分になった。
撮影が終わってから約一年経って、都内で関係者の完成試写会が設けられたのだけれど時間的に都合が付かなかったり新型コロナの事もあったりで富山から向かうことも出来ず。
今年2021年になって、富山での試写会が予定されるも35年振りに降った大雪で中止になってしまう。
まだ自分のスクリーンデビューの姿を確認出来ていないのだ。
期せずして、本日1/29(金)全国公開となる。
映画『おもいで写真』は、コスタリカ グラニートス・デ・オルティス・レッドハニー の味がする。
1.3.2021
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
For Enjoying Toyama Life !
Siphon Coffee
浅煎りのコーヒー豆で淹れるフルーティーで水色(すいしょく)も紅茶のようなコーヒーは、普段ウエッジウッドのピオニーシェイプのカップに注いで飲みたくなる。ところが、雪も降って寒い季節がやって来るとピオニーのようなお上品なカップだと一杯飲みきるまでに中のコーヒーがすっかり冷めてしまっていたりすることがある。そう思うと、冬の寒い時期にはサイフォンで淹れて地が厚くてぽってりとした口当たりのマグカップで苦味が利いたコーヒーを飲みたくなる。
ハンドドリップの場合、沸騰したヤカンからドリップポットにお湯を移し替えコーヒーの粉に注ぐ頃には90~85℃くらいの湯温になって抽出されている。サイフォンの場合は、器具の下部フラスコの丸い部分で湯が沸騰に伴う蒸気圧によってフラスコ内が正圧になり、大気圧を超えた時点で湯が器具の上部の漏斗に移動し、湯がコーヒーの粉と接触し混ざり合って抽出が開始となる。フラスコの湯が移動し切ったところで火を外してやると、今度は下部フラスコ内部の温度が下がり始め陰圧になり抽出液は上部漏斗からフィルターで漉された状態で下部フラスコへ吸引されコーヒー抽出液となる。そうした抽出器具の性質上、コーヒーの粉はドリップの場合よりも高温状態でやりとりされる。
コーヒーの苦味の成分は、高温で抽出されやすい状態にある。時には脂肪分多めの温かいミルクもマグカップ注いでカフェオレとして飲みたかったりもする。
このところのコーヒー業界の売り文句は「爽やかな酸味」「明るい酸味」というのが流行っているが、一方でカフェオレにする時にはミルクに負けないコーヒーの苦味や存在感を要求したい。
そうすると、アフリカ系の元々酸味がしっかりあるコーヒー生豆を黒っぽい深煎り豆に仕上げて苦味もコクもあるコーヒーにする。今年の太陽珈琲焙煎本舗では、ケニア AA キウニュウ の深煎りが人気だった。これが力の無い豆だと、焦げてただ苦いだけの炭で抽出したような黒い汁になってしまう。
爽やかな酸味のコーヒーも美味しいが、苦味の利いたコーヒーも美味しい!
