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DAYS

STAY SALTY ...... means column

"FAY" Satoko Column

カリフォルニアの風

from  San Diego / U.S.A.

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FAY Satoko
ヨガ講師、ヒーリングプラクティショナー

2012年に前夫を看取り、人生を再構築すべく2014年にカリフォルニア州サンディエゴに移住。
現地日本語情報誌の編集長を7年務めた後、フリーランスのライター&編集者に。
2024年よりヨガ講師、イテグレイティッド・ヒーリング・プラクティショナーとして活動を始める。
プライベートでは再婚した夫と二匹の犬と暮らし、波乗りを楽しむ。
Fay(フェイ)はアメリカでのニックネーム。

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ワンネス、そしてメメントモリ

2.8.2025

DAYS /  Satoko FAY Column

カリフォルニアの風

ワンネス、そしてメメントモリ

年末年始は寝込んでいた。

 

調べたらコロナ陽性で、てんこ盛りで入れていた友達と遊ぶ約束は全部キャンセルせざるをえなくなった。

 

面白いことに、体調が悪くなると、すごくサーフィンが恋しくなる。

 

ぶっちゃけ、昨年はその前年ほどサーフィン三昧じゃなかったにもかかわらず。

 

その気になればやれるけれどやらないのと、やりたくてもやれないのとでは、気持ちがこうも違ってくるとは…。

 

幸い、症状は軽くて3日間ほど寝込んだら起き上がれるようになったけれど、遊ぶ体力が戻るにはさらに日数が必要だった。

 

少し歩くだけで疲れてしまう体と相対することになったわたしは神様に祈った。

 

「わたしはやっぱりもっとサーフィンがしたいです。だから、どうか、どうか、元気に戻してください」

 

祈りながら、いつだったか、似たようなことを祈った記憶がある、と思い出した。

 

13年前、最初に結婚した夫が亡くなった直後のことだった。

 

余命を言い渡されている人と暮らすということは、「この一瞬はもう二度とない」というようなヒリヒリとした感覚と共に生きることであった。

 

美しい紅葉を見れば「来年はもう一緒には見られないかも」と想像してしんみりし、波乗りをすれば「彼と一緒に海に行けるのはあと何回あるんだろう」と考えて悲しくなり、でも、おかげで一瞬一瞬が際立って、キラキラと輝き、それはそれはもうマインドフルで濃厚な日々であった。

 

だから、彼が亡くなったあと、ものすごく意気消沈してしまった。

 

もちろん、彼がいなくなったことがつらかったのだけど、彼がいなくなると同時に、あのヒリヒリとしてキラキラとした濃密な時間が消えてしまったこともきつかった。

 

この先、どこで何をしたいかなんて、とてもじゃないけど考えられなかった。

 

世界の色彩は消えて、わたしはただ呼吸をしている筒でしかない、みたいな気持ちで日々をしのいでいた。

そんな中で、唯一、やりたいと思えたのが、サーフィンだった。

 

夫を伴わずに出る海は、心細く、孤独で、寂しさばっかり募ったけれど、それでもわたしはある日、神様に祈ったのだ。

 

「この先、どこで何がしたいか、まったくわからないけれど、願わくば波乗りができる環境で、サーフィンをして生きていきたいです」

 

それから紆余曲折あって、その祈りのことはすっかり忘れていたけれど、この正月に神様に祈ったことで思い出した。

 

そして、思った。

 

神様、お祈りを叶えてくれているじゃん。

 

わたしは今、あのときは考えもしなかったカリフォルニアはサンディエゴに暮らしている。

 

そこで出会ったサーファーと再婚し、家にはとんでもない数のサーフボードがあって、いつだってサーフィン談義ができる。

 

そんな恵まれた環境で暮らしているのに、いつのまにかそれがすっかり当たり前になって、波乗りにいく回数がぐっと減っていたことが急に悔やまれた。

 

それはまるで奥深い自分からのメッセージのようにも思えた。

 

「波乗りをできるときにやらなかったら、どれだけ後悔するか、忘れないで!」

 

早朝、日の出前に海に行くと、藍色からピンク、オレンジへと移り変わっていく空と出会える。

 

海の上に浮かんでいると、自分もその美しい地球の景色の一部であるということがリアルに実感できる。

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ワンネス。

 

その視界から見渡すと、日常の自分は本来の広大な自分の小さな一部でしかないと感じる。

 

すると、心から大切にしたいことと、実はそんなに大事じゃないかもしれないことの区別がついてきて、「わたし」の輪郭が再定義される。

 

わたしは、サーフィンが大好きだったじゃん!

 

サーフィンを始めたときの、カリフォルニアに移住したときの、原点に返ったような気持ちになって、「波乗りをもっと楽しむ」を2025年の抱負の一つに掲げることにした。

 

この人生で乗れる波の数はそう多くない。

 

しかも、同じ波は一つとしてこない。

 

メメントモリ。

変わる変わるよ世界は変わる

12.5.2024

DAYS /  Satoko FAY Column

カリフォルニアの風

変わる変わるよ世界は変わる

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今年の夏、友人たちとユタ州を旅した。

 

主目的は、友人Kさんが例年楽しんでいるフライフィッシング。

 

フライフィッシングといえば、真っ先に思い浮かべるのは、ブラッド・ピットが超絶かっこいい映画『A River Runs Through It』(1994)。一面を緑に囲まれた渓流で、ブラッドが水に分け入り、シュッシュッと空気を裂く音を響かせて釣りをする美しいシーンだ。

 

数年前に、Kさんが釣りをしている場所の写真を見せてくれたとき、「これこそまさにあの映画の世界!」と興奮したわたしは「また行くときにはわたしも連れて行ってほしい」と懇願し、それがこの夏についに叶ったのだった。

 

厳密には、映画の舞台はモンタナ州で、我々が行ったユタ州とは景色はちょっと違うのだけど。

 

しかし、人のいない山奥、聞こえるのは河のせせらぎと鳥の歌声、しなる釣り竿の音だけ、というシチュエーションは一緒。まるで映画の世界に入ったみたいで、川沿いを歩いているだけでも恍惚とした。

 

その日、Kさんが言っていたことがその後も妙に心に残っている。

 

「ここは、俺がよく釣りをする川の中で、唯一、ほとんど景色が変わらない場所なんだ」

 

川というのは、本来、雨の量によって水量が増減するたびに流れを変え、その結果、わたしたちは毎年微妙に違う景観を見ることになるのだとKさんは言った。けれど、このGreen River、とりわけわたしたちが釣りをしたスポットはすぐ上がダムだから、水量が人工的に安定的にコントロールされていて変化がないのだ、と。

 

川に馴染みないのわたしは最初はピンとこなかったが、同じことを海に置き換えたら納得した。

 

嵐がくると、海の底がごそっと削り取られるということはよくある。すると、干潮で潮が引いたときに、これまでは見たことがなかった崖のような段差が砂浜に浮かび上がったりする。

 

昨日まで砂浜のビーチだったのに、今日は玉砂利(小さな丸い岩)で埋め尽くされているなんてこともある。

 

この世界には変わらないものなどないのだ、ということを、その度に実感する。

 

無常。

 

似たような話で、ヨガでは「“今ここ”しかない」ということがよく言われる。

 

今のこの一瞬と、次の一瞬、たとえ同じことをしていても同じじゃない。だから、永遠に「今」しか存在しない。

 

これについて、わたしは信念というか、考え方、捉え方の話だと以前は思っていた節がある。しかし、ある日、唐突に、いやいや、これは歴然たる事実じゃんと理解した。

 

わたしたちの神経細胞は今この瞬間も電気信号を送り合って、神経伝達物質を放出している。息を吸えば電気信号は変わり、考え事をすればまた変わり、指が動けばまた変わり…つまり、わたしたちの内側の電気信号なりホルモンの量なりは瞬間、いや、それよりも早い速度で変化していて同じ状態であり続けることはないのだ。何もせずに寝ていたってそれらは常に動いているのだ。そりゃ、さっきのわたしと今のわたしは同じではないと言えちゃうわけだ。

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さて、温暖なサンディエゴもすっかり涼しくなったので、犬たちを近所の野原に放すことを再開した(暑い時期はダニやガラガラ蛇がいるので、行かないのです)。

 

人の手が入らない野原もまた、一夏でその姿をずいぶんと変えていることに驚かされる。

 

以前は野生のカモミールが群生していたはずの場所を、今は名も知らぬ植物が占領している。

 

その群生の中にあったはずの獣道は見えなくなって、脇に新しい獣道がつくられている。

 

そんな様変わりした景色の中を、過去の記憶はあまりないと言われる犬たちはどろんこになって駆けている。まるで初めて遊園地にきた子どもみたいにはしゃいでいる。

 

犬たちが我が家にくる前、わずか5年前には想像もしなかった光景だ。

 

だけど、これもまた今しかない眺めで、またさらにいろんなことが変わっていくんだろう。

 

そう思うと、ワクワクもするし、同時に、今この瞬間への愛おしさも増す。

 

ちょっと早いけど、今年も一年、ありがとう。

 

そして来年もどうぞよろしくお願いします。

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結論はいつだって

7.1.2024

DAYS /  Satoko FAY Column

カリフォルニアの風

結論はいつだって

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時々思い出す友人のエピソードがある。

 

アメリカ人と結婚して在米20年近い彼女はある夏、カリフォルニアで行われた日本風の夏祭りに夫を伴って出かけた。

 

懐かしい夏祭り。独特の活気。そぞろ歩く彼女の心は踊り、たこ焼き屋の前で足が止まった。

 

焦げたソースと青のりと鰹節の香り。

 

「はい、一丁あがり!」

 

威勢のいい店の人の声。

 

当然、彼女はたこ焼きを所望したが、あいにく長蛇の列。

 

夫は言った。

 

「今は混んでいるから、他を見て回って、戻って来て買えばいいんじゃない?」

 

それもそうだと納得したのは彼女である。

 

ところが、夫婦が他を見て回って戻ってきた頃には長蛇の列はさらに長くなっていた。

 

夫は並んで待つことを嫌がった。

 

でも、彼女は食い下がって説得した。

 

夫は渋々と承諾し、二人は会話なく列に並んだ。

 

何分待っただろうか。ようやく彼女が注文できる番まであと数組というところでたこ焼きは売り切れになった。

 

「すみません」

 

店の人に謝られて、彼女は泣いた。

 

心の中で泣いたのではなくて本当に泣いた。

 

それまでブスッとしていた夫もさすがに驚いて、「何も泣くことはない。二人でおいしいものを食べに行こう」と彼女をなだめた。

 

それが彼女をさらに泣かせた。

 

「あなたは、わたしにとってたこ焼きがどんなに大事だったか、わかってない!!!」

 

その話を彼女から聞いた時、わたしはもちろん聞いたのだった。

 

「あなたにとってたこ焼きってそんな大事なんだ?」

 

彼女は苦笑いした。

 

「いや、別に」

 

そして、続けた。

 

「でも、あの時はなんだか泣けちゃったんだよね」

 

当時、わたしはサンディエゴに来て1年か2年で、「なんだか泣けちゃった」彼女の気持ちがそこまではわからなかった。

 

でも、今はわかる(気がする)。

 

彼女が泣けて仕方なかったのは、たこ焼きを食べられなかったからではない。

 

たこ焼きがもたらすいろんな思い出を、隣にいる夫とは分かち合えない、ということ。

 

その夫と恋に落ちて結婚してアメリカに来ることを決めたのは自分である、ということ。

 

夫の言動に悪気はなく、最終的には自分を励まそうとしてくれていることもわかっているけれど、だからこそ余計に分かち合い難い壁があることを突きつけられている、ということ。

 

そういうすべてがドドドッと一緒くたになって、誰のせいでもないし、幸せでないわけじゃないこともわかっているけれど、今この瞬間に限っては、「果たして自分のしてきた選択が最良だったのか?」「この人生でいいんだっけっか?」という、絶対ドツボにハマる自問自答が始まって涙が出てきた、そういう状況だったんじゃないか?

 

少なくとも、わたしについていえば、渡米してからの10年、ちょいちょいその状況に陥っている。

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元気なときは自分が選んだアメリカで暮らすという人生を肯定できる、どころかその人生を心から賛美できる。でも、ちょっと元気がなくなるとなぜこんなままならない生活を好んでしているのだろうとまるで他人事のように不思議に思う。

 

日本に帰りたい気もするし、帰りたくない気もする。

 

いつか帰るんだろうが今すぐではないという気もする。

 

でも、いつかっていつになるんだろう?

