


FAY Satoko
ヨガ講師、ヒーリングプラクティショナー
2012年に前夫を看取り、人生を再構築すべく2014年にカリフォルニア州サンディエゴに移住。
現地日本語情報誌の編集長を7年務めた後、フリーランスのライター&編集者に。
2024年よりヨガ講師、イテグレイティッド・ヒーリング・プラクティショナーとして活動を始める。
プライベートでは再婚した夫と二匹の犬と暮らし、波乗りを楽しむ。
Fay(フェイ)はアメリカでのニックネーム。
























2.8.2025
DAYS / Satoko FAY Column
カリフォルニアの風
ワンネス、そしてメメントモリ

年末年始は寝込んでいた。
調べたらコロナ陽性で、てんこ盛りで入れていた友達と遊ぶ約束は全部キャンセルせざるをえなくなった。
面白いことに、体調が悪くなると、すごくサーフィンが恋しくなる。
ぶっちゃけ、昨年はその前年ほどサーフィン三昧じゃなかったにもかかわらず。
その気になればやれるけれどやらないのと、やりたくてもやれないのとでは、気持ちがこうも違ってくるとは…。
幸い、症状は軽くて3日間ほど寝込んだら起き上がれるようになったけれど、遊ぶ体力が戻るにはさらに日数が必要だった。
少し歩くだけで疲れてしまう体と相対することになったわたしは神様に祈った。
「わたしはやっぱりもっとサーフィンがしたいです。だから、どうか、どうか、元気に戻してください」
祈りながら、いつだったか、似たようなことを祈った記憶がある、と思い出した。
13年前、最初に結婚した夫が亡くなった直後のことだった。
余命を言い渡されている人と暮らすということは、「この一瞬はもう二度とない」というようなヒリヒリとした感覚と共に生きることであった。
美しい紅葉を見れば「来年はもう一緒には見られないかも」と想像してしんみりし、波乗りをすれば「彼と一緒に海に行けるのはあと何回あるんだろう」と考えて悲しくなり、でも、おかげで一瞬一瞬が際立って、キラキラと輝き、それはそれはもうマインドフルで濃厚な日々であった。
だから、彼が亡くなったあと、ものすごく意気消沈してしまった。
もちろん、彼がいなくなったことがつらかったのだけど、彼がいなくなると同時に、あのヒリヒリとしてキラキラとした濃密な時間が消えてしまったこともきつかった。
この先、どこで何をしたいかなんて、とてもじゃないけど考えられなかった。
世界の色彩は消えて、わたしはただ呼吸をしている筒でしかない、みたいな気持ちで日々をしのいでいた。

そんな中で、唯一、やりたいと思えたのが、サーフィンだった。
夫を伴わずに出る海は、心細く、孤独で、寂しさばっかり募ったけれど、それでもわたしはある日、神様に祈ったのだ。
「この先、どこで何がしたいか、まったくわからないけれど、願わくば波乗りができる環境で、サーフィンをして生きていきたいです」
それから紆余曲折あって、その祈りのことはすっかり忘れていたけれど、この正月に神様に祈ったことで思い出した。
そして、思った。
神様、お祈りを叶えてくれているじゃん。
わたしは今、あのときは考えもしなかったカリフォルニアはサンディエゴに暮らしている。
そこで出会ったサーファーと再婚し、家にはとんでもない数のサーフボードがあって、いつだってサーフィン談義ができる。
そんな恵まれた環境で暮らしているのに、いつのまにかそれがすっかり当たり前になって、波乗りにいく回数がぐっと減っていたことが急に悔やまれた。
それはまるで奥深い自分からのメッセージのようにも思えた。
「波乗りをできるときにやらなかったら、どれだけ後悔するか、忘れないで!」
早朝、日の出前に海に行くと、藍色からピンク、オレンジへと移り変わっていく空と出会える。
海の上に浮かんでいると、自分もその美しい地球の景色の一部であるということがリアルに実感できる。