12月に入ってから、今年のクリスマスブレンドは酸味系から苦味系にシフトしようと思いついた矢先のことだった。
フリーランスのカメラマンの先輩と言える I さんからFacebookMessengerに連絡をもらった。
東京に住んでいた頃は、幾年も続けて某メーカーのファッションショーの撮影を一緒にしたり、江戸川区だったか江東区だったか区内の道路脇の緑地帯を写真で記録する地味な仕事をしたり、ある時は名古屋のデパート内の店舗の什器に商品が陳列されている様子を記録する撮影をしたり、、、、年何度かは一緒に仕事をする数少ないカメラマン仲間の一人だった。
「 22日、23日、24日の三日間、空いてないか? 福岡ロケ!」
土曜日曜に掛かってない。店は相変わらず閉めてるし、断る理由が無かった。
富山からだと、富山空港から羽田乗り換えで福岡空港。もしくは、小松空港までクルマ移動して福岡空港。時間の関係もあって、22日クルマで小松まで移動して夕方の便で福岡空港。博多のホテルで合流。23日と24日撮影で、帰りは便の時間の都合で一日延泊させてもらい、翌25日福岡空港から富山空港へ戻ることとなった。エアチケットはネットでスグに便の予約が出来た。
撮影内容を更に詳しく聞くと、難しい撮影ではない。だが、どうも今持っているレンズでは心許なく感じるところもあり、ワイド系ズームレンズもスグにAmazonで購入して備えることにした。
何年ぶりだろう? 久しぶりの福岡。まだ北京在住の頃、本帰国することを決めて、日本のコーヒー屋さん巡りをしようと海外在住者のためのJR特別周遊券 JAPAN RAIL PASS を活用した時以来。2013年だったか、その時は珈琲美美(びみ)さん、REC COFFEEさんには行ってコーヒーを飲んだ。今回は、延泊することになって時間に余裕も有りそうだし、是非とも あだち珈琲さん、ハニー珈琲さんには行ってみたい。
ところが、日に日に新型コロナが猛威を振るい12月18日には東京都を目的地としたGoToキャンペーンが一時停止となってしまった。
自分の場合エアチケットを単独で予約しているだけなので、キャンペーンに関わりが無いものの撮影が仕事だから、福岡が楽しみだからとは言え、強行して撮影後富山に戻って来て年末に突入するなか二週間の自己隔離出来るような時間の余裕が有る訳でもなく、フリーのカメラマンが一度引き受けた仕事を断るなんて!? 今回は泣く泣く仕事自体をキャンセルさせてもらうという有り得ない選択をする事となった。
この年末年始は越中稲荷神社の初詣にむけて、神社の境内でテント出店する予定です。今回でもう6年連続の出店となります。日本全国一斉にロックアウトにならない限りは、出店してコーヒーを淹れながら新年を迎えます。
全国的に疫病退散と謳う妖怪アマビエがもてはやされていますが、実は富山にも似たような「霊獣クタベ」というやつがおりまして、2020年の悔しい思いを吹き飛ばすべく太陽珈琲焙煎本舗はスペシャルなコーヒー「クタベ ブレンド」を作って2021年に臨みます。
皆様、2021年は、是非とも、良いお年を!
12.1.2020
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
For Enjoying Toyama Life !
Drip Bag Coffee
もう間もなく 2020年12月2日(水)~6日(日)、劇作家で演出家のタニノクロウ作品『笑顔の砦 ’20帰郷』が富山オーバードホールにて上演される。
大雑把な言い方をするならば、富山に於ける市民劇(?)、富山出身のタニノクロウとキャスト・スタッフ共、富山出身もしくは在住者によって演劇を製作するプロジェクトである。
昨年2019年3月に上演し全公演チケット完売で好評を博した『ダークマスター 2019 TOYAMA』に続き、2作目となる。
今回は舞台写真撮影をする予定。
ちなみに、前作『ダークマスター 2019 TOYAMA』では、53歳にして初舞台初主演を演じさせてもらうこととなった。
当時キャスト・スタッフが集う稽古場や本番の楽屋では、ケータリングサービスのコーヒーを太陽珈琲焙煎本舗のコーヒー豆に切り替えてもらい関係者には充分にコーヒーを楽しんでもらえた筈と自負している。
ところが、残念なことにコロナ禍の真っ最中の今年の公演ではそんな訳にはいかない。
多数が関わって共有するような事が許されないためケータリングがNGなのである。
今回の出演者は10人。
通常稽古が始まり台本を受け取ったばかりの頃は、皆で芝居の雰囲気を掴むためだったり、出演者の台詞の確認をするために「本読み」という作業をする。
この『笑顔の砦 ’20帰郷』はZoomを使った本読みから始まった。
Zoomミーティングのようでもあり先進的合理的とも思えるが、台詞の間を大切にするようなシビアな部分になると、ネットを介した場合のタイムラグが生じてしまったりすることもあって、どうも今ひとつ残念な感覚に陥る。
世間では演劇を不要不急のものとカテゴリー分けされてしまう事もあるようだが、真剣に関わる当事者達は人一倍感染拡大防止の対策を取り長い期間に渡って気が緩むことのないよう細心の注意を払って公演本番に臨んでいる。
密にならないよう稽古場の重たい防音扉も全開の状態で稽古が続けられ、休憩時間を取る度にスタッフが人が居た辺りを念入りにエタノールを噴霧している。
恐らく主要なキャスト・スタッフはPCR検査をして、陰性を確認した上で本番を迎えるだろう。
富山オーバードホールの舞台上特設シアターというのは、通常の大きなオペラやミュージカル用の舞台なので本来の客席は使用せず、大きな舞台上に役者の息遣いを感じられるような距離感の舞台をわざわざ設置してしまうステージオンステージの劇場で、元々260席を想定していたところをコロナ対策のソーシャルディスタンスを考慮してワンステージ最大130席を上限とされている。
つまり、満席になったとしても、チケット収入が半減してしまうのだ。
すべての来場者は、劇場受付で体温を計測し連絡先を記し両手のアルコール消毒をする事になるだろう。
更に、関係者達は無事に本番を迎え千秋楽を終えた後も、いつものような公演の成功を喜び祝う打ち上げも許されないに違いない。
劇場に足を運び観劇するという行為は、当然芝居の内容や役者の演技を観てその空間を共有して楽しむものだと思うのだけれど、このコロナ禍の中で実施される公演に関しては、その関係者達のなんとかして無事に本番を迎え成功させようという心意気をも垣間見てもらいたい。
Show Must Go On !