 

そんなわたしは今、猛烈にカレーパンが食べたい。

 

日本なら近所のコンビニまでチャリを飛ばして5分でありつける一品が、こちらでは車で20分かけて行かないと手に入らない。そしてまたそこの駐車場は混んでいるうえに、価格は日本円にしたら600円くらいしちゃう。カレーパンに600円!

 

食べようと思えば食べられる環境にあるだけ恵まれているじゃないか。

 

そんなことはわかってるのだ。

 

でも、日本で暮らすということがどんなに恵まれていることだったかと、湧き上がる慕情を抑えることができない日がある。

 

一方で、きっと帰国したら、サンディエゴで暮らすということがどんなに恵まれていたかと懐かしむだろうことも目に見えている。

 

結論はいつもこうなる。

 

今をありがたがって楽しむしかない。

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アメリカンダイナーがいいんだな

4.15.2024

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アメリカンダイナーがいいんだな

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アメリカンダイナーが好きだ。

 

いつどんなきっかけで惹かれるようになったのかは定かでないが、おそらく思春期にたくさん見たアメリカ映画の影響が大きいと思う。

 

真っ先に脳裏に浮かぶのは『パルプフィクション』(94年)。冒頭のシーンと最後のシーンがアメリカンダイナーで、これがまたなんとも言えずクールだった。

 

とはいえ、10年前に渡米するまではダイナーとは実際にはどういう場所なのかわかっているようでわかっていなかった。アメリカに来てみると確かにダイナーとしか言いようのない形態?雰囲気?の飲食店がそこかしこにあることを知って、本格的に好きになった。

 

ありがたいことに夫もアメリカンダイナーファンなので気に入ったダイナーには二人して足繁く通っているし、新しいダイナーの発掘にも余念がない。

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そんなに惹きつけられるアメリカンダイナーとは一体なんなんだろう?

 

万人に共通した定義はないのだろうが、私の中では外せないポイントははっきりしている。

 

まず第一にチェーン店ではないこと。

 

そしてボックス席とカウンター席があること。

 

ボックス席のソファーのクッションが明るいレッドだったり、ターコイズブルーだったりするとよりそれっぽい。

 

カウンター席は形だけあってもダメで、常連の男性客たちが座って使っていることがダイナーをダイナーらしくする条件である。

 

次に欠かせないのは存在感のあるサーバー(ウエイター、ウエイトレス)。

 

愛想がとても良いという方向の存在感もあれば、めちゃくちゃ無愛想でそこらじゅうにタトゥが入っているというような方向の存在感もあり。映画のイメージでは女性サーバー限定だったが実際に通うようになったらどっちもありだと思うようになった。

 

あと、メニューに終日対応の朝食メニューがあることも必須。コーヒーがおかわり自由、というかカップが空になっているとサーバーが半自動的に注いでくるのは当然だし、オムレツとパンケーキ、ハンバーガーとミルクシェイキは必ずあってほしい(頼むかどうかは別として)。

 

と、そのあたりが私の好きなアメリカンダイナーの必要条件と思っているが、それだけでは魅力は言い当てられていない。

 

たぶん、一番の魅力はあらゆる庶民を受け入れてくれる包容力だ。

 

アメリカの映画をその角度で見ればきっと合点がいくと思うけれど、ダイナーには幼い子ども連れの家族もいれば、高齢の夫婦もいれば、若いカップルもいるし、女性グループも男性グループもいて、ひとり客もいるのが自然である。なんだかちょっと柄の悪そうな人もいれば、ごく普通の幸せを絵に描いたような人たちもいて、その誰もがそこにいて浮くことがない。

 

アメリカで生まれ育って50年の人も、アメリカに移住してきて10年の私も、通い続けて何年という常連も、今日初めてきたという私もいい意味で同じように扱われる。初来店でもメニューを注文すると「あなた見る目があるわ。それは私のお気に入りメニューよ」なんて言われる。ただのリップサービスといえばそうなんだけど、でも数週間後に行くと「お帰りなさい」なんて覚えてくれていたりして驚かされるし、アメリカンダイナーのサーバーというのはプロフェッショナルな職業なんだと思わされる。

 

サーバーのキャンディーやブレンダに「いらっしゃい。久しぶりじゃない?今日はサーフィンしてから来たの?」なんて聞かれるたび、かつて映画の中のアメリカンダイナーにしびれていた思春期の私に、「あんたも将来はこれを体験するのよ」と教えてあげたくなるような、不思議な気持ちになるのだった。

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人生パズル

2.10.2024

DAYS /  Satoko FAY Column

カリフォルニアの風

人生パズル

今年に入って、ヨガ・インストラクターとヒーリング・プラクティショナーとしての活動を本格的に始めた。

 

職業ライター歴25年以上にして異業種に転身。

 

でも、実を言うと10年以上前、30代の頃に、アロマテラピーとメディカルハーブの資格を取ってセラピストになろうとした時期があるので、今回の転身はキャリア的には二度目の試みだったりする。

 

あの時は、いろんな理由から、結局セラピストにはならなかったのだが、今となると「そりゃ当たり前だ、無謀だったもん」と思う。

 

30代の若き私は、自分とは何者かがわかっていなくて、目の前のクライアントさんが抱えている悩みにわかりやすく影響を受けてアップダウンしていた。

 

生命には、自然には、とんでもないヒーリングパワーがあって、それを伝えたいという気持ちだけが先走り、一人一人異なる個人に対して、何をどうすれば伝えられるのかまったくわかっていなかったし、そもそもわかっていないということからして気づいていなかった。

 

じゃあ、今ならできるのかといえば、もちろんそんなことはなくて、これから学び続けていくことなのだろうと捉えている。ただ、少なくともあの頃よりは自分のことや、やっていること、やっていきたいことを、より解像度を高く見ながら取り組むことができているとは思う。

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最近しみじみ思うのは、時間が経って初めて見えてくることが多い、ということだ。

 

人生というのはまるでロールプレイングゲームみたいなもので、前半でゲットした謎のアイテムが、ゲームを進めてずいぶん経ってから、「ここで使うものだったのか!」とわかることが結構な頻度であるのだ。

 

時には誰かが鍵をくれて、ずっと開かなかった扉が開いくこともあれば、時には誰かがメガネをくれて、これまで見えていたことが全然違うふうに見えてくることもある。

 

そんなふうにして人生前半の謎解きを、人生の後半になってやり始めている気がすごくする。

 

いや、これはロールプレイングゲームというよりパズルかもしれない。

 

きっと私たちはそれぞれ完成させたい絵を持って生まれてくるのだ。

 

生まれた後、何かを体験する度にパズルのピースを獲得して、そのピースをしかるべきところにはめて、少しずつ絵を完成させていくのだ。

 

ピースを得た瞬間にはめる場所がわかることもあれば、しばらくピースを持ったまま右往左往することもある。

 

でも、右往左往する動きさえ、パズルの上に色彩の線を描くことになっていて、それさえもパズルのもともとの完成図に組み込まれているんじゃないか?

 

自分の周りの人々も、それぞれに完成させたいパズルを作っていて、みんなが作っているパズルをはめあわせるとまたより大きく豊かな景色が見えてくるんじゃないか?

 

それが世界なんじゃないか?

 

…話を元に戻すと、30代の時、セラピストというピースを得た私は、ハマるところを探して歩き回ったけれど、どうも見つけられなくて、そのまま放置しておいた。

 

でも、それから10年以上を経て、動作学やヨガ、インテグレイティッド・ヒーリングを学ぶことになって、それらのピースがセラピストのピースにくっつくってことがわかった。

 

そうやって複数のピースが組み合わさったらちょっと大きな絵が見えてきて、このピースの組み合わせがより大きな絵のどこにはまるのかも見えてきたのだ。

 

なんていう壮大なゲームだ…。

 

そう考えると、人生においてはすぐに答えが出ないようなことの方がパズルを構築する楽しみが大きいと言えるかもしれない。

 

これは何だろう? どこの部分なんだろう? 

 

そんなふうに問い続けながらパズルをはめて解いていくことが生きることで、完成形を見ることよりも、完成を目指して構築していくことそのものに生きる醍醐味があるという気がする(完成形は忘れてしまったとはいえ生まれた時には知っているはずだから)。

 

ありがたいことに、私はまだまだ「これはどこの何になるの?」というピースをいくつも持っている。そして、新しい体験をすればまたピースを増やせるってことも知っている。

 

2024年はパズルのどの部分が完成するのだろう? 見えてくる絵を楽しみに、試行錯誤して構築する日々を味わいたい。

神様の時間に

10.15.2023

DAYS /  Satoko FAY Column

カリフォルニアの風

神様の時間に

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朝のサーフィンを復活させた。

 

いや、正確にいうと朝のサーフィンはこの夏もしていた。

 

復活させたのは“早朝”サーフィンだ。

 

いわゆる日の出前、ファーストライトと呼ばれる時間帯のサーフィン。

 

漆黒の空が藍色へ、そして紫色へと、夜明けの準備を始める時間。

 

キャンプなど野営で寝たことがある方はピンとくると思うが、鳥たちがいっせいに鳴き出す時間でもある。

 

私は、昔から朝が好きだし、得意でもある。

 

締め切りが立て込んでいるときなど、夜中まで粘るより、早々に寝てしまって、朝3時に起きて原稿を書くほうが私にはよほどたやすい。

 

だから、朝一番に海に行くというのは、私にはさほど苦痛じゃない、どころか、一日の最初にすることがサーフィンって、幸せでしかない。

 

にもかかわらず、私はいつのまにかこう考えていた。

 

「会社員だから、出勤前にやるしかない」

 

だから、昨年、会社を辞めて、フリーランスになったとき、「今後はわざわざ朝イチに海に行かなくてもサーフィンを楽しめる!」といろめきたった。

 

そして、実際に、朝9時とか10時とか、わとのんびりめの、サーファーたちには「シフト2」と呼ばれるような時間帯にサーフィンをしていた。

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しかし、である。

 

この夏の終わりに、私はめちゃくちゃ久しぶりに一人で旅に出て(厳密には旅の後半は友人と一緒だったのだが)、日常から思いっきり離れたことで思い出した。

 

そもそも私は、朝、誰も起き出していない早朝に活動することが好きだったじゃないか。

 

サーフィンに関しても、早朝しかできないからではなくて、人がまばらな朝一番の海がそもそも好きだったではないか。

 

 

 

…心理というのは本当に面白いもので、早朝にサーフィンするという行為は同じなのに、しかも、それを自分は好んでいたというのに、「それしか選択肢がないから早朝にしている」というのと、「両方選べるけれど早朝にしている」というのでは、心持ちが全然違う。

 

そういえば、知人に似たような体験をした人がいたことを思い出した。

 

旅が好きだ(と思っていた)その知人は、旅をしながら仕事をするノマドワーカーを目指した。

 

思いきって会社を辞め、自由なワークスタイルを構築し、実際に旅しながら働いたのだが、結果的に、「家が大好きだったとわかった」という結論に至り、時間的、金銭的な自由は会社員時代よりずっとあるにもかかわらず、会社員だったときと似たような頻度でしか旅に出なくなっている。

 

そう考えると、いろんな体験をしてみることは、自分の好みを知るには大事なんだな。

 

そして、どっちから選んでもいい、というふうに自分に選択権がある環境にあることのありがたさが沁みる。

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ところで、ヨガ歴18年(13年のサーフィン歴より長い)、今年に入ってティーチャーになるべくトレーニングを受けはじめた私は、最近になってようやく、インドの教えでは日の出前は「ブラフマ・ムフールタ」(神の時間)という神聖な時間だとされていることを知った。

 

具体的には、日の出の96分前から日の出の48分後までらしい。

 

そんな神の時間にぷかぷかと海に浮いていることを許されているって、もう感謝しかない。

 

なーんて今は殊勝な感じで気持ちを新たに早朝サーフィンを再開したけれど、秋が深まり、冬が来たら、それでもやっぱり嬉々として早朝の海に行くかはわからない(前は行っていたけれど)。

 

でも、それはそれ。

 

今楽しいと思うことを楽しむことができる環境に感謝して、今楽しめることをありがたく受け取って楽しんで生きてゆくのだ。

一丁前のサーファーになった夏

8.5.2023

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カリフォルニアの風

一丁前のサーファーになった夏

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今年の夏は感慨にふけっている。

 

特に思い出すのは2010年、サーフィンを始めた夏だ。

 

その年の春、東京から湘南に引っ越した私は、この機会にサーフィンを始めようとサーフボードを買った。

 