ワンネス。
その視界から見渡すと、日常の自分は本来の広大な自分の小さな一部でしかないと感じる。
すると、心から大切にしたいことと、実はそんなに大事じゃないかもしれないことの区別がついてきて、「わたし」の輪郭が再定義される。
わたしは、サーフィンが大好きだったじゃん!
サーフィンを始めたときの、カリフォルニアに移住したときの、原点に返ったような気持ちになって、「波乗りをもっと楽しむ」を2025年の抱負の一つに掲げることにした。
この人生で乗れる波の数はそう多くない。
しかも、同じ波は一つとしてこない。
メメントモリ。
12.5.2024
DAYS / Satoko FAY Column
カリフォルニアの風
変わる変わるよ世界は変わる

今年の夏、友人たちとユタ州を旅した。
主目的は、友人Kさんが例年楽しんでいるフライフィッシング。
フライフィッシングといえば、真っ先に思い浮かべるのは、ブラッド・ピットが超絶かっこいい映画『A River Runs Through It』(1994)。一面を緑に囲まれた渓流で、ブラッドが水に分け入り、シュッシュッと空気を裂く音を響かせて釣りをする美しいシーンだ。
数年前に、Kさんが釣りをしている場所の写真を見せてくれたとき、「これこそまさにあの映画の世界!」と興奮したわたしは「また行くときにはわたしも連れて行ってほしい」と懇願し、それがこの夏についに叶ったのだった。
厳密には、映画の舞台はモンタナ州で、我々が行ったユタ州とは景色はちょっと違うのだけど。
しかし、人のいない山奥、聞こえるのは河のせせらぎと鳥の歌声、しなる釣り竿の音だけ、というシチュエーションは一緒。まるで映画の世界に入ったみたいで、川沿いを歩いているだけでも恍惚とした。
その日、Kさんが言っていたことがその後も妙に心に残っている。
「ここは、俺がよく釣りをする川の中で、唯一、ほとんど景色が変わらない場所なんだ」
川というのは、本来、雨の量によって水量が増減するたびに流れを変え、その結果、わたしたちは毎年微妙に違う景観を見ることになるのだとKさんは言った。けれど、このGreen River、とりわけわたしたちが釣りをしたスポットはすぐ上がダムだから、水量が人工的に安定的にコントロールされていて変化がないのだ、と。
川に馴染みないのわたしは最初はピンとこなかったが、同じことを海に置き換えたら納得した。
嵐がくると、海の底がごそっと削り取られるということはよくある。すると、干潮で潮が引いたときに、これまでは見たことがなかった崖のような段差が砂浜に浮かび上がったりする。
昨日まで砂浜のビーチだったのに、今日は玉砂利(小さな丸い岩)で埋め尽くされているなんてこともある。
この世界には変わらないものなどないのだ、ということを、その度に実感する。
無常。
似たような話で、ヨガでは「“今ここ”しかない」ということがよく言われる。
今のこの一瞬と、次の一瞬、たとえ同じことをしていても同じじゃない。だから、永遠に「今」しか存在しない。
これについて、わたしは信念というか、考え方、捉え方の話だと以前は思っていた節がある。しかし、ある日、唐突に、いやいや、これは歴然たる事実じゃんと理解した。
わたしたちの神経細胞は今この瞬間も電気信号を送り合って、神経伝達物質を放出している。息を吸えば電気信号は変わり、考え事をすればまた変わり、指が動けばまた変わり…つまり、わたしたちの内側の電気信号なりホルモンの量なりは瞬間、いや、それよりも早い速度で変化していて同じ状態であり続けることはないのだ。何もせずに寝ていたってそれらは常に動いているのだ。そりゃ、さっきのわたしと今のわたしは同じではないと言えちゃうわけだ。