コーヒー豆屋としては、個包装のドリップバッグを差し入れしようと思っている。
11.5.2020
DAYS / Tatsuro Rokudo Column
Coffee +
コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
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Mundo Novo (ムンドノーボ・新世界)
富山地方気象台は10月17日、立山の初冠雪を観測したと発表した。
平年より9日遅いとの事。
しかし、今年2020年は春から時間の流れが可笑しくなっている。
何もかも新型コロナの所為にしてしまえば説明が手っ取り早いのだが、今年に限って周囲で訃報が続きまくって両手の指で数え切れない。
どうも気が滅入る。
3月から毎月のように葬式に参列して、かつてない頻度で黒いスーツを着ている。
そのお葬式もウイルス感染防止対策の為、会場の中ではソーシャルディスタンスが取られ、両腕を大きく広げて体操が出来てしまうくらい不自然に間隔が開けられている。
会場側から参列者は「30人まで」と制限される場合もあれば、自宅に祭壇を設け遺影を置いた玄関先で御焼香を済ませる超簡素なものもあり、メールやFacebook等で訃報を知り、そのまま「こんなご時世ですから葬儀は行いません」と伝えられるものもあった。
それぞれ、何ヶ月も何年も会ってなかった人達でもあったので、こうした簡素な葬儀で故人を痛み死を噛み締めるものでなかったりすると、単に長期に渡って会えないでいる状態がそのまま継続しているだけのような気になったりもして、どこか踏ん切りが付かないでいたりする。
歳は10くらい上のフリーランスのカメラマン。
ある時期に通った写真のワークショップで出会ったのがきっかけで。
お互い、あ~でもないこ~でもないと独自の写真論を交わしながら一生懸命モノクロの作品を作って、一緒に暗室に入ってプリントをしたり、お互い撮影の手伝いをし合ったり。
毎月目黒で行われるワークショップの集まりの後は、必ず近所の中華屋さんでピータン豆腐と紫蘇入り餃子を食べて、その後新宿に移動して何軒かハシゴした挙げ句カラオケに行って、そのまま朝までがお決まりのコースだった。
90年代後半だったと思う。
当時既にバブルは弾けていたけど、彼は、ばっちりバブルの恩恵に預かったカメラマンで、出会ったばかりの頃は、メルセデスベンツの大きいやつ、CだかSだかの600に乗っていて、ワゴンじゃないのだ。
撮影の仕事には役に立たない車なのだ。
そして、ボンネットの上のエンブレムは金で出来ていた!