毎日のように海に行くようになって初めて、波はいつも違うし、自分の都合に合わせてくれるわけではないという当たり前のことに気づいた。

 

自力で沖に出れるようになって初めて、サーフボードの上に立つこと以上に、自分で波を選んで自分で波を取ることの方が難しいと学んだ。

 

当時、自分は一丁前のコピーライターのつもりだったが、一丁前のコピーライターであることは海の中では何の役にも立たないことを知った。

 

やがて、流行りのメイクをしてバリバリ働くことより、すっぴんで波のリズムに合わせて暮らすことを好むようになった。

 

マーケティングについてよく知っていることより、波のうねりやカレント(離岸流)、風の吹き方、潮の満ち引きといったものに詳しいのがかっこいいと思うようになった。

 

一丁前のコピライターより、一丁前のサーファーになりたい。

 

そこから私のサーフジャーニーが始まった。

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あれから13年。

 

私は、この夏、自分も一丁前のサーファーになったな、としみじみしている。

 

きっかけは、人生で初めて、人にサーフィンを教えたこと。

 

友人から「親戚がサーフィンを教えてくれる人を探している」と聞いて、「私が教えるよ」と手を挙げた。

 

最近、たまたま、これまでの自分の枠を超えるということを意識していたところだったので、ちょうどいいチャレンジになると思った。

 

友人から私の連絡先を聞いて直接連絡してきたその親戚が、とても感じがよかったことも私を後押しした。

 

彼女は言った。

 

「私は、サーフィンを始めるのには年を取っているかもしれない。けれど、サーフィンはずっと私のバケットリスト(人生でやりたいことリスト)に入っていたの。ようやくその夢が叶って嬉しい!」

 

 

波が来て、彼女のサーフボードを押して、ボードが波を捉えて滑り出したのを見た時、私はまるで自分のことのように興奮した。

 

そのまま岸まで運ばれて、最後にすっ転んで、笑いながら立ち上がって私を振り返った彼女の弾ける笑顔と目の輝きにグッときた。

 

わかるよ、その興奮。

 

一度これを味わうと、ぶっちゃけ、癖になるよね?

 

思えば13年前、その感覚の虜になったために、今の私がいるのだ。

 

初心者のうちは、その感覚を味わえる機会は正直少ないけれど、次はもしかしたら? この次こそ? と、あの興奮をもう一度味わいたいという情熱が私にサーフィンを続けさせてきたようなもの。

 

その始まりとなった、初めて波乗りした日を、私が今も忘れていないように、彼女もきっと今日のことを一生覚えているだろう。

 

 

私が自分のことを一丁前になったとしみじみしたのは、彼女が人生初の波に乗って、今まさにサーフジャーニーを始めんとしていることを心の底から喜んでいる自分を発見したからだった。

 

それだけじゃない。

 

この夏の私は、他のビギナーサーファーが波を取ったら見知らぬ人でも「ヒューヒュー!」と声をあげるくらい、お祭りおばさんと化している。

 

自分がそうしたいからしているだけなんだけど、ある親子に帰り際「激励してくれてありがとう」って言われて思い出した。

 

そう、サーフィンって最初のうちはとっても心細いんだよね。

 

だから、見知らぬサーファーが温かく接してくれるとホッとするんだよね。

 

私もそうで、でも、本当に時折だけど「頑張ってね」と優しい声をかけてくれるサーファーがいてくれたから、めげずに諦めずに続けてこれた。

 

一丁前のサーファーになりたいと心に決めた13年前の私は、何をもって一丁前というのか定かでなかったけれど、一丁前のサーファーってきっとスキルの話ではなく、サーフィンの虜になった全ての人を、レベルやスタイルの好みにかかわらず同胞として自然に受け入れられる心を持つ人なんじゃないか。

 

そんなふうに思って、自分もついに一丁前の仲間入りだと、しみじみしている夏なのである。

ホームシックは続くよ、春までも

4.10.2023

DAYS /  Satoko FAY Column

カリフォルニアの風

ホームシックは続くよ、春までも

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渡米して丸9年となった。

 

最もホームシックになったのは最初の1年だったが、それに次ぐレベルのホームシックが今年に入ってから続いている。

 

それもこれも雨が続いてちっともサーフィンができていないせいが大きい。

 

カリフォルニアは雨水を処理するインフラが整っていないので、雨が降ると山から川へ、そして道路から川へ、という感じで汚水は一気に海水に流れ込む。

 

よって、公式には雨後の72時間は海に入るなと言われている。

 

雨が降り続いていると言っても、毎日ではないのだが、そろそろ72時間経つ(つまり3日間)という頃になってまた次の雨が降る、ということを繰り返していて、年が明けてから海に入れたのは数回だけ。

 

沿岸の崖は崩れまくっていることもあって、海にアクセスする駐車場が閉鎖されているところも多く、9年住んだけどこんなことは初めてという春を体験している。

 

前にも書いたが、サーフィンができないとなると、私にとってサンディエゴで暮らす魅力の80%はなくなるも同然で、日本は桜の季節ということもあいまってホームシックは深まるばかり。

 

もちろん、それはアカン、となんとか立て直すことを試みている。

 

だって、波乗りできなかったらこの町に住んでいる理由はないって、彼氏がいなかったら生きている理由がない、というようなもので、私の人生、波乗りが全てなわけではないから、波乗りが消えたとしても楽しくあるべきなのだ。

 

そうでないと困る。

 

波乗りだけが私の人生じゃないはずだ。

 

そう言い聞かせていろいろなことを楽しもうとしているが、今のところ、波乗りの他に熱中できるのはヨガだけというのが現状だ。

 

 

ヨガを始めたのは2005年だから、ヨガ歴だけでいえば18年と、サーフィン歴よりヨガ歴の方が5年も長い。

 

とはいえ、渡米後は日常生活を落ち着かせることに追われていて、家で思い出した時にやる程度だったので、本格的に再開したのは2020年のコロナ禍だった。

 

それまでは、会社勤めだったので、ヨガのクラスに出たくても、時間で都合がつかないことが多かった。

 

 

けれど、コロナ禍のロックダウンで、さまざまなスタジオや先生たちが、オンラインクラスをやり始めた、かつ、私の仕事も家でのリモートになったので、参加できるようになったのだ。

 

その頃から、「やっぱりヨガが好きだな。ヨガを体系立てて学びたいな。

ティーチャーコースを取りたいな」とぼんやり考えるようになった。

 

ところが、ティーチャートレーニングを実施している先生なりスタジオなりで、ピンとくるところを見つけるのに時間がかかった。

 

私は、カリフォルニアにおける昨今のヨガはファッションになりすぎていると思っていて、それはそれで裾野を広げるという点では素晴らしいと考えているのだが、自分が学ぶにあたってはファッションに傾いていない、より古典的な、あるいは本質的なヨガを教えてくれそうな先生なりスタジオなりを求めていたのだ。

 

それがついに見つかったのが昨年のこと。

そして、会社を辞めて完全にフリーとなり、今年になってとうとうティーチャートレーニングに参加することが叶ったのだ。

 

というわけで、今、ものすごくホームシックだけど、それでも私がサンディエゴにいる理由は、サンディエゴで始めてしまったティーチャートレーニングを修了したいからという一心である。

 

いや、もちろん、現実的には家族がいるからサンディエゴに残る理由は他にもあるのだが、ヨガがなければ、家族ともども日本に帰国して過ごす将来を考えてもいいのではないかと夫に提案しかねないほど、今、私は日本が恋しい…。

 

 

ここまで書いて頭の整理がされてきたが、私は日本が恋しいというより、サンディエゴに飽きたのかもしれない。

 

せっかくサンディエゴに根付いてきたなぁと実感していたのに、根付いた途端に飽きたとは、我ながらけっこうな根無草である。

 

でも、振り返ってみると、大人になって実家を出てからは、一つの土地に9年も続けて住んだことがなかった。

 

だから、すっかり忘れていただけで、本来は根っからの根無草なのかもしれない。

 

根がないのに根っからのっていうのもなんだが、私はそもそも、ひとところに落ち着いて住みたい気持ちが、そんなにないのかもしれない。

 

それはそれで恐ろしい本音に気づいてしまった。

 

だって、家族もいて、犬もいて、気づいたからといって、「じゃあ引っ越そう」なんて身軽に動けないじゃんか。

 

でも、身軽に動けない自分が歯痒くもある。

 

いつからこんなに身軽でなくなったのだろう。

20代30代の私なら、住む場所を変えることは洋服のテイストを変えるくらい簡単だったのに。

 

これはもしや、ホームシックではなく、中年の危機、ミッドライフクライシスかもしれない。

私は40代も後半になってまた再び、自分はこの先、どんな場所で、どんなふうに暮らしていきたいのか、改めて考え直しているのだった。

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ホームシックは突然に

2.8.2023

DAYS /  Satoko FAY Column

カリフォルニアの風

ホームシックは突然に

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年末から年始にかけて、カリフォルニアに住んでいることを忘れるくらい雨が続いた。

 

クリスマスも、大晦日も、正月も降り続けた雨は、松の内が明けてもまだぐずぐずと居残って、ようやくサンディエゴらしい太陽と再会できたのは1月に入って3週間が経ってからだった。

 

例年であれば、年末年始のお休みの間、夫とサーフィン三昧としけこむのだが、当然、今年はできなかった。

 

かわりに、寒い我が家でブランケットにくるまり、ひたすら日本のYouTubeを見続けた。

 

わびしいと言えば、わびしい。

 

わずかな救いは、日本食レストランで買った豪華なおせちがあったこと、YouTubeを映し出すテレビ画面が75インチと(無駄に)特大であること。

 

でも、そのささやかな救いも、日本からかかってきた父母からのLINE通話で吹っ飛ばされた。

 

向こうは弟夫婦と、可愛らしい姪っ子と一堂に介して、母の手作りのおせちをつまながら、おいしそうな日本酒を飲んでいる。

 

言わずもがな楽しそうだ。

 

しかも、正月早々、あまりに暖かいので、布団を干した、と言う。

 

元日の夜から干したばかりの布団にくるまって眠れるって、何それ、最高じゃん。

 

それが叶わぬ遠い場所にいることが、なんだか、寂しく、なんなら、悔しい。

 

いつもなら「こちらもサーフィン三昧で楽しんでいますよ」と言い返せるのに、今回は言えない。

 

そこで気づいた。

 

私は、どこかで、サンディエゴにいることが自分にとって最高の選択なのだということを自分(と周囲)に言い聞かせていたいんだ、と。

 

「いい暮らしをしているじゃん」と自分(と周囲)に言い聞かせるための強力なファクターが、お天気の良さとサーフィンであるのに、それがなくなると途端にここに好んで住んでいる理由が見えなくなる。

 

そして、ホームシックに襲われる。

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1ヶ月にもおよぶ鬱々とした長雨が過ぎ去ると同時に、日本から友人Mさんがやってきた。

 

もともとは夫の友人であるMさんがカリフォルニアに来るのは実に4年ぶり。

 

そのタイミングを待っていたかのように、ちょうどいいサイズの波がサンディエゴに届いて、我々夫婦はMさんと共にようやく2023年の初乗りを果たすことができた。

 

サーフィンをした翌日は、海沿いにある自然保護地区、「トーリーパインズ」にハイキングに出かけた。

 

ここはとにかく風光明媚で、断崖絶壁から海を見下ろす景色が見もの。

 

ハイキングコースはその絶景の中を歩いて、最後はビーチまで下りることもできる。

 

Mさんは、歩きながら、「いいねぇ。やっぱり、カリフォルニアはいいねぇ」と何度も言った。

 

私はその度、「でしょう。でしょう」と答え、心の中で「そんなところに住めている私はラッキーだ」と自らに言い聞かせた。

 

一時間くらい歩き続けただろうか?

汗をかいて車に戻って帰路を目指す頃には、私のホームシックはスッと消えていた。

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日本を出て何年経ってもホームシックは不意に、不定期に、やってくる。

 

それでも9年も経つと、さすがに対処は得意になった。

 

ホームシックというのは、元カレみたいなもので、距離ができたからこそ美しいところばかり思い出してしまうけれど、実際には嫌だったところもうんとあるのだ。

 

要は、何らかの理由で今に満足できない時、昔の良かったところだけを引っ張り出して懐かしがりたいのだ。

 

だから、ホームシックになったら抗わず、ただ「懐かしいなぁ」「楽しかったなぁ」と、飴玉を味わうような気持ちでつかのまの甘味を徹底的に味わうくらいが、むしろいい。

 

やがてその甘味にも飽きるし、飽きる頃には目の前にもまた違った甘味があったことをちゃんと思い出せるから。

 

とはいえ、できれば2023年は、過去の甘味よりも、今ここの甘味をたくさん味わいたいなぁ。

 

できるかな? いや、できるようにする、かな?