さて、温暖なサンディエゴもすっかり涼しくなったので、犬たちを近所の野原に放すことを再開した(暑い時期はダニやガラガラ蛇がいるので、行かないのです)。
人の手が入らない野原もまた、一夏でその姿をずいぶんと変えていることに驚かされる。
以前は野生のカモミールが群生していたはずの場所を、今は名も知らぬ植物が占領している。
その群生の中にあったはずの獣道は見えなくなって、脇に新しい獣道がつくられている。
そんな様変わりした景色の中を、過去の記憶はあまりないと言われる犬たちはどろんこになって駆けている。まるで初めて遊園地にきた子どもみたいにはしゃいでいる。
犬たちが我が家にくる前、わずか5年前には想像もしなかった光景だ。
だけど、これもまた今しかない眺めで、またさらにいろんなことが変わっていくんだろう。
そう思うと、ワクワクもするし、同時に、今この瞬間への愛おしさも増す。
ちょっと早いけど、今年も一年、ありがとう。
そして来年もどうぞよろしくお願いします。

7.1.2024
DAYS / Satoko FAY Column
カリフォルニアの風
結論はいつだって

時々思い出す友人のエピソードがある。
アメリカ人と結婚して在米20年近い彼女はある夏、カリフォルニアで行われた日本風の夏祭りに夫を伴って出かけた。
懐かしい夏祭り。独特の活気。そぞろ歩く彼女の心は踊り、たこ焼き屋の前で足が止まった。
焦げたソースと青のりと鰹節の香り。
「はい、一丁あがり!」
威勢のいい店の人の声。
当然、彼女はたこ焼きを所望したが、あいにく長蛇の列。
夫は言った。
「今は混んでいるから、他を見て回って、戻って来て買えばいいんじゃない?」
それもそうだと納得したのは彼女である。
ところが、夫婦が他を見て回って戻ってきた頃には長蛇の列はさらに長くなっていた。
夫は並んで待つことを嫌がった。
でも、彼女は食い下がって説得した。
夫は渋々と承諾し、二人は会話なく列に並んだ。
何分待っただろうか。ようやく彼女が注文できる番まであと数組というところでたこ焼きは売り切れになった。
「すみません」
店の人に謝られて、彼女は泣いた。
心の中で泣いたのではなくて本当に泣いた。
それまでブスッとしていた夫もさすがに驚いて、「何も泣くことはない。二人でおいしいものを食べに行こう」と彼女をなだめた。
それが彼女をさらに泣かせた。
「あなたは、わたしにとってたこ焼きがどんなに大事だったか、わかってない!!!」
その話を彼女から聞いた時、わたしはもちろん聞いたのだった。
「あなたにとってたこ焼きってそんな大事なんだ?」
彼女は苦笑いした。
「いや、別に」
そして、続けた。
「でも、あの時はなんだか泣けちゃったんだよね」
当時、わたしはサンディエゴに来て1年か2年で、「なんだか泣けちゃった」彼女の気持ちがそこまではわからなかった。
でも、今はわかる(気がする)。
彼女が泣けて仕方なかったのは、たこ焼きを食べられなかったからではない。
たこ焼きがもたらすいろんな思い出を、隣にいる夫とは分かち合えない、ということ。
その夫と恋に落ちて結婚してアメリカに来ることを決めたのは自分である、ということ。
夫の言動に悪気はなく、最終的には自分を励まそうとしてくれていることもわかっているけれど、だからこそ余計に分かち合い難い壁があることを突きつけられている、ということ。
そういうすべてがドドドッと一緒くたになって、誰のせいでもないし、幸せでないわけじゃないこともわかっているけれど、今この瞬間に限っては、「果たして自分のしてきた選択が最良だったのか?」「この人生でいいんだっけっか?」という、絶対ドツボにハマる自問自答が始まって涙が出てきた、そういう状況だったんじゃないか?
少なくとも、わたしについていえば、渡米してからの10年、ちょいちょいその状況に陥っている。