そのベンツをハードモヒカンの頭でロングの毛皮のコートを着て歌舞伎町の中に突っ込んで行くもんだから、クルマから降りた時には「いろんな人」が頭を下げて挨拶してくれたとか。
南青山の事務所には、20は歳下の彼女が良く出入りしていて、いつも隣で甲斐甲斐しく水割りを作っていたのが強く印象に残ってる。
とにかく喧嘩っ早くキレると手が付けられない。
破天荒を絵に描いたような人で、そんな一見住む世界が違うような人なのだが、写真の大学を出た訳でも海外の写真大学に留学していた訳でも無く、下積みとして写真スタジオで働いた経験も無い。
ましてや著名写真家に師事した訳でも無い自分にとっては非常に貴重なフリーランスの先輩の一人であり兄貴的存在だった。
型破りで派手なところばかりでは無い。
バブルが弾けてから出会っているので、その例のベンツを売って、見たことがない無駄に大きな時計を手放し、気合の入った仕事の時には登場していた愛機SINER 8x10 を売っ払って、そうした生活をダウンサイジングせざるを得ない状況に陥っていっても、何事も無かったように飄々としているように見えていたのには、見習うべき覚悟のようなものがあると感じた。
所詮、写真の仕事なんてヒトが生きていく上ではどうしても必要なのかと言われると、無くても良いとされてしまう仕事。
世の中が不景気になってくると大きく売上に影響を受けてしまう。
アリとキリギリスに例えるならば、どう考えてもキリギリスさんチームに所属することになる。
でも、キリギリスにはキリギリスの生き方が有って、環境の変化に従い世の波に乗るように生活を変えてでも人生を楽しむというプライドがあるのだ。
キリギリスの立場としては、冬がやって来たら夏を求めて移住すれば良い。
ずっと夏を求めて生きてさえいれば、人生はエンドレスサマーだ。
共通のカメラマン仲間の知り合いも多く、コロナが落ち着いてまた気軽に上京出来るようになったら皆んなで集まって池袋の火鍋屋に行こうと言ってた矢先、虚血性心不全で急逝。
本当に呆気ない。
意外にも人は簡単に死んでしまう。
それ以降、Facebookはまったく更新されていない。
折しも、今年3月からずっと閉めたままの太陽珈琲焙煎本舗に新しいブラジルの生豆が届いた。
もちろん、数日前に自分でオーダーをしたからなのだけれど。
生豆の名は「ブラジル トミオ・フクダ Bau Dry On Tree」。
ブラジルの日系二世フクダトミオさんが経営するBau農園で作られたコーヒーで、Dry On Tree。コーヒーの実が木に成っている状態で完熟し更に果肉が付いたまま乾燥したもの。
いわゆるコーヒーチェリーが枝付き干し葡萄のようなもになっている。
意図的にその状態にさせるため干しコーヒーチェリーの中の種(豆)に中に果肉の甘みが染み込んで行くことを想定して作られている。
しかも、そのコーヒーの苗の名前は「ムンドノーボ」。
新世界という意味が付けられている。
太陽珈琲焙煎本舗が創業した時からブラジル産のムンドノーボは焙煎していたのだけれど、ブラジル ミナスジェライス州にあるイピランガ農園は、何か経営の方針でムンドノーボが育てられていた土地を別の農場経営者に売り渡してしまい、以降同じムンドノーボが入手出来なくなってしまっていました。
ビターカカオを思わせる雰囲気がムンドノーボの特徴のひとつだが、今度の新しいムンドノーボはよりクリアな透明感があり農作物自身の質の良さを感じさせてくれる。
美味しい♪
太陽珈琲焙煎本舗も、そろそろ新しい世界を目指さなければならない。
新型コロナウイルスは容赦ない。
富山県内でも3月末には感染者が確認され、富山大学ではネットを利用したリモート授業が主流になり、太陽珈琲焙煎本舗が構内で出店を始めた6月になっても五福キャンパス内を歩いている学生は疎ら。