パドレスに染まった秋

11.7.2022

DAYS /  Satoko FAY Column

カリフォルニアの風

パドレスに染まった秋

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この10月のサンディエゴはパドレス一色だった。

 

メジャーリーグベースボールに興味がない方にはどうでもいい話と思うが、我がサンディエゴの野球チーム、サンディエゴパドレスが、リーグ優勝を争うポストシーズンへの進出を決めたのだ。

 

ポストシーズン進出といっても、これがまた「ワイルドカード」という、簡単に言うと「ぎりぎり進出」だったので、サンディエゴ市民たちは最初はおとなしかった。

 

「ポストシーズン進出は嬉しいけど、初戦で負けてしまうかもしれないし、あまり期待はしないでおこう」といった空気がムンムンしていた。

 

ところが、初戦でニューヨークメッツを下して二戦目に進んだあたりから、パドレスファンたちは色めき立ち始めた。

 

もしかしたら行けるんでないか!? そんな雰囲気がファンの間で漂い始めたのだ。

 

わかりやすかったのは、パドレスの帽子やTシャツを来た人に出会う確率が激増したことだ。

 

パドレスのステッカーをつけている車を見る機会も増えたし、ご近所さんの家に掲げられている国旗がパドレスの旗に変わったりもしていた。

 

顔見知りはもちろんのこと、会ったことがない人でも、パドレスのグッズを身につけていたら、「Go Padres!」と声を掛け合ればたいていノリノリの返事が返ってきた。

 

スポーツっていいなぁ、と久しぶりに実感した。

 

市民の興奮は、ポストシーズンの第二戦目、ロサンゼルスドジャースとの対戦でマックスとなった。

 

リーグ優勝候補の本命、ドジャースに、サンディエゴが勝ったのだ。

 

うちはテレビがない、というか、テレビはあるのだけど視聴契約をしていないため野球中継が見られないので、試合がある日はスポーツバーに繰り出して観戦していたのだが、その場にいる誰もがパドレスを応援しているので、勝利が決まった瞬間のバーはまるでライブハウスのような一体感に包まれて、すごく楽しかった。

 

なんだかこの感覚久しぶりだなぁ…と感じてから、そりゃそうだ、と気づいた。コロナパンデミックでこの数年、こんなふうに人が集まって騒ぐってことがなかったものね。

 

そう考えると、パドレスのプレーオフ進出で街がこんなにも盛り上がったのは、もちろんシンプルに地元チームを応援したいという気持ちが動機であろうけれども、長引いたコロナ禍の鬱憤を晴らすような意味合いもあったのかもしれない。

 

残念ながらパドレスはドジャースの次の対戦相手、フィラデルフィアフィリーズに負けてしまって、リーグ優勝はならず、ワールドシリーズには進めなかった。

 

ただ、私は、試合のたびに毎度スポーツバーに繰り出すことや、一つ一つのプレーに本気でハラハラドキドキすることにやや疲れてきていたので、今年はもうこれで十分、とちょっとホッとしたのも正直なところだ。

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それにしても、お祭りのような10月であった。

 

日本にいた頃は、関東にいたせいか、こんなふうに一つの野球チームで地元全体が盛り上がるということを経験したことがなかった。

 

そもそも我が家からして、父親は巨人ファン、東海出身の母はドラゴンズファン、兄はヤクルトファンとバラバラだったし、いろんな地方から人が集まっている東京では、それは不自然なことではなかった。

 

さらに言えば、東京を本拠地とするチームは、巨人、ヤクルト、日ハム(当時)と複数あって、東京にいるからどこファンであるという考えも持っていなかった。

 

けれど、サンディエゴにいると、基本パドレスファンだという前提で会話が始まる。

 

これが、本当に面白かった。

 

今のところ引っ越す予定は全くないけれど、もし私がシアトルに引っ越したら、きっと、私はパドレスのことを昔の恋人のように懐かしく思いながらもシアトルマリナーズを応援する気がする。

 

少なくともそれがファンに求められている姿勢というふうに感じてしまう。

 

そう考えていくと、縁ある地元チームを応援するのって、結婚と似ているような気もしてきた。

 

何がって、何かがずれていたら私はシアトルにいたかもしれず、そしたら結婚相手はマリナーズになったろうけど、たまたまサンディエゴにいたからパドレスだったってところ。

 

たまたまではあるけれど、でも、応援すると決めたからには本気で応援するってところも。

 

この結婚、もとい、ファンであることの本気度を表明するためにも、いよいよテレビの野球中継の視聴契約を真剣に検討する時が来たかもしれない。

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オンスとパウンドの壁を越えた日

10.7.2022

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オンスとパウンドの壁を越えた日

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アメリカに移住して8年、いまだに私が理解できていないのがアメリカ独特の単位だ。

 

長さの単位、フィート(ft)に関しては、「1フィートは大人の大きめの足のサイズ(だいたい30cm)と覚えるといい」と移住の初期に誰かが教えてくれ、すぐ感覚に落とし込むことができたが、それだけ。

 

そもそも日本で育った私は100、1000という単位で区切ることに馴染みすぎているので、1フィートの12分の1が1インチ(in)と言われても、「なんで10で割らないで12で割るのか?」というところで思考が停止してしまう。

 

もっと苦手なのは、重さと体積の単位。

 

こちらの日常生活で一番よく出会うのはパウンドで、1パウンドはだいたい450グラムというところまでは理解できているが、パウンド(Pounds)の単位記号はなぜか「lb」なので、その表記を見てすぐに「パウンド」という音が出てこないのが難だ。

 

しかも、重さには他にオンス(oz)という単位があって、パウンドでなくオンスで表記されていると咄嗟にグラムに換算することができない。

 

そこに体積の単位、ガロン(gal)まで加わると、もう何が何だか…。

 

もちろん、7年も暮らしているので、16オンス(oz)は大体グランデサイズのカップ一杯だとか、私の車はガソリンを満タンにするとだいたい13ガロン(gal)入るとか、生活の上では困らない程度の知恵はついた。

 

ただ、16オンスは何グラムか? 13ガロンは何リットルか? 換算せよと言われたらわからない。

たまに、換算した数値がパッケージに記載されている商品もあって、それは本当にありがたい。

 

私には子どもがおらず、子どもの学校の宿題を手伝う必要がない(=アメリカの算数に触れる機会がない)ので、きっとこのまま、単位に関してはなんとなくぼんやりしたまま暮らしていくのだとどこかで思っていた。

 

ところがである。

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この秋から、私は、アダルトスクールに通うことになった。

 

アダルトスクールというのは、アメリカ政府が提供する公立の教育機関で、18才以上の米国の住人には誰でも門戸が開かれている。

 

私は、英語力がもう少しほしくてアダルトスクールに入学申し込みをしたのだが、テストを受けたところ、英語を母国語としない人たちのための英語プログラム(ESL/English as a Second Language)で学ぶレベルよりは上のレベルだと判断されて、ABEというクラスに入ることになった。

 

ABEとはAdult Basic Education(大人の基礎教育)の略だ。

 

このクラスには、ESLでアドバンスのレベルには達しているとはいえまだ自身の英語力を磨く必要があると考えている人、大学などアメリカの高等教育機関への進学を目指していたり、アメリカでも母国と同じレベルのキャリアを形成したいなどの理由で、その土台となる知識・スキルを身につけたい人が主に通っている。

 

私はそのアダルトスクールのABEのクラスで、先日、ついにパウンドとオンスを学ぶことになった。

 

そして、初めて知った。

 

1パウンドは16オンスなんですって、奥さん!

 

っていうか、それさえ知らずに8年暮らしてきたって、それはそれですごいけど。

 

クラスでは、パウンドとオンスの計算をしただけでなく、パウンドとオンスが出てくる、アメリカの小学校5年生くらいまでの算数の文章問題も解いた。

 

何に感激したって、思ったより簡単に解けたことだ。

 

ちゃんと教えてくれる人がいれば、私だってできる!

 

いやいや、小学校レベルの算数だから解けて当然といえば当然なんだけど、私はそもそも数字と単位が苦手なうえに、英語は母語じゃないっていうことで、アメリカで算数や単位について考えることには大きな心理的ブロックが立ちはだかっていたのだ。

 

そのブロックが外れた。

 

渡米8年、ついにパウンドとオンスの壁を越えた!!!

 

ちょっとした、いや、結構な達成感で満たされたが、もう一人の冷静な自分はささやいている。

 

「次はマイル(Miles)の壁があるぞ。ヤード(Yards)の壁もまだある。分数は英語で何と言うのだ? 分子は? 分母は? 小数点は?」

 

…ひと壁越えて、また、ひと壁。

 

こうして移民暮らしは続いていくのだ。

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ラブ・ニッポン!!!

9.5.2022

DAYS /  Satoko FAY Column

カリフォルニアの風

ラブ・ニッポン!!!

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今思い出しても、なぜあの時、一言言えなかったのかなぁ、と悔しくなる出来事がある。

 

今から数年前、日本人4人と、アメリカ人1人で会食をしていた時のこと。

 

日本人は細かすぎるところがあるよね、という話になって、日本人である私たちも「わかるわかる」と頷いたところ、その場で唯一のアメリカ人であった男性Kさんが、こんな話題を出した。

 

「自分の会社で作っている製品を日本でも作ることになって、日本の人が視察にきたのだけど、『その色の配合を教えてくれ』って言うんだ。それで、僕は『そんなのないよ』って言ったんだ。だって、見た目、その色になれば細かいことはどうでもいいからさ」

 

要は、視察にきた人は、印刷で言うところのCMYKの要領で、何色を何パーセント配合したのが正規の色かを教えてくれ、と聞いたわけだ。

 

しかし、Kさんサイドは、見た目がその色に仕上がればいいから、そもそも色に対して厳密なルールなどなかった。

 

それで、色を正確に出したいから配合を教えてくれと言うのがいかにも日本人らしくきっちりしている(細かい)、と感じた例としてKさんはこの話を出したわけだ。

 

もちろん、どちらかというと好ましくない、ネガティブなニュアンスで。

 

私は、その時は少し酔っていたこともあって、「あは、そうそう、そういう細かさ、日本人ぽいのよね」って一緒に笑った。

 

でも、翌朝、目が覚めて、そのシーンを思い出したら、すごくモヤモヤした。

 

なんで、私は調子を合わせて笑うだけで、一言言えなかったのだろう。

 

「でも、そのくらい細かいからこそ、日本のモノ作りは世界に誇るレベルにあるのだよ」って。

 

だって、見た目でその色になればいいっていう作り方だと、作る人によって色にムラが出ちゃう。

 

もちろん、性能が同じなら色にムラがあってもいいという考えもあっていいわけだけど、色も含めて細部まで心を注いで作るっていうのが日本のモノ作りの精神の根底にはあって、だからこそ、メイドインジャパン製品が世界で信頼されるものであり続けているんだ。

 

別にKさんと言い争いたかったわけじゃないけど、ただ、自国についての揶揄を一緒になって笑うばかりで、細かいことの良い面もあるんだよって言えなかった自分が悔しかった。

日本人は細かいってことと同じくらい、自国のことを誇らしく主張することが苦手であるということをアメリカで暮らして痛感しているけれど、まさに自分がそうだと、悔しかったのだ。

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…というような数年前の出来事を今、ここで出したのには理由があって、私はこの夏、久しぶりに日本に帰国して、日本のモノ作りの素晴らしさを再認識して戻ってきたのだ。

 

まずびっくりしたのがプチプライスのコスメのクオリティーの高さ。

 

人種のるつぼであるアメリカと違って、日本人ターゲットの製品は日本人の肌質、肌色だけ追求すればいいという点で利があるのかもしれないが、そこを差し引いてもなお感動レベル。

 

もう一つ、もし日本に住み続けていたらその魅力に気づかないでいたままだったのではないかと思うのが、手拭いと風呂敷だ。

 

手拭い、端っこが縫われていないのは、すぐ乾くように、というのと、水切れをよくすることで清潔を保つためだって、知ってました?

 

で、たとえば鼻緒が切れた時や包帯が必要になった時なんかに手でビリって切ってすぐ使えるようにもなっていて、しかも切った後はそのままにしてもほつれはさほど広がらないって、すごい。

 

もっと感動するのは風呂敷で、そもそもただの一枚の布をいろいろ折って、さまざまに使うという発想が超クリエイティブ!