元気なときは自分が選んだアメリカで暮らすという人生を肯定できる、どころかその人生を心から賛美できる。でも、ちょっと元気がなくなるとなぜこんなままならない生活を好んでしているのだろうとまるで他人事のように不思議に思う。
日本に帰りたい気もするし、帰りたくない気もする。
いつか帰るんだろうが今すぐではないという気もする。
でも、いつかっていつになるんだろう?
そんなわたしは今、猛烈にカレーパンが食べたい。
日本なら近所のコンビニまでチャリを飛ばして5分でありつける一品が、こちらでは車で20分かけて行かないと手に入らない。そしてまたそこの駐車場は混んでいるうえに、価格は日本円にしたら600円くらいしちゃう。カレーパンに600円!
食べようと思えば食べられる環境にあるだけ恵まれているじゃないか。
そんなことはわかってるのだ。
でも、日本で暮らすということがどんなに恵まれていることだったかと、湧き上がる慕情を抑えることができない日がある。
一方で、きっと帰国したら、サンディエゴで暮らすということがどんなに恵まれていたかと懐かしむだろうことも目に見えている。
結論はいつもこうなる。
今をありがたがって楽しむしかない。

4.15.2024
DAYS / Satoko FAY Column
カリフォルニアの風
アメリカンダイナーがいいんだな

アメリカンダイナーが好きだ。
いつどんなきっかけで惹かれるようになったのかは定かでないが、おそらく思春期にたくさん見たアメリカ映画の影響が大きいと思う。
真っ先に脳裏に浮かぶのは『パルプフィクション』(94年)。冒頭のシーンと最後のシーンがアメリカンダイナーで、これがまたなんとも言えずクールだった。
とはいえ、10年前に渡米するまではダイナーとは実際にはどういう場所なのかわかっているようでわかっていなかった。アメリカに来てみると確かにダイナーとしか言いようのない形態?雰囲気?の飲食店がそこかしこにあることを知って、本格的に好きになった。
ありがたいことに夫もアメリカンダイナーファンなので気に入ったダイナーには二人して足繁く通っているし、新しいダイナーの発掘にも余念がない。

そんなに惹きつけられるアメリカンダイナーとは一体なんなんだろう?
万人に共通した定義はないのだろうが、私の中では外せないポイントははっきりしている。
まず第一にチェーン店ではないこと。
そしてボックス席とカウンター席があること。
ボックス席のソファーのクッションが明るいレッドだったり、ターコイズブルーだったりするとよりそれっぽい。
カウンター席は形だけあってもダメで、常連の男性客たちが座って使っていることがダイナーをダイナーらしくする条件である。
次に欠かせないのは存在感のあるサーバー(ウエイター、ウエイトレス)。
愛想がとても良いという方向の存在感もあれば、めちゃくちゃ無愛想でそこらじゅうにタトゥが入っているというような方向の存在感もあり。映画のイメージでは女性サーバー限定だったが実際に通うようになったらどっちもありだと思うようになった。
あと、メニューに終日対応の朝食メニューがあることも必須。コーヒーがおかわり自由、というかカップが空になっているとサーバーが半自動的に注いでくるのは当然だし、オムレツとパンケーキ、ハンバーガーとミルクシェイキは必ずあってほしい(頼むかどうかは別として)。
と、そのあたりが私の好きなアメリカンダイナーの必要条件と思っているが、それだけでは魅力は言い当てられていない。
たぶん、一番の魅力はあらゆる庶民を受け入れてくれる包容力だ。
アメリカの映画をその角度で見ればきっと合点がいくと思うけれど、ダイナーには幼い子ども連れの家族もいれば、高齢の夫婦もいれば、若いカップルもいるし、女性グループも男性グループもいて、ひとり客もいるのが自然である。なんだかちょっと柄の悪そうな人もいれば、ごく普通の幸せを絵に描いたような人たちもいて、その誰もがそこにいて浮くことがない。
アメリカで生まれ育って50年の人も、アメリカに移住してきて10年の私も、通い続けて何年という常連も、今日初めてきたという私もいい意味で同じように扱われる。初来店でもメニューを注文すると「あなた見る目があるわ。それは私のお気に入りメニューよ」なんて言われる。ただのリップサービスといえばそうなんだけど、でも数週間後に行くと「お帰りなさい」なんて覚えてくれていたりして驚かされるし、アメリカンダイナーのサーバーというのはプロフェッショナルな職業なんだと思わされる。
サーバーのキャンディーやブレンダに「いらっしゃい。久しぶりじゃない?今日はサーフィンしてから来たの?」なんて聞かれるたび、かつて映画の中のアメリカンダイナーにしびれていた思春期の私に、「あんたも将来はこれを体験するのよ」と教えてあげたくなるような、不思議な気持ちになるのだった。