今年度の新入生達は、サークル活動も始められず新しい友達も作ることも出来ないまま、ただ時機を待つしかない。
6月の富山は気温25℃を超え、富大五福キャンパスも例外なくアイスコーヒーが売れた。
ランチタイムのスパイシーチキンカレーがテントに来てくれるお客さんほぼ全員の目的だったりするのだけれど、セットのようにアイスコーヒーも抱き合わせで買ってもらえる。
そんな中、キャップを被った男の子が自転車に乗って近づいてきた。
コーヒーグラインダーにガムテで貼ってある豆のメニューを、彼は自転車に跨がったままじっくり吟味して「コスタリカ プエンテタラス ティピカ ナチュラル をドリップで!」。
ほとんどのお客がアイスコーヒーを頼む中、ホットコーヒーをオーダーしてきたのである。
そして、浅煎りの豆。
カセットコンロのつまみを捻ってヤカンのお湯を沸かし直しながら「おや!? コーヒーサークルの人なの?」思わず尋ねてしまった。
富大には、コーヒーのバリスタをもじって『パリスタ』と名乗るサークルがあり、メンバーが30人程居ると聞いていた。
「ボクも近々移動販売を始めようと思ってて……」
沸いたお湯をドリップポットに移しながら「あぁ、またサークルで総曲輪(そうがわ)の街のイベントとか企画しようとしてるのかな?」
「いや、サークルじゃなくて、自分で手網焙煎とかしたりしてるんですよ。もう移動販売車も買ってしまいました!」
アタマの中には、クロネコヤマトが配達でよく使っているトヨタ クイックデリバリーという車種が思い浮かんだ。
2016年には生産終了している車両である。
コーヒーの粉をペーパーフィルターにセットしながら「スゴイね~! 行動力あるね~!」と素直に驚いてあげたい気持ちもあったが、手元のドリップに気を取られてしまって、気のない返事で返してしまった。
ヤカンの沸いたばかりの100℃のお湯を、タカヒロのドリップポット『雫』に移し替え、それで約10℃ほど温度が下がって90℃。
ぐらぐらした100℃のお湯でもコーヒーは抽出出来ないことはないが、高い温度帯では不必要な苦味や雑味が出易い状態にある。
第一投目、ドリッパーの中にセットしたコーヒーの粉の真ん中にお湯を置いてやるかのように 約20~30ml。
コーヒーの粉を湿らせて、そのまま30秒蒸らし時間を取る。
ちゃんとタイマーできっちり測る。
しっかり蒸らして粉の表面積を広げてやる。
表面積が広い方が次からのお湯の投入する際に効率良く抽出出来るようにする為。
そして、第二投目、プラス90ml。
ドリッパーの中の粉の真ん中にゆっくり500円玉くらいの大きさで円を描くようにお湯を注ぐ。
あくまで粉の上にお湯を注ぐ。
ドリッパーの中とはいえ、コーヒーの粉と紙フィルターの際のところに注ぎ入れてはいけない。
お湯がコーヒーの粉と接触する為にコーヒー豆からコーヒー液が抽出されるのであって、紙フィルター側にお湯を注いでもお湯としてサーバーに落ちていくばかりで、結果サーバーの中のコーヒー液は薄いものになってしまうのである。
また、粉の中をお湯が早く通過すれば薄いコーヒーになるし、ゆっくり通過して粉との接触時間が長くなればその分濃いコーヒー液が抽出出来る。
ドリッパーの中の水位を見極めながらの第三投目、プラス40ml。
最後に、プラス20ml。
この最後のお湯を落としきらずに紙フィルターをドリッパーごとサーバーから外してしまう方が良いと考えられている。
ドリッパーに残った落ちきってない液体には、ここにもコーヒーの雑味が残っている可能性があるため、全てを落としきらずに捨ててしまうそうだ。
たかが一杯のコーヒーとはいえ、こうして極力ネガティブな要因を排除して一杯を淹れる。
せっかくのテント出店で、お客さんと対面接客なのだから流暢な口調でコーヒー豆の説明をしながら、手際良く淹れたいものである。