 

私はサーフィンを愛好しているのだが、ビーチで着替える時に下に敷くと便利なマットも、サーフィン後の濡れたウエットスーツを入れるのに便利な袋も、大判の風呂敷が一枚あればこと足りるということに気づいて、これ、ぜひ世界のサーフシーンに「エコサーフ」として啓蒙したいわ、という気持ちになった。

 

いや、世界に啓蒙はさすがに無理としても、ここカリフォルニアの海で、手拭いや風呂敷を堂々と使って、「なにそれ?」って聞かれた時、「これすごいのよ!ビバ、ニッポンよ!」って誇りを持って伝えたいと思うようになった。

 

ということで、この夏、私にとって最大の出来事は、手拭いと風呂敷への愛が勃発したことです(笑)。

 

日本人であることにもっと誇りを持とう、日本文化の素晴らしさをもっと伝えていこう、そう思うようになった私のこれからのアメリカ生活にどんな変化が起こるのか、ちょっとワクワクもしている。

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体験しよう、旅しよう

5.5.2022

DAYS /  Satoko FAY Column

カリフォルニアの風

体験しよう、旅しよう

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ずいぶん前に読んだ『神との対話』シリーズ3部作(サンマーク出版)を読み返している。

前回読んだとき、すごく感動した記憶があるのだが、今回再び読んでみて、すごく感動したはずの内容のほとんどを覚えていなかったことに気づいた。

それからもうひとつ気づいたことがある。

それは、この本がアメリカで書かれたものであるために、アメリカで暮らしている今の私だから理解しやすい箇所が多々あることだ。

 

たとえば、『神との対話2』では「世界政府」について言及されている。

世界政府の是非については、私はまだ自分の意見を持ち合わせるほどの理解はできていないのだが、本の中には「アメリカ合衆国の成り立ちは、世界政府の基本に近い」というようなことが書かれていて、これには「なるほど!」とかなり合点がいった。

 

というのも、アメリカは「合衆国」であるってことが、アメリカに住んでみてはじめて体感として理解できたからである。

日本にいるとき、私は、アメリカ合衆国っていうのが国で、州というのが都道府県で、その下に市町村がある、と思っていた。

でも、実際には、アメリカでは、州というのがひとつひとつの国のようなもので、その下にある郡(カウンティー)がむしろ都道府県に近く、その下に市町村があるのだと、住んでみてわかった。

で、アメリカ合衆国はまさに、その州(States)という国々が、Unite(合体)した連邦国家なんだと。

 

いやいや、アメリカ合衆国は連邦国家であるって…そんなの基本的な教養でしょうと自分でも突っ込みたいけど、連邦国家というものに実際に住んでみて、その仕組みを生活で体感するまでは、連邦国家ってどういうことなのか、やっぱりきちんとは理解していなかったと認めざるをえない。

 

ちなみに、連邦国家ってこういうことかと、私が顕著に体感したのは、コロナ禍における各州の対応だった。

アメリカ連邦政府としてはマスク着用を義務付けると発表したとしても、州によっては「うちはマスクは義務化しません」というところもあったし、なんなら州が「マスクは義務」としても、その下の郡は「うちは義務ではなくこういうルールにします」なんてことが普通に行われていて、日本からの移民の私は「???」だったわけだ。

 

でも、各州がそれぞれ国のような存在で、連邦政府はそれを合体させた制度としての国家であると考えると、各州がそれぞれ独自のスタンスを取る(そしてそれが許される)ことも納得がいく。

よく考えたら、いや、よく考えなくても、そもそも税率だって州によって違うし、結婚やら離婚やら運転免許取得にまつわる手続きや法律だって州によってかなり違う。

車の車両登録だって州ごとに行われる。

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まあ、そんなふうにして、独立した50州を結束させたのがアメリカが合衆国だと考えると、世界の国々がそれぞれの個性を保ったまま結束する「世界政府」という考えは決してトンチンカンな話というわけでもなさそうだと思えたわけだ。

 

でも、じゃあ、アメリカ合衆国はうまくいっていると言えるの? 似たような制度であるEUはうまくいっていると言えるの? と、問われると、ある観点から見ればうまくいっているだろうし、違う観点から見ればうまくいっていないだろうし、なんだか難しいなぁと、誰にも問われていないのに私は一人で頭を悩ませている。

 

ただひとつ確信しているのは、いろんなことを体験するほど、自分の考える物事の枠というのは広くなって、そのぶん出てくるアイデアにも広がりが出るはずだってこと。

 

たとえば連邦国家というのを体験したことで、それは私の血肉になった。

そうして私が血肉にする物事が多いほど、私というアイデアを出す土壌は豊かになるはずで、土壌が豊かであれば自然に豊かなアイデアが芽生えるはず、なのだ。

 

で、自身の血肉になるようないろんな体験を手っ取り早くできるのが異文化体験で、異文化体験を手っ取り早くできるのが旅だ。

良くも悪くもアメリカに慣れてきた私は、今、新しい体験を得るための旅を欲している。

もう40代も後半なんだけど、それでも、自分から出てくるアイデアが小さくまとまらないようにまだもうちょっとあがきたい。

少なくともアメリカではコロナ禍はすっかり落ち着いたので、旅をするぞ。

 

州が国だと考えたらカリフォルニアを出るだけでも異文化体験になるはずだから、まずはアメリカ国内の旅行でもいい、とにかく新しい体験をしよう、旅をしよう。

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風邪一過

3.6.2022

DAYS /  Satoko FAY Column

カリフォルニアの風

風邪一過

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風邪を引いて寝込んだ。

 

もちろんまずは流行のウイルスを疑って、すぐに検査をしたけれど、陰性。

 

3日まるっと寝てもまだ回復しなかったので、念のためまた検査をしたけれど、それも陰性。

 

アメリカでは一世帯につき4回分の簡易検査キットが無料配布されていて、今回使ったのはそれなので、精度がどうかは気になるところだが、さすがに2回も陰性だったし、同居する夫はピンピンしているので、やっぱり陰性だったと思う。

 

が、しかし、結果的には4日寝込んだ。

 

こんなに寝込むのは数年ぶりだ。

 

5日目からは起き上がって日常生活を再開しているが、まだ万全とは言えない。

 

いやはや、体調不良はやっぱり勘弁…だけど、太陽の出ない雨の日もまた違う視点で見れば大切であるように、より広い視界で捉えたら、時折こうして心身を強制的にスローダウンさせられる時間があることは大事なんだろうなぁとも思う。

 

あくまで「時折」であってほしいけど、風邪なんかは、「当たり前の日常を当たり前と思っちゃいけない」と思い出させてくれるちょうどいい機会と言っていいかもしれない。

 

心身が弱って、「これまで当たり前と思っていたことが当たり前じゃないとしたら」という前提でいろいろなことを考えられるようになるので、良くも悪くもさまざまなものが削ぎ落とされる。

 

「ああいうこともしたいと思ってたけど、まあ、それの優先順位は低いかな」とか、「ああなりたいと思って、あれこれがんばろうとしていたけど、まあ、ああならなくてもいいか」とか。

 

ああ、とか、それ、とか、これ、とかばっかりで、あれですけど。

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で、今回のそのスローダウンの時間に、私はこの連載についてもいろいろ考えた。

 

私は年齢もあってか、カルチャーのトレンドにはもうあまり興味がないし、それについて書きたいとも思わない。

アメリカ西海岸という、日本とは異なる文化で暮らすことの面白さについても、8年という中途半端な在米歴になると、さすがに当初のフレッシュな感覚はなくなっているし、なんならアメリカ的な考えにもちょっと理解が深まったりしてしまっている。

 

そんな私が、毎回この連載コラムで一体何を書けばいいのだろうと、実は密かに頭を悩ませていた。

 

でも、風邪のスローダウン期間中に、ふと気づいた。

っていうか、アメリカ西海岸代表としてアメリカ西海岸らしい暮らしの話を書かなきゃって、自分が勝手に思い込んでいただけでは?

 

そもそもコーナー名がDaysだもの、私のいつものDaysを書けばいいじゃん?

 

アメリカ西海岸の暮らしをそんなに意識しなくても、そこで暮らしている私が書くから、何を書いてもどこかにきっとその香りは出るだろう。

それで十分なんじゃない?

 

いや、もし十分じゃなくて、読んでくださる皆さんがアメリカ西海岸のライフスタイル情報をこの連載に求めているとしても、「ごめんなさい、私はそれは書けないです」で、いいじゃん?

 

開き直りといえば開き直り。

でも、自分的には原点回帰。

 

というわけで、今回掲載した写真は、そんな清々しい気分の"風邪一過”の週末に、私の目に飛び込んできた美しく愛おしい日常の一コマ一コマ。

 

犬たちと出かける近所のトレイル(自然保護地区)、夫と散歩した公園、その公園近くのアメリカンダイナーで食べた土曜日のランチ…。

 

そんな日々の小さな幸せに目を向けて再びフレッシュな気持ちで執筆するぞ、と意気込んだところに、ウクライナのニュースが飛び込んできて心が痛み、自分の小ささ、無力さを思い知ってうちひしがれそうだけど、まずはそこから目をそらさない、知らないふりしない、ということが自分が日々の中でできることのひとつだ、と思いながらこれを書いた。

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歩いて、見る

2.5.2022

DAYS /  Satoko FAY Column

カリフォルニアの風

歩いて、見る

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犬を飼ってよかったと思うことはたくさんあるが、そのうちのひとつが、ご近所さんとの交流が増えたことだ。

 

ルナのお父さんお母さん、ルーシーとルーカスのお母さん、ポーとモーのお父さん、シリとダフィーのお母さんといった犬友達もできたし、犬を散歩させる時間に必ずウォーキングをしている人たち(中国系移民のサニーさんやリサさん)とも挨拶や世間話をするようになった。

 

今年で、アメリカ、カリフォルニアに越してきて8年。

 

確定申告をする、病院に行く、サーフクラブに所属する、といった「アメリカに来て初」のことをする度に、少しずつ根を張ってきた感覚があったが、犬を通じてご近所付き合いをするようになったこの2年ほどで、ようやく「自分の家はここなのだ」と、しっかりとこの地に根付けたように感じている。

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近所を散歩するようになったおかげで、物をもらったり、拾ったりすることも増えた。

 

一番多いのは、庭先で実ったフルーツのおすそわけだ。

 

レモン、ライム、オレンジあたりが定番だが、柿やビワ、ザクロなんかをもらうこともある。

 

歩いている私たちを見つけて、「ちょっと待って!」と呼び止めて渡してくれるケースもあれば、「FREE(無料)」と書かれたダンボールの中にフルーツが入っていて、勝手に持っていっていいようにしてある場合もある。

 

勝手に持っていっていいといえば、レンガやら額縁やら、時には電球やら工具やらがドライブウェイ(ガレージと道路の間の道)に、やはり「FREE」と書かれて置かれていることも多い。

 

ガレージの中の不用品を売る、いわゆるガレージセールの小規模バージョン。

 

我々は犬の散歩中に見つけたそのプチガレージセールで、裏庭の整備に使うレンガを4つ調達したほか、1年は持つんじゃないかという量の電球も入手した。

最近では、裸のまま飾っていた絵にちょうどいい額縁も手に入れた。

 

改めて言うまでもないことだけど、このようなフルーツのおすそわけやガレージセールは以前から行われていたはずだ。

 

ただ、車社会のカリフォルニアでは、家の玄関を出たらすぐに車に乗ってしまうので、道端にあるその一画に気づくことがなかった。

 

犬を飼って、近所をのんびり歩くようになったおかげで、見えてきたものなのだ。

 

そんなふうに、存在はしているのに、単に自分が気づかないがために存在していないことになっていることが、他にもたくさんある気がする。

 

じつは昨年末で会社勤めを辞めて、フリーランスになった。

 

収入が不安定になるなど、不安はあるけれど、時間をマイペースに使えるようになったことはうれしいことで、今年はこれまでの全力疾走から競歩くらいまでに少しペースを落としたいと思っている。

 

そして、今まで走ることに必死で見えていなかった道端の美しい物事たちにもっと気づけるようでありたい。歩いて、見る、のだ。

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カフェラテだって。

12.5.2021

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カリフォルニアの風

カフェラテだって。

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コーヒーにハマった。

 