2.10.2024
DAYS / Satoko FAY Column
カリフォルニアの風
人生パズル

今年に入って、ヨガ・インストラクターとヒーリング・プラクティショナーとしての活動を本格的に始めた。
職業ライター歴25年以上にして異業種に転身。
でも、実を言うと10年以上前、30代の頃に、アロマテラピーとメディカルハーブの資格を取ってセラピストになろうとした時期があるので、今回の転身はキャリア的には二度目の試みだったりする。
あの時は、いろんな理由から、結局セラピストにはならなかったのだが、今となると「そりゃ当たり前だ、無謀だったもん」と思う。
30代の若き私は、自分とは何者かがわかっていなくて、目の前のクライアントさんが抱えている悩みにわかりやすく影響を受けてアップダウンしていた。
生命には、自然には、とんでもないヒーリングパワーがあって、それを伝えたいという気持ちだけが先走り、一人一人異なる個人に対して、何をどうすれば伝えられるのかまったくわかっていなかったし、そもそもわかっていないということからして気づいていなかった。
じゃあ、今ならできるのかといえば、もちろんそんなことはなくて、これから学び続けていくことなのだろうと捉えている。ただ、少なくともあの頃よりは自分のことや、やっていること、やっていきたいことを、より解像度を高く見ながら取り組むことができているとは思う。

最近しみじみ思うのは、時間が経って初めて見えてくることが多い、ということだ。
人生というのはまるでロールプレイングゲームみたいなもので、前半でゲットした謎のアイテムが、ゲームを進めてずいぶん経ってから、「ここで使うものだったのか!」とわかることが結構な頻度であるのだ。
時には誰かが鍵をくれて、ずっと開かなかった扉が開いくこともあれば、時には誰かがメガネをくれて、これまで見えていたことが全然違うふうに見えてくることもある。
そんなふうにして人生前半の謎解きを、人生の後半になってやり始めている気がすごくする。
いや、これはロールプレイングゲームというよりパズルかもしれない。
きっと私たちはそれぞれ完成させたい絵を持って生まれてくるのだ。
生まれた後、何かを体験する度にパズルのピースを獲得して、そのピースをしかるべきところにはめて、少しずつ絵を完成させていくのだ。
ピースを得た瞬間にはめる場所がわかることもあれば、しばらくピースを持ったまま右往左往することもある。
でも、右往左往する動きさえ、パズルの上に色彩の線を描くことになっていて、それさえもパズルのもともとの完成図に組み込まれているんじゃないか?
自分の周りの人々も、それぞれに完成させたいパズルを作っていて、みんなが作っているパズルをはめあわせるとまたより大きく豊かな景色が見えてくるんじゃないか?
それが世界なんじゃないか?
…話を元に戻すと、30代の時、セラピストというピースを得た私は、ハマるところを探して歩き回ったけれど、どうも見つけられなくて、そのまま放置しておいた。
でも、それから10年以上を経て、動作学やヨガ、インテグレイティッド・ヒーリングを学ぶことになって、それらのピースがセラピストのピースにくっつくってことがわかった。
そうやって複数のピースが組み合わさったらちょっと大きな絵が見えてきて、このピースの組み合わせがより大きな絵のどこにはまるのかも見えてきたのだ。
なんていう壮大なゲームだ…。
そう考えると、人生においてはすぐに答えが出ないようなことの方がパズルを構築する楽しみが大きいと言えるかもしれない。
これは何だろう? どこの部分なんだろう?
そんなふうに問い続けながらパズルをはめて解いていくことが生きることで、完成形を見ることよりも、完成を目指して構築していくことそのものに生きる醍醐味があるという気がする(完成形は忘れてしまったとはいえ生まれた時には知っているはずだから)。
ありがたいことに、私はまだまだ「これはどこの何になるの?」というピースをいくつも持っている。そして、新しい体験をすればまたピースを増やせるってことも知っている。
2024年はパズルのどの部分が完成するのだろう? 見えてくる絵を楽しみに、試行錯誤して構築する日々を味わいたい。