「最近の若者は~」などと出来るだけ比較しないように、口にしないように、文字にしないようにと心掛けているつもりだが。
50を過ぎて、大学生達はちょうど自分の息子だったり娘に相当する年齢だったりする訳で。
「コスタリカ プエンテタラス ティピカ ナチュラル 入りました!」と紙コップに注いで渡すついでに、「お金儲けはいずれ嫌でもしなくちゃいけない事になるんだから、焦らずに、今しか出来ないような事をやった方が良いんじゃない? コーヒーの事が好きなら、このコスタリカとか、コーヒーの生産国に行ってコーヒーの農園を見て、このティピカがどんな花を咲かせるか、このナチュラルが収穫後にどんな処理をされているのか、実際に見て体験する事が貴重な財産になると思うよ。」と、つい余計な事を口走ってしまった。
上から目線で、自分の経験を押しつけるような事を言ってしまった。
「ありがとうございます!」彼は屈託のない笑みを浮かべながら、紙コップに一口付けて「フルーティー!」と付け加えて去って行った。
放っておいても商才のある彼は移動販売車でコーヒー豆をどんどん売って、最新の焙煎機を使いこなし、見る見るうちに店舗をいくつも持ち、従業員を何人も抱えるオーナーになるかもしれない。
何が正解なのか誰にも判らないし、誰も保証してくれるものではない。
新型コロナウイルスのために海外に行くことが簡単ではなくなってしまった為に、尚更海外に行きたいと思えてしまう。
店を持ってしまったが為に、長期旅行に行くことが意外に出来なくなってしまった。
北京から富山に戻って来て、その後一度も海外には出向いていない。
パスポートも有効期限が切れてそのままになってしまっている。
丸の内の店舗が出来る前は、コスタリカ、グァテマラ、ブラジルと立て続けにコーヒー生産国に出向いてコーヒー農園の見学に行った。北京滞在中は、雲南省のコーヒー農園にも行って来た。
コロナ禍にさえ見舞われなければ、そろそろエチオピアに行って、コーヒーの発祥の地を見届けておきたかった。
何度かエチオピアに足を運んで、写真を撮って、一連の作品を作って、写真展を開催して、その場でエチオピアのコーヒーを淹れて、来場者には写真を見ながらコーヒーを飲んでもらいたい。
コーヒーがあるところに人が集まる !? そして、写真も映画も芝居も。
プロローグ
2020年3月28日(土)、本来ならば富山に戻って来て初めての公演の初日を迎えるはずだった。
太陽珈琲焙煎本舗の店舗は完全に休みにして、東京から迎える役者や地元スタッフと関係者達のために、
プロデューサーとしてカラダを開けておく予定にしていた。
思いつく限り出来る限りの対策を講じるべく、
既にマスクを観客の人数分以上確保しラテックスの手袋や次亜塩素酸水も大量購入しておいた。
が、北京から故郷である富山に戻って来て、初の自主公演を強行してしまうには、
成功する確信が満たされることが無く言いようがない不安が拭い切れなかった。
たとえ実施する側のエゴで本番を強行しても、今度は観客席を埋める事が出来なかっただろう。
ナマで演じる芝居を、無観客で上演するのは有り得ない選択だ。
(初めから無観客で上演する意図の芝居の企画ならば話は別だ。)
稽古開始の頃の早い段階で、演出松村との打ち合わせでは、
もしこの企画の関係者の中で一人でも感染者が出たら公演は中止にするという取り決めにはなっていた。
毎日世界の新しいニュースを目にする度、
松村と頻繁にメッセンジャーを交わし本当に公演を実施出来るのか出来ないのかを一喜一憂し検討し続けた。
そして、本番を迎えるべき2週間を前にして、ナント東京の方で、
劇場や稽古場等の貸しスペースが完全に封鎖され本番直前の仕上げが出来なくなってしまったのである。
その頃富山県内では未だ感染者第一号も出ていなかったのだが、
この未曾有の事態を鑑み、公演は無期延期とした。