もともとコーヒーは好きだったのだが、今、ハマっているのはカフェラテだ。

これまで、カフェラテは、コーヒーを知らない人が飲む物だと思っていた。

つまり、邪道だと。

なぜそんなことを思っていたのか、理由はわからないが、過去の無礼な自分を謝りたい。

今さら私が言うまでもないことだが、カフェラテはちゃんと味わってみるとそうとう奥が深い。

おかげで最近はサンディエゴ中のいわゆる「サードウェーブ」とされるコーヒーショップをめぐることがちょっとした楽しみになってきている。

もちろん、目当てはカフェラテ、である。

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「サードウェーブ」コーヒーは、日本でも流行ったのでご存知の方も多いと思うが、アメリカで2000年ごろから台頭してきたコーヒーの第3の流行のことである。

その前の第2の流行は、スタバなどに代表される、いわゆる「シアトル系」と呼ばれる深煎りのコーヒーだとされている。

それを経ての第3の流行は、Farm to Cupといって農場からカップに注がれるまでの豆の経路がクリアであることが大きな特徴である。

誰がどこで作ったどんな豆かがわかるということは、その豆の味を大事にしようってことにもつながって、基本、豆をブレンドはせずシングルで味わうことが多い。

少なくとも私はそういう理解をしていて、だから、そういったサードウェーブの店でカフェラテを頼むのは邪道とどこかで思っていた。

それで、ドリップコーヒーばっかり飲んでいたわけだが、正直言うと、シングルの豆って飲みやすいようにブレンドされていないから、全然好みじゃない味に出会うことが結構な確率であった。

結果、だんだん、コーヒー屋から足が遠のいてしまった。

私は自分をコーヒー好きと勘違いしていただけで、きっと本当は好きじゃなかったんだ、とさえ思うようになった。

だって、世の中の人がおいしいと思っている「サードウェーブ」コーヒーを、私はおいしいと感じないんだから、と。

 

ところが、ある時、自分の中で勝手に禁じていたカフェラテを解禁したら、これがめっぽうおいしい。

それで、これは研究する価値があるぞといろいろなサードウェーブの店で飲むようになり、一言でカフェラテといっても店によって味わいが全然違うことに気づいて、ハマったわけである。

これがシングルのコーヒーの味となると、もちろん焙煎やいれ方によって風味が違ってくるとはいえ基本的にはその豆そのものが好みかそうじゃないかという話で終わる。

でも、カフェラテの場合は、それぞれの店が「うちはこれがベストなカフェラテと思っている」という豆なり牛乳なり配合なりで作っているはずなので、自分の好き嫌いを判断するだけでなく、「なるほど、こうきたか」と考えられるのが楽しい。

たとえば大中小とサイズ違いを用意していない店がある。

これはきっと、サイズを変えることでカフェラテを構成するエスプレッソとミルクの比率が変わってしまい、サイズによってはベストな味を出せないからではないか。

聞いたわけじゃないからわからないけど、そんな心意気を感じる。

また、明らかに酸味が強い豆を使っている店もあれば、苦味の方が強い印象の店もあるし、エスプレッソの味はかなり控えめでミルクのまろやかさが全面に押し出されているようなカフェラテを出す店もある。

そんなふうに、それぞれのカフェラテに、その店の個性みたいなものを感じるようになって、がぜん楽しくなってきた。

これからは「コーヒー好き」じゃなくて、「カフェラテ好き」と堂々と言おうではないか。

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ところで、コーヒー屋でカフェラテを注文するというのは、おそらくかなり難易度の低い英会話である。

にもかかわらず、先日、ホットティーを出されてしまってがっくりした。

ラテを注文すると必ず「ホットかアイスか」と聞かれるので「ホットラテ」と先手を打ったつもりが仇となった。

そういう時、数年前なら何も言わずに出てきたホットティーを飲んだところだが、ここ数年は、「いやいや、頼んだのはホットのカフェラテだったんですよ」とちゃんと言って取り替えてもらえるようになった。

それでも、夫に言わせると私はまだまだ控えめで、特に英語での会話となると相手に押し切られて「それでいい」と笑って言ってしまう傾向にあるのが歯がゆいそうで。

 

2022年は、自分のほしいもの、したいことを、ちゃんと伝える、という超基本的なところを今一度がんばってみようとカフェラテを飲みながら決めた。

さっくり女子キャンプ

10.5.2021

DAYS /  Satoko FAY Column

カリフォルニアの風

さっくり女子キャンプ

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女友達とさっくり週末キャンプに出かけた。

元同僚であるその女友達は、日本人で、年齢は少し年下だけど、ほぼ同年代と言っていい。

アメリカにいる日本人女性は、アメリカ人と結婚してこちらに住んでいるか、もしくは旦那さんの仕事で赴任して来ているか、というパターンが多い中で、彼女はアメリカに住みたくて仕事を見つけて単身渡米してきた人だ。

今でこそ再婚した私も、渡米した時は彼女と同じ境遇、アメリカに身寄りのない者同士だった。

おかげで、いろいろな話がしやすく、アメリカに来る前は東京の同じビル内で働いていたことがある(もちろんその時は知り合いではなかったけれど)という親近感もあって、すぐに打ち解けた。

 

彼女には、他にも仲良くしている元同僚がたくさんいるのだが、それは一重に、彼女がマメで、定期的にお出かけの計画を立てては声をかけているからであろう。

私は予定を立てて友達を誘うということがどうにも得意でないのだが、彼女が誘ってくれるおかげで、自分一人だったらしなかったような体験をたくさんさせてもらえている。

「さっくり女子キャンプ」もその一つだ。

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彼女とする「さっくり女子キャンプ」の何がいいって、準備に全く気負いがいらないことだ。

キャンプ飯への情熱もたいしてないので、食べ物を作るとしても毎回、鍋とか本当に簡単なもの。

今回にいたっては簡単な料理さえせず、キャンプ場から一番近い町で調達したピザとフルーツを夕食にした。

互いにお酒は得意でないので、乾杯はKombucha。

朝はお湯を沸かしてコーヒー。

山火事の危険を回避するために、カリフォルニアの多くのキャンプ場ではこの時期、焚き火をすることが禁止されているため、キャンプの醍醐味であるキャンプファイヤーもなかった。

じゃあ、何を楽しみに行くかというと、ただ喋ること。

喋るだけならキャンプじゃなくてもいいじゃんと思われるかもしれない。

けど、いやいや、自然の中で、時計も携帯も気にせずにお喋りに興じる、というところがいいのだ。

前述したように焚き火ができなかったのは残念だけど(人は焚き火を見ながら話すと心の奥の言葉が出てきやすい気がするので)、それでもやっぱり大自然の中で、ミニマルな装備でいると、都会で話すときとはまた違う話ができる。

いや、同じ話でも、もう少し深く本質的なところまで話せる、というのが正確かもしれない。

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今回、私たちが訪れたのは、Idyllwildという、山の中のエリア。

サンディエゴからは北東に車を走らせて約2時間で着く。

道中は、砂漠あり、岩場あり、牧場あり、と景色が次々に変化していき、ドライブそのものも楽しい。

友達はロサンゼルスから来たので、行き帰りは別々。

こんなふうに現地集合・現地解散ができる自立した感じも、私には心地いい。

森の中で歯を磨きながらキツツキを見つけてはしゃいだり、隣でキャンプを張っている家族から手作りの焼きたてのシナモンロールをおすそ分けされたり、遠くから聞こえる風の音に耳を澄ませたり、ひとつひとつはなんてことないことなのに、楽しかった。

 

本当は普段から目にしたり、耳にしたりしているはずなのに、意識には上がってきていない素敵なことが世界にはたくさんある。

そんなことを、キャンプすると思い出させてもらえる。

そして、そんなキャンプを、「お茶しない?」の気楽さでできるのがカリフォルニアのいいところと思う。

何より、遠い異国にいながら、共通の興味を持つ友人と出会うことができ、こうしていろいろ引っ張り出してくれることがありがたい。

 

次は自分で計画を立てて、私から彼女を誘ってみよう。

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ガラガラヘビ

9.5.2021

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カリフォルニアの風

ガラガラヘビ

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田舎に住みたい!

 

時々、そんな思いが強くなる。

この8月はそうだった。

というのも、どこに行っても人、人、人で。

自宅待機例などが出ていて、おおっぴらに外出ができなかった去年に比べたら、日常が戻ってきたことはいいことだ、なんて思えたのは最初だけ。

海に行っても人でいっぱい。

外食に出かけても人でいっぱい。

人混みが苦手な私は、早々に根をあげてしまった。

 

もっと田舎に住みたい!

 

いや、私の住んでいるサンディエゴも十分に田舎ではある。

しかも我が家の裏庭はフェンスを隔てて裏山に繋がっていて、その裏山は広大な自然保護区の一部。

おかげで、フェンスをすり抜けて野うさぎが庭に来ることは日常だし、フェンスの向こうをコヨーテが歩いているのもよく見る。

一度だけだけどボブキャットという、日本語で言うなら山猫?を見たこともある。

ちょっと車を走らせれば写真のような広大な自然が広がってもいる。

でも、そういうところには住居はない。

だから、今、自分が住んでいる環境は私にとっては田舎感が足りない。

動物が多いのはいい。

でも人が少ないともっといい。

そう愚痴っていたら、「人がいないところはいないところで、蛇がいっぱいいたりするよ」と夫になだめられた。

 

わかる。

 

でも、8月の私は人に疲れ過ぎていて、蛇がいてもいいから人がいない方がいいと思っていた。

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ところが、そんな会話をしたそれこそを翌日に、我が家に蛇がきた。

ただの蛇じゃない。猛毒を持つガラガラヘビ。

それがなんと我が家のガレージでトグロを巻いていたのだ。

 

オーマイガー!

 

私も夫もここで生まれ育っていないのでガラガラヘビの特徴がわからず、自力で外に出すことがどの程度危険なのかわからないという軟弱者っぷり。

ご近所さんに頼ろうと外に出てみるも、いつもなら道路で子どもを遊ばせていたり、世間話をしていたりする人たちがその日に限って誰もいない。

ならば自分たちでやるしかないと、ガーデニング用の鋤を夫が持ち出していざガレージに出かけたが、5分もしないうちに戻ってきて、「蛇がいるのがガレージの真ん中過ぎて、うまく逃がせる気がしない」とポツリ。

そう。

我々には殺すという選択はなく、とにかく蛇に家の(ガレージの)外に出てほしいだけなのだ。

が、下手に突っついて出口ではなくガレージの物陰や壁の上の方に逃げてしまったら今以上に厄介なことになる。

 

さて、どうしたものか。

 

何かアドバイスをもらえるんじゃないかと思って動物愛護団体に電話をすると、住所を聞かれ、「今からスタッフを派遣するから蛇を見ておいてください」とのこと。

ほどなくして美しい女性スタッフがやってきて、ガラガラガラと激しい威嚇音を出すヘビを道具を使ってささっと捕獲し、蓋つきのバケツに入れて、事件解決。

こんな簡単な作業を自力でやれなかったことを、ちょっと恥ずかしく思う私。

 

「ガラガラヘビが家に入って来ることは多いのですか?」

 

聞いてみると、夏場は時々ある、との返事。

「ただ、レスキューを頼まれるのは住宅街が多いわね。山の方に住んでいる人は自力でやっちゃうから」

ああ、やっぱり。

田舎に住みたい!と言っておきながら、家に入ってきたガラガラヘビ一匹に対処できないようでは、まだまだ道のりは長い、とがっくり。

とりあえず蛇をつかむ道具を買おう。

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仕事をバリバリとして稼げることよりも、自然の中に放り出されても生きていけることの方に魅力を感じるようになったのは、2011年の東日本大震災の後だったと思う。

いつの間にか忙しい日常に流されて、あの年に感じた、ピュアでプリミティブな生きる力への渇望などすっかり忘れてしまっていたけれど、コロナ禍を経て、また、もっと自然にかえりたくなっている自分がいる。

だからって何をどうすればいいのかわからないけれど、とりあえず蛇をつかむ道具を買うことは、これからどんな生活を目指したいかを定める、一つのシンボリックな決意、という気がしている。

独立記念日2021

8.2.2021

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カリフォルニアの風

独立記念日2021

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7月は嵐のように過ぎていった。

 

これを書いているのは7月の25日だが、わずか3週間前の7月4日、アメリカ独立記念日のことが数カ月前に感じるほどだ。

 

なんでこんなに慌ただしいのかといったら、おそらく、6月の半ばから完全に経済が再開されたことが大きい。

 

飲食店も通常の営業を復活、人が集まるイベントも再開。

 