10.15.2023
DAYS / Satoko FAY Column
カリフォルニアの風
神様の時間に

朝のサーフィンを復活させた。
いや、正確にいうと朝のサーフィンはこの夏もしていた。
復活させたのは“早朝”サーフィンだ。
いわゆる日の出前、ファーストライトと呼ばれる時間帯のサーフィン。
漆黒の空が藍色へ、そして紫色へと、夜明けの準備を始める時間。
キャンプなど野営で寝たことがある方はピンとくると思うが、鳥たちがいっせいに鳴き出す時間でもある。
私は、昔から朝が好きだし、得意でもある。
締め切りが立て込んでいるときなど、夜中まで粘るより、早々に寝てしまって、朝3時に起きて原稿を書くほうが私にはよほどたやすい。
だから、朝一番に海に行くというのは、私にはさほど苦痛じゃない、どころか、一日の最初にすることがサーフィンって、幸せでしかない。
にもかかわらず、私はいつのまにかこう考えていた。
「会社員だから、出勤前にやるしかない」
だから、昨年、会社を辞めて、フリーランスになったとき、「今後はわざわざ朝イチに海に行かなくてもサーフィンを楽しめる!」といろめきたった。
そして、実際に、朝9時とか10時とか、わとのんびりめの、サーファーたちには「シフト2」と呼ばれるような時間帯にサーフィンをしていた。

しかし、である。
この夏の終わりに、私はめちゃくちゃ久しぶりに一人で旅に出て(厳密には旅の後半は友人と一緒だったのだが)、日常から思いっきり離れたことで思い出した。
そもそも私は、朝、誰も起き出していない早朝に活動することが好きだったじゃないか。
サーフィンに関しても、早朝しかできないからではなくて、人がまばらな朝一番の海がそもそも好きだったではないか。
…心理というのは本当に面白いもので、早朝にサーフィンするという行為は同じなのに、しかも、それを自分は好んでいたというのに、「それしか選択肢がないから早朝にしている」というのと、「両方選べるけれど早朝にしている」というのでは、心持ちが全然違う。
そういえば、知人に似たような体験をした人がいたことを思い出した。
旅が好きだ(と思っていた)その知人は、旅をしながら仕事をするノマドワーカーを目指した。
思いきって会社を辞め、自由なワークスタイルを構築し、実際に旅しながら働いたのだが、結果的に、「家が大好きだったとわかった」という結論に至り、時間的、金銭的な自由は会社員時代よりずっとあるにもかかわらず、会社員だったときと似たような頻度でしか旅に出なくなっている。
そう考えると、いろんな体験をしてみることは、自分の好みを知るには大事なんだな。
そして、どっちから選んでもいい、というふうに自分に選択権がある環境にあることのありがたさが沁みる。

ところで、ヨガ歴18年(13年のサーフィン歴より長い)、今年に入ってティーチャーになるべくトレーニングを受けはじめた私は、最近になってようやく、インドの教えでは日の出前は「ブラフマ・ムフールタ」(神の時間)という神聖な時間だとされていることを知った。
具体的には、日の出の96分前から日の出の48分後までらしい。
そんな神の時間にぷかぷかと海に浮いていることを許されているって、もう感謝しかない。
なーんて今は殊勝な感じで気持ちを新たに早朝サーフィンを再開したけれど、秋が深まり、冬が来たら、それでもやっぱり嬉々として早朝の海に行くかはわからない(前は行っていたけれど)。
でも、それはそれ。
今楽しいと思うことを楽しむことができる環境に感謝して、今楽しめることをありがたく受け取って楽しんで生きてゆくのだ。