この芝居の公演の実施と珈琲豆の焙煎屋の営業は関係無いと言えば関係無いのだが、
臥薪嘗胆の思いで、その時が来るまでは焙煎屋の通常営業は止め、
ついでに自分の髪も切らずに伸ばし続けポニーテールにすることにした。
ホントに関係無いのだけれど、そう言う事にした。
Cold Brew “水出し” Coffee
この2020年の夏から、やっとコールドブリューコーヒーを始めてみた。
数年前からだと思うが、コーヒー業界はもちろんコンビニやスーパーマーケット、コストコに至るまで、
猫も杓子も「水出しコーヒー」「水出しパック5個セット」などと
世の中が異常なくらい水出し水出しと五月蠅く感じたので、すっかりウチではやりたくなくなってしまった。
何社かガラス製の水出しコーヒーメーカーも仕入れて箱買いしてあったのだが。
コーヒー器具を予め仕入れて店の棚に並べておいても、ホコリをかぶるばかりで。
驚く事に、メーカーからの仕入れ値と一般のネット通販の価格があまり変わらなかったりもする。
そりゃ百貨店が廃れ個人商店が汲々してしまう訳だ。
でも、コーヒー器具の仕入れ値が高いから水出しコーヒーを売りたくなくなった訳では無い。
「本当に水出しコーヒーは美味しいのか?」
日本国内においては、紙フィルターに入れたコーヒーの粉に
お湯を注ぎ入れるハンドドリップコーヒー(pour over cooffee)が最も人気がある。
これがコーヒーメーカーだったとしても、基本的な構造はドリップコーヒーの形を成しているはずだ。
そして、ドリップコーヒーの場合
コーヒーの粉にお湯を注ぎ紙フィルターによって漉された抽出液を飲むのが通常のスタイルだ。
人の好みは多種多様で、一概に言いのけててしまうのはカナリ乱暴にも思えるのだが、
コーヒーの粉の量、お湯を注ぐ時の温度、注ぐお湯のスピード、、、、
コーヒーがカップに注がれ、最終的に自分が口にするまでには幾つもの課程のそれぞれの選択肢によって大きくコーヒーの味が左右されるものなのである。
その幾つもの課程の中で、お湯を注ぐ時の温度が常温以下の水の場合
「水出しコーヒー( cold brew cooffee )」と呼ばれる事になる。
では、その注ぐ温度で何が違ってくるのか?
一般に、コーヒーは温度が高いお湯で抽出されると苦味や雑味が強く出てしまう傾向にある。
ウチの店にいらっしゃるお客さんの中で
「最近自分でコーヒーを淹れてるようになったんだけど、なかなか美味しく淹れられなくて~」
と言われる方には、先ず
「お湯を沸かしたヤカンからそのままコーヒーの粉に注いでませんか?」
と聞いてみる。
沸かしたばかりの100℃グラグラのお湯をコーヒーにダァ~ッと直接注がれてしまっている可能性が高い。
結果、その所為で苦味や雑味が強く出てしまっているのだ。
一方、水で常温で抽出する場合は、高い温度帯で出て来てしまう成分が出にくい状態であるために、
その他の成分がゆっくり抽出され、比較的まろやかな優しいテイストに感じられたりする事になる。
でも、温度が高いからと言って毒が出て来る訳でもないし、
「美味しくない」と断言してしまうのは気が早いと言うか、
蓼食う虫も好き好きで、
その苦味や雑味がたまらないと思ってる人も絶対に居るに違いないと思ってしまうのだ。
例外はあるものだ。
また、今売られている水出しコーヒーメーカーを使ったり、
コーヒーを一晩くらいボトルに入れてゆっくり抽出するタイプのやり方では、
なんだか水っぽく薄い仕上がりになってしまう事が多い。
個人的な感覚に他ならないが、
自分が「?」と引っ掛かるものを口八丁手八丁で売り抜けられるほど長けた商売人ではない。
そんな事もあって、ウチの店では水出しは低い評価に位置づけられていた。
しかし、今春ウチの店に某社の水出しコーヒーメーカーがやって来た!