昨年の4月から1年近く行動を制限されていて、その制限されている日々が日常になっていたところにかつての日常が戻ってきて、急にギア全開になって、そのスピード感に体も心もまだ追いついていないのだと思う。

 

だけど、楽しい。

 

普通に遊べるということを、ものすごくありがたく思えるようになった。

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今年の独立記念日は、近所の公園で行われているイベントに足を運んだ。

国家斉唱、祝砲の発射、古き良き時代を再現するダンスのパフォーマンス…シニアやファミリー向けの、スタンダードなイベントといった印象だったが、独立記念日といえばいつも海でサーフィンばかりしていたわたしにはひどく新鮮だった。

 

例年、独立記念日が近くなると、「これ、誰が着るのかしら?」と不思議に思う、ド派手な星条旗柄のTシャツやパンツなんかがそこらじゅうで売られ始めるのだけど、この日はみんなそういう服を着ていて、誰がじゃなくてみんな着るんだと学んだ。

星条旗柄を着ていない人も赤×青×白でコーディネイトしているか、小物に星条旗柄を忍ばせていたりして、その徹底ぶりに感心してしまった。

アメリカに来てつくづく感じるのが、みんな、祝う時は恥ずかしがらずに思いっきり祝う、ということだ。

その姿勢は、自分は好きだな、と思う。

 

海にも、独立記念日には何かしら星条旗柄をまとったサーファーが、ハロウィンの時には仮装サーファーが、クリスマスシーズンとなればサンタサーファーが、普通にいる。

思いっきり祝うといえば、この時期は卒業シーズンでもあって、卒業生が家族にいると、車に「XX(名前)、2021年、大学卒業おめでとう!」なんてド派手に書かれていたりする。

もちろん、そのまま町中も走る。

「卒業おめでとう」と書かれた車と、駐車場で隣同士になって、運転手と顔を合わせる機会があれば、「おめでとう」と声をかけたりもする。

もちろん、誰だかは知らないし、また会うことはたぶんない。

でも、そういうの、なんか好きだ。

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経済が再開されたカリフォルニアだが、コロナのデルタ株の再流行の兆しがあり、ロサンゼルスなど一部のエリアでは再び屋内ではマスク着用が義務化された。

 

この先、患者数が増えて医療機関を圧迫するようなことになればまた飲食店や小売店に規制がなされるかもしれないが、そうならないことを願う。

サンディエゴLOVE

7.2.2021

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カリフォルニアの風

サンディエゴLOVE

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パスポートの有効期限が近づいてきたので、更新のためにロサンゼルスのダウンタウンにある日本国総領事館に行ってきた。

 

サンディエゴから在ロサンゼルス日本国総領事館までは、車で片道2時間(渋滞は必須なので実際にはもっとかかる)、距離にすると205キロ近く。

 

さすがに気軽には行きにくいため、いつもは年に数回「出張総領事」というのを開催してくれて、領事館でするような手続きをサンディエゴでできるようにしてくれる。ところが、このコロナ禍で出張総領事は中止となった。

 

カリフォルニア州は6月15日から経済を完全に再開させたので、出張総領事の復活も近いと思うのだが、それを待っている間にパスポートの有効期限の方が先に切れてしまいそうなので、重い腰を上げてロサンゼルスまで行くことにしたのだ。

 

パスポートの更新は通常なら申請と交付は別々の日になるが、サンディエゴのように遠方から行く場合は申請した同日の午後に交付をしてもらうことができる。

申請を終えてから交付されるまでに4時間ほど時間があったので、ランチも兼ねてダウンタウン巡りをすることにした。

 

目指したのは、最近すっかり治安が良くなり活気を取り戻していると聞いていたリトルトーキョー。

 

そう。日本を離れて7年が経っている私がロサンゼルスに求めるのはアメリカっぽさでもカリフォルニアっぽさでもなく、「サンディエゴにはない日本」なのだ。

 

私は、サンディエゴでは食べられない、手打ちのうどんが食べたかった。

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誤解を招くような例え方かもしれないけれど、リトルトーキョーには、日本の田舎を旅しているような面白さがあった。

 

本物の、今の東京に比べたら何世代も古いような、垢抜けない感じ。

 

でも、私にはそれがとても懐かしく感じられて、心地良かった。

 

例えば、昔の食堂には必ずあった、店の前のメニューの模型。

プチプライスの、いわゆるドラッグストアコスメが売られている商品棚。

大きなショッピングモールの上の階にレストランがたくさん並んでいること。

 

いずれも日頃から「ああ、懐かしいな、恋しいな」などと思っている風景ではないのだが、見たら、「あ、そうだ、日本はこんな感じだった。懐かしい」となる。

 

折しも暑い日だったので、なんだか、夏休みの子どもに戻ったような気分だった。

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渇望していた手打ちうどんを食べ、日本風のシュークリームを食べ、プチ日本旅行気分を満喫して総領事館に戻るその途中で、我々はうっかり、「スキッドロウ」と呼ばれる治安の悪いエリアに足を踏み入れてしまった。

 

さすがに嗅覚が働いて、「ここは通ったらダメなところ」とすぐにわかり、そのエリアのど真ん中を通ることは避けられたが、それでも路上はゴミだらけ。

その脇は路上生活者のテントがぎっしりといった道を歩く羽目になり、道1本間違えただけでこんなにも街の様子が変わるのかと驚かされた。

 

不思議なことに、先ほどまで日本を恋しがっていた私は、「ああ、早くサンディエゴに帰りたい」と思った。

 

私の「ホーム」はどっちなんだろう(笑)。

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サンディエゴ在住者がこぞっていうことだが、北のロサンゼルスから5号線を南に走って、サンディエゴ郡に戻ってくると、途端に雰囲気が明るく開放的になる。

 

ああ、帰って来た、とほっとする。

 

いつもほぼ毎日海に入ってサーフィンをしているが、どこか遠くに出かけた後はとりわけ海に入りたくなる。

 

そして海に入ると、しみじみ思う。

 

私は、サンディエゴが大好き。

 

時々どうしても食べたくなる手打ちうどんもないし、懐かしい日本の原風景もないけど、今はやっぱりここが私の居場所だ、そう感じている。

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自然と人工のあいだに

6.2.2021

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カリフォルニアの風

自然と人工のあいだに

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3月から5月までにかけて期間限定で行われていた「Desert X」という、現代アートの展示プロジェクトに行ってきた。

 

会場は、パームスプリングスという砂漠の中のオアシス的な街。

 

パームスプリングスは、ハリウッド黄金期の後半、1950年代にハリウッドスターの別荘地としても知られた街で、建物やインテリアにミッドセンチュリーモダンの雰囲気があって、オシャレでアートな街としても知られる。

いまもスパやゴルフなどを楽しみに南カリフォルニアの海岸沿いに住む人たちが身近な避寒地として訪れる街でもある。

 

そんなパームスプリングスへは、サンディエゴからは北東に車を走らせて約2時間。

ロサンゼルスからは南東に車を走らせて約2時間。

 

今回の旅の友はロサンゼルス在住の女友達だったので、パームスプリングスで現地集合して、1泊2日のアート鑑賞の旅を楽しんだ。

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Desert Xは、パームスプリングスの街全体を使ったアートの展示会で、鑑賞者、つまり我々は地図を頼りに作品の展示場所を探し、車で乗りつけ、鑑賞して、また次の作品を見に車を走らせる。

 

地図は、Hubと呼ばれる、このプロジェクトのビジターセンター的なところでもらうことができるが、Desert Xのスマホアプリをダウンロードするのが早い。

 

Desert Xのアプリには各作品や作家の解説があって、その作品がどこに展示されているかの地図があって、地図からナビに飛ぶことができるので、本当に便利であった。

 

砂漠という、本来なら生きていくのは簡単でない土地で、スマホアプリを駆使して遊んでいる、そのコントラストがなんだか不思議だった。

 

それはアート展示にも言えた。

 

Art(アート)は「芸術」と訳されることが多いけれど、「人為の」という意味もある。

 

Desert Xは、砂漠という自然を舞台に、人の作った作品が展示されていて、なんというか、作品だけでなくその舞台も含めてアート作品なんだ、ということを強く感じさせられた。

 

もっといえば、この作品をこの砂漠に展示していること、つまり展示場所がここであるということも含めてアートなんだ、と。

 

アートをよく知る人ならそんなこと当たり前なのかもしれないけれど、どこでどう展示されるかも含めてアートだという認識が、それまでのわたしにはあまりなかったんだと思う。

 

おかげで旅の間ずっと、わたしの心は、自然の良さと、自然の一部である人間が作ったものの良さ、ふたつの間のふしぎな空間を漂っていた。

 

どっちが良いとか、どっちが悪い、ではなく、人のあらゆる営みはそれがどんな形であれ自然の一部であるし、一見、自然と相反するような人工建造物もデジタルテクノロジーも、自然の一部である人間が作ったものという点では大いなる自然の一部で、両者は相反するものではなくて、混じり合ってまた新しい文化ができていくのだなぁと、そんなことを考えていた。

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わたしは、どちらかというと、ナチュラリスト志向で、環境問題に関心があり、デジタルよりアナログ、新しいものより古いものを好む。

いまの世の中はいろんなことが過剰な気がして、このままでは世界はどうなってしまうのかと懐古的になることも多い。

 

けれど、もし自然であることを好むことをナチュラリストというなら、時代の変化という自然に発生していくこともまた自然であるはずで、あらゆる人工物も人間の進化もまた自然といえる。

 

だとしたら、わたしがやることは、変化していく世界に抵抗したり対抗したりすることではなく、変化していく世界の中で、どうやって美しい世界を実現させていくか、だけだ。

 

Desert Xの旅を終えて、「自然であること」について自分なりに整理できて、視界が開けたような気持ちになった。

 

抵抗しないで、対抗しないで、進もう。

いつだって、「いま」をはじまりにできる。

ないものねだり?

5.2.2021

DAYS /  Satoko FAY Column

カリフォルニアの風

ないものねだり?

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2010年、それまで7年ほど暮らしていた東京から湘南に引っ越したとき、いろんなことにカルチャーショックを受けた。

一番驚いたのは、ウエットスーツや水着の人が普通に道にいることだ。

ウエットスーツや水着の人が海沿いの道にいるならわかる。

でも、そうでなく、駅前の商店街にいる。

サーフボードを片手に歩いている人もいれば、サーフボードを横にひっかけた自転車を漕いでいる人もいるが、とにかく普通にいる。

その隣には70代と思われる男性が派手なアロハシャツと短パン姿で歩いていたりもする。

そういう光景に出会うたび、「ああ、わたしはビーチシティーに越してきたのだなぁ」と、それまで海を身近なものとして育ってこなかったわたしはいちいち感動した。

 

***

 

そんな湘南のビーチカルチャー浸透度を伝えるのにぴったりのエピソードがひとつある。

ある朝、二世帯住宅の一階に住む義父が「散髪に行ってくる」と家を出て、ものの5分もしないうちに帰ってきた。

どうしたのかと尋ねると、「休みだった」と義父。

「え? 定休日だったのに、知らずに行ってしまったんですか?」

「いやいや、定休日じゃないよ、臨時休業。そう貼り紙があった」

「え? 臨時休業って心配ですね? 何かなければいいけど…」とわたしが言うと、義父はいやいや、と手を振り、笑った。

「波乗りに行っちゃったんでしょう、きっと。今日、サーフィンに行く人、何人も見たから、たぶん波がいいんでしょう。波がいいんじゃあ仕方ないね」。

ちなみにこの義父、サーファーではない。

でも、長年の経験で(?)、道ですれ違うサーファーの数とその様子でそのの波がどうだか、だいたいわかるらしい。

なんだか、すごい異文化圏にきてしまった、と、その時わたしは思った。

わたしがこれまでいた文化圏なら、「波乗りのために仕事を休むだ? 仕事をなめているのか?」となるのが当たり前なのに、義父は「波がいいんじゃ仕方ない」と笑って受け入れている。

これがいわゆるビーチシティーカルチャーというものか。

 

最初こそは戸惑いもあったが、ひとたび住人になってしまうとビーチシティーの暮らしは想像以上に居心地がよく、前夫が亡くなり、その町にいる理由がなくなった後も、とても他のところで生きていける気がしないくらいまでどっぷりはまってしまった。

***

 

2014年にサンディエゴに引っ越してきたとき、まっさきに感じたのが湘南と似ているということだ。

西側は北から南まで112キロの海岸線で、そのほぼ全てがサーフスポットといって過言でないサンディエゴはまさにビーチカルチャーが根付く町だった。

もちろん、ウェットスーツで歩く人、水着で歩く人もたくさんいる。

でも、湘南で耐性がついているわたしはもう驚かない。

湘南とサンディエゴ、国は違えど同じ文化圏。

そんな感覚が、ビーチシティーにはある。

 

が、湘南で見かけたよりももっともっと強者がこちらには、いる。

それは、どこでも裸足で歩く人たち。

名付けて裸足族。

いやいや、ビーチで裸足になるのは普通だってことはわたしもわかっている。

でも、裸足族が裸足で歩くのはビーチだけではない。

彼・彼女らはビーチから何ブロックも離れた飲食店にも裸足で入るし、ちょっと高級な食材を扱うスーパーマーケットにも裸足でいる。

お金に困っていそうで、というのではない。

きれいなお姉さんも、かっこいいお兄さんも、颯爽と歩くその足元を見ると裸足。

裸足族は公衆トイレにも裸足で入る。

わたしなんぞ、靴を履いていてもイヤなときがあるのに、裸足族はむしろ靴より裸足のほうがすぐに洗えていいでしょと言わんばかりに堂々と入っていく。

裸足族を見ると、わたしのビーチカルチャー度数はまだまだ低いなって思わされる。

いや、別に競争しているわけじゃないのだが、でも、なんか、悔しい。

「海が好きです」「自然が好きです」「サーファーです」などと言っていても、どこでも裸足で行けるくらいじゃなければまだまだ甘ちゃんという気がしてしまう。

そんなわけで、わたしは数年前から密かに裸足族の仲間入りすることをめざしている。

 

まずは面の皮ならぬ足の皮を厚くするために、とにかく裸足でいる場所を増やすことが最初のステップだろうと、わりとがんばって、いろいろなところで裸足を心がけている。

この「裸足族」というカテゴリーを意識しているのはわたしだけかと思っていたが、ちょっと前にサーフィン仲間のAちゃんが、自身の働いている日本料理店のお客さんたちのことを「ちゃんと靴を履く人たち」と表現していて、面白かった。

要は、「どこでも裸足で行ったりしない、ちゃんとした人」ということ。

さらに、これまでずっとサーファーとばかり付き合ってきたAちゃんは、次は「きちんと靴を履いている彼氏」がほしいそうだ。

若い頃にはヒールの靴でカツカツと町の中を歩いてきたわたしは裸足族に、昔から裸足族ばかりに周りを囲まれていたAちゃんは靴を履いている種族に、それぞれ憧れている。

これが、ないものねだり、というものか。

 

でも、最近は思う。

なぜか憧れてしまうことって、じつは自分に「ないもの」ではなくて、本当は自分の中にあるのに、なんらかの理由で深く深くに押しやって「ないことにしてしまったもの」たちなんじゃないかと。

わたしはたぶん裸足族になりたいわけではなく、それが象徴するような、自然体で、とらわれのない、自由な精神を取り戻したいのであろう。

 

そして、それはわたしにないわけではなくて、奥深くに隠してしまっただけなのだ、と。

日にち薬

4.1.2021

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カリフォルニアの風

日にち薬

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アメリカ、カリフォルニアに引っ越しをしてこの春で丸7年を迎えた。

 

7年前の3月末、ロサンゼルス国際空港に降り立ったとき、わたしにはこちらに親類も友達もいなかった。

頼りは、その前年に北カリフォルニアのシャスタを旅したときに出会ったロサンゼルス在住のYさんと、これから入社する会社の上司と同僚だけ。住む家さえ決めておらず、当面はホテル暮らしで、到着の翌日から会社に出社するという、いま思えばだいぶ無謀な引っ越しだった。

 

日本では湘南鵠沼で二世帯住宅の一軒家に暮らしていたが、引っ越しのために厳選して持ってきた荷物はスーツケース2つぶんだけであった。

亡くなった前夫が「当面生きていけるくらいの金額は残す」と言って残してくれたお金は、その言葉通り、当面生きていくために使わせてもらったため、渡米時にはアメリカ暮らしで必須の車を買うための代金くらいしか銀行口座には残っていなかった。

ゼロからスタートとはまさにこのことだ、というくらい、なーんもなかった。

 

でも、希望はあった。

 

と書きたいところだが、はたして希望はあったのか、あんまり覚えていない。

ただ、日本にいるのがつらかったから逃げてきた、というのが近い気がする。

 

わたしの20代後半から30代後半は、よくもわるくも亡くなった前夫一色であった。

どこに行っても、何をしても、彼との思い出があるような気がしたし、思い出せば思い出すほど、いまここに彼がいないということが大きく感じられてつらかった。

わたしは、残された人生を、泣いて力なく過ごしたくなかった。

笑って生きたかった。

だから、どこか遠いところに行きたかった。

彼のことを思い出させるものがないところに行きたかった。

そういういろいろがあってのアメリカ移住、であった。

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***

 

海外移住は来てしまえばなんとかなる、とよく言われる。実際、なんとかなったから、いまのわたしがある。

でも、振り返れば、最初の3年くらいは必死であった。

 

渡米したてでまだ歯科保険に入れていない時に、10年以上ずっと大丈夫だった歯の詰め物が取れるとか。

ケチって格安の中古車を買ったら、買ったはなからスピードメーカーが動かなかったとか。

さすがにそれは販売店に無料で直してもらえたが、今度は1週間後にエンジンがかからなくなったとか。

その車は最終的にはラジエーターが漏れるようになって、直すお金も買い換えるお金もなかった当時は、トランクにラジエーター液を積んで、毎回、乗る前に自分で補充していた。

 

どれもこれも20代の若者であれば人生経験としてネタになるが、わたしはそのとき30代も後半で、日本では何不自由なく暮らせていたのに、アメリカでは不自由ばっかりで、なぜこんな思いをしてアメリカにい続けるのだろうと自問自答したものである。

 

結局、日本に帰らなかったのは、帰ったところで、前夫はいない、わたしが望む暮らしはもう日本にもない、とどこかでちゃんとわかっていたからだ。

日本に帰ってもアメリカにいてもどうせ夫はいないなら、なんだか大変なことがいろいろ起こって生きるのに精一杯というアメリカのほうが都合がよかった。

毎日やらなきゃいけないことが多すぎて気が紛れたからだ。

 

石の上にも3年とはよく言ったもので、たしかに3年目あたりから、「あれ? わたしもう、そんなに一所懸命にならなくても生きていられるかも」と思えるようになった。

のちに再婚する現夫と、趣味のサーフィンを通じて顔見知りになったのも、この頃のことだ。

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***

 

毎年、桜の季節がきて、SNSのタイムラインが桜の写真で埋まると、懐かしさと恋しさで望郷の念にかられたのだが、今年は不思議とその気持ちはなく、「日本の桜はやっぱり綺麗だなぁ」と心から堪能できている自分がいることに気がついた。

 

きっと、これまでは、「今年も日本で桜を見ることができなかった。

もう○年間、お花見をしていない」という考え方をしていたのだと思う。

それまで30年以上、春が来れば桜を愛でるということを当たり前として生きてきたわけだから、当たり前だったことができないと嘆くのは自然な心の動きだろう。

でも、7年が過ぎた今年、わたしの心はわたしの知らないところでようやく諦めて吹っ切ったように見える。

わたしにとっては、桜を愛でることのない春が当たり前なのだと。

 

来年になると、亡くなった前夫を知っていた歳月より、彼なしで生きた歳月のほうが長くなる。

もしかしたら、わたしは彼はもういないのだとようやく心の奥深いところで諦めて吹っ切れているかもしれない。

いまなら日本のどこで何をしても心塞がれることなく楽しめるようになっているかもしれない。

 

「日にち薬」とはよく言ったもので、即効性はないけれど、とにかく時間を稼いでいればじわじわと効いてくる。

そして、ある日突然、すごく効いている、ということ気づくのだ。

サマータイム

3.1.2021

DAYS /  Satoko FAY Column

カリフォルニアの風

サマータイム

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アメリカに暮らしているわたしにとって3月の一大イベントといえば、夏時間が始まることだ。

 

いわゆるサマータイム、といわれるやつ。

 

正式にはDaylight Saving Timeといい、それまでより1時間、時計が早まる。

せっかく日照時間が長いんだから、その時間を有効活用しましょうということ。

わたしは勝手に、朝早くから夕方遅くまでめいっぱい太陽を楽しもう、と意訳しているけれど。

 

これから夏に向けて、どんどん日は長くなり、実際、8時くらいまで明るい時期もある。

 

仕事を終えてもまだ太陽が出ているというのは、想像よりずっとずっと自分を明るい気持ちにさせてくれる。

 

お酒飲みの友人は、一仕事を終えて、太陽がまだ出ているうちに乾杯ができるのがうれしいと言う。

お酒が得意でないわたしは、仕事の後にサンセットサーフィンできるのがうれしい。

 

朝もだいたいサーフィンしてから仕事をするので、夏は働きながら朝夕2セッションってことも不可能ではないのだ(やるかどうかは別として)。

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歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏が、いまの人類社会は「虚構」を作り、それを「信用」することで成立している、というような趣旨のことを著書で書いていると知り、なるほどと思っている。

 

夏時間もまさにそのわかりやすい例だと思う。

 

今日からは1時間時計の針を早めようね、という虚構を、みんなで協力してやるから成り立つ制度。

 

昨日までと今日からは、大自然の視座で見たら、たぶん境目などないのに、人間が「今日から夏時間にしましょう」と決めただけ。

 

これは新年もそうですね。

 

日本に暮らしていたときは実感がなかったけれど、カリフォルニアに越してきたら、日本でいう元旦である1月1日は普通に過ごして、むしろ旧正月を祝うという民族グループがたくさんいて、自分の常識は必ずしも標準ではないんだなぁと、書くとたいそう当たり前のことを、初めて実感をもって学んだ。

 

これを虚構に結びつけるとすると、コミュニティーごとに信じている虚構が異なるということだ。

 

***

 

さて、サマータイム。

 

アメリカでは3月の第2日曜日から始まるので、今年は3月14日から。その日の深夜2時に、時計を1時間進める、とされる。

 

スマホやパソコンの時計は何もしなくても自動的に夏時間に対応するが、その他の時計は自分で戻さなければいけない。

 

すぐやらないと面倒になるので、なるべくすぐやるようにしているが、時々、時刻を変え忘れている時計があって、いざというとき混乱する、ということもよく起こる。

 

夫は強者で、ほぼ毎年、時刻を変えずに通す。

けど、そのかわり、「今は一時間早めに見たほうがいい時期だっけ? この数字をそのまま信用していいんだっけ?」と毎回ちょっと混乱している。

だったら一手間かけて変えてしまったほうが効率的なのに、と思うが、もう互いにいい大人なので、余計な口出しはしないことにしている。

 

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昔、もっと若い頃は、時計の針に縛られて生きたくないと思っていた。

 

今も、その傾向は、若干ある。

 

ただ、みんなで時計という虚構を生み出し、その虚構を信じることで成り立っている今の社会で、時計の針に縛られないっていうのは、なかなか難しい。

 

「わたしは時計の針を無視して生きる!」っていうことをみんながてんでばらばらにやりだしたら、いまの社会はうまく機能しなくなってしまう思うので。

 

でも、一方で、社員の担当部署を定期的に変えている会社についての新聞記事のことも思い出すのだ。

 

うろおぼえなのだが、一人一人の社員が次に希望する部署を事前にすりあわせたりはしていないのに、部署替えの希望を聞くと、どこかの部署に希望者が集中してしまうことはなく、おもしろいくらいぴったりと振り分けられて、希望でない部署への変更をお願いすることはまだ発生していない、というよう内容の記事だった。

 

もしかしたら、本当の本当の深いところでは、人を自由にさせると社会はちゃんと自然に調和して機能するようにできているんじゃないか? 

 

それにはもっと人類社会が進化して、みんなが自分や他人、いや、それ以上のもっと大きな何かを信頼できるようになる必要があるんだろう。

けれど、いつか、遠い未来には、「みんなでこれを守ろうね」と「虚構」を明文化しなくても、自然と協力しあえる世界が実現するんじゃないか?

そんなことを夢見ながら、わたしは今年も3月の第1週の日曜に時計の針を1時間進める。

 

2021年の、夏のはじまり。

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                                          direction : Ayumi Ogo

                                                           Mikiko Shirakura

                                                           Itxaso Zuñiga

                                                           Kaori Kawamura

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