飲む際に満足な濃さを得るためには普通の5倍くらいの粉の量が要る。
このマシンの場合、4Lの抽出に500gのコーヒーの粉が必要だったりする。
特長としては常温の水でドリップして抽出したコーヒーを
更に何度もコーヒーの粉の上に注ぎ入れ多重抽出する事が出来る構造になっている。
インドネシア マンデリンG1の深煎り豆を使って抽出してみたら、
程良い苦味を持ちながら、しっかりコクも有りつつ、いつまでも口の中に残る嫌な後味が無い。
グラスに氷を入れても負けない濃さがある。
今までウチの店で作った水出しコーヒーの中で最も理想に近いものが出来た。
新型コロナウイルス拡散防止対策として、丸の内の店舗は積極的に自粛休業することにしたが、
オープンな状態で営業が出来る外部のテント出店の営業は、
富山に戻って来てコーヒー屋をヤルと決めた時から続けてやっているので、休まないことにした。
月の第1日曜日、富山縣護國神社とやまのみの市はもう25年以上も続けられている骨董市のイベントである。
残念ながら、今年2020年の4月と5月と6月がイベント自体があっさりと中止になってしまい、
7月5日(日)は久しぶりの出店となった。
記録では、最高気温25.3℃。最低気温20.8℃。のみの市にテント出店するようになって5年目の経験から、
「最高気温が25℃以上になったらアイスコーヒーを売り始める」というウチの店の条件をクリアして、
満を持しての水出しコーヒーデビューとなった。
水出しコーヒーメーカー「マシン」と偉そうに言っても普通のドリップに比べれば、
同量の抽出液を作るためには10倍くらいの時間を要してしまう。
水出しが量産型ではないため、昨年までと同様お湯出しアイスコーヒーも並行して販売することにした。
今年はブラジル セラード カラメリッチ#18をベースにして、マンデリンの苦味を芯に加えたものにした。
お湯でやや濃いめに抽出したコーヒーを氷を使い
急冷して冷蔵庫保存したものをアイスコーヒーとして販売するのである。
そうすると、お客さんから「アイスコーヒーください~♫」と言われると、
こちらは「今年のアイスコーヒーは二種類ありまして~」といちいち説明しなければいけない事態に陥る。
予想は出来ていた。
想定内である。
水出しのアイスコーヒーは、粉を大量に使うこと、抽出に時間が掛かってしまうことを考慮して、
普通のお湯出しのアイスコーヒー400円に対して100円高い、販売価格500円。
そうした場合、
「あなたのコーヒーは、金のコーヒーですか? それとも銀のコーヒーですか?」
といった問い掛けをしているような、
「ポテトはよろしかったですか?」的なお客さんの自尊心をくすぐるような会話になってしまい、
こちらは若干の後ろめたさを持ち合わせてしまう。
実際「どちらのコーヒーにされます? 水出しは100円高いのですが~」と言うと
「じゃぁ、水出しで!」と返される事がほとんど。
お湯出しよりも手間が掛かっている分、水出しの方に軍配が上がるのは当然の事として単純に嬉しい。
けれど、世の中はこの数年のコーヒー業界の宣伝でそんなにも水出しコーヒーが普及していたのか!?
いつの間に、そんなにも大衆は水出しが好きになったのか!?
マジぱねぇ水出しコーヒー!
自分自身が天邪鬼で水出しを敬遠していたことは別に後悔していないが、
世の中の現実を目の当たりにしてみて驚くしかなかった。
そんな水出し現象は護國神社のみの市のみに留まらなかった。
月の第4日曜日もしくは最終週の日曜日に開催される越中大手市場の出店でもほぼ似たような様子が繰り広げられたのだ。
その間、特に深い理由はないのだけれど、
インドネシア マンデリンG1 のシングルオンリーで抽出していたものを、
今度は25% ブラジル セラード カラメリッチ#18をブレンドして、
カカオっぽい雰囲気を足しほのかな甘みを加え少しだけマイルドな仕上げに変えることにした。
この越中大手市場も、富山市内の丸の内に店舗を構える前から出店を開始して早5年も経った。
太陽珈琲焙煎本舗にとってはホームグラウンドのような場所だ。
2015年の春、5月だったと思うが、富山で最初にテント出店したのが越中大手市場だった。
テント出店することによって、
アンテナショップのように富山のお客さんを目の当たりにしてみたら何か反応を感じ取れるのではないか、
実店舗を作った時の前宣伝にもなるのではないかとか、
とにかく五十歳を間近に控え富山で再スタートを切る男には出店しない理由が全く無かった。
テスト走行な意味合いも含んでテントによる出店のつもりだったのだが、
後々になって実店舗が出来ても知名度を上げるため、
人が集まるところに出向いて行かない事にはと、
テント出店の意味合いが変化していくとは思いもよらなかった。
そして、今年7月から富山大学五福キャンパス構内にて、テント出店する日程が加わる事になった。