
DAYS
STAY SALTY ...... means column
Reiko Takami Column
歩いても歩いても
わたしの向こう見ずな挑戦
from Tokyo / Japan

























7.1.2024
DAYS / Reiko Takami Column
歩いても歩いても
わたしの向こう見ずな挑戦
りんごの木の寿命

りんごのピンクの小花があちらこちらで満開な4月末日。
いつもお世話になっているりんご農家さんで、
偶然古いりんごの木を伐採する瞬間に立ち会いました。
この時期はちょうど、りんごの花摘み(摘花)のタイミング。
花摘み(摘花)とは、1本の木、1本の枝に適正な実を付けさせるために
花や蕾を摘み取って間引く作業のことを言い、りんご作りで味を決める大事な作業です。
お母さん手作りのおいしい昼食後しばらくしてから「摘花してくるわ」と言って
敷地内に停めている軽トラに乗って那須野さんはりんご畑へ。
少し遅れてわたしは徒歩で畑へ向かいました。
わたしが着いたときには摘花作業は終わり
那須野さんが木の幹が太く樹齢の長そうなりんごの木の前で
チェーンソーのエンジンをかけようとするところでした。
お花が咲いているのに切っちゃうの?とわたしが聞くと、
「もうこの木においしいりんごはつかないよ。ずっと見てきたから花を見たらわかる」と
那須野さんはチェーンソーを持つ手に集中しているからか、こちらを見ずに返事をしました。
「この木はお母さん(妻)の両親からりんご畑を引き継ぐ前からあって、50歳近いからね。
たくさん働いてもらったから、切っちゃうの」
ヴヴヴーンッ
けたたましい音で起動したチェーンソーを持って脚立にのぼり、
りんごの木の細い枝から軽快に切り落としていきました。
りんごの木はおよそ30~40年が収穫の寿命と言われ、
人間と同じく人生のステージがあります。
苗木期(1~2年)
幼木期(3~4年)
若木期(5~10年)
樹形完成期(11~15年)
成木期(16~30年)
老木期(30年以上)
一般的に樹木の寿命は60年ぐらいあるそうですが、
50年たつとりんごの収穫は難しくなるといわれています。
おいしいりんごを収穫するサイクルがうまくまわるように
まだ元気な木であっても植え替えをするそうです。
とはいえ、長年我が子のようにお世話をしたりんごの木は
なかなか簡単にきれないんじゃ、、と思ったけれど
チェーンソーを使って躊躇なくバッサバッサと切り倒す那須野さん。
感傷に浸っているヒマはないみたいでした。
切った木材をどうするのかと聞くと、
「薪ストーブに使いたい人がいるから、太いところはその人にあげちゃう。
細いのはうちのお風呂用」と、まさかの薪風呂だったことが発覚。
長く通っても知らないことばかりで、ほんとうに楽しい。
4.15.2024
DAYS / Reiko Takami Column
歩いても歩いても
わたしの向こう見ずな挑戦
できない自分よ、こんにちは。

地方創生のイベントで、雑誌「ソトコト」編集長の指出さんが興味深いことを語っていた。
言葉は正確ではないかもしれないけれど、
「良いコミュニティとは、入り口の扉が半開きになっています。
参加者がいつでも出入り自由であることが良いコミュニティの特徴」とお話していた。
「きまぐれ食堂」という活動も同じように
ひらかれた場所であることを意識している。
常連の友人がこんなことを言っていた。
「大人になると定期的に友達と会うことが減るから、すごく楽しい。
たかみーの人柄で集まる人もゆるくて居心地がいいよね。
完璧じゃなくても成立するんだってある意味勇気をもらってる」
と笑って話してくれたことがある。
どうしても、人からお金をいただいて食事を出すということは、
「食事が金額に対して満足できるか」「料理は完璧でなければいけない」
「お待たせしてはいけない」ひいては、うまくいかなかったことに罪悪感を持って
しまうこともあるかもしれません。
以前はすごく悩みながら出していたけれど
できないこと、わからないことを受け入れて、
今年はもう少し、肩の力を抜いて食事が作っていけたらいいなと思う。
居心地のいい場所とは、気持ちがもっとのんびりした状態のことを言うのでは。
ちゃんとできない自分はだめよと思うような、堅苦しさはいらない。
生活は本来、誰かに見せびらかすものでも、評価されるものでもないのだから。
空気を読むことが大事なこの国では、周りを気にしないというのは、実はけっこう難しい。
だからこそ、宣言のつもりでこうしてコラムに書いてみた。
楽しい気持ちを大切に、毎年ちょっとずつ変化していきたい。
2.10.2024
DAYS / Reiko Takami Column
歩いても歩いても
わたしの向こう見ずな挑戦
りんご15kgぺろりと食べた80歳のご婦人のこと

長野のりんご収穫をいまかいまかと待っていた2023年11月。
例年、知り合い限定でりんごの代理注文を受けていた中で
過去最大量のりんご注文をして下さった方がいました。
その方は、私が通った大学の先生のお母様で
年齢は80歳くらい、八王子に息子さんと2人暮らしされていました。
先生の話によると、季節のフルーツが特に大好きだけど
美味しくないものは一口も食べようとしない「美食家」。
11月上旬にSNSを経由して友人限定でりんご注文の募集をした際に、
ちょうどお母様がりんごをよく食べていたこともあって、
「悪くなってもいけないし、食べきれそうな3kg箱を注文したい」とご注文いただきました。
「母が食べるから」とご実家に送ったところ、なんとお母様1人で1週間もたたず完食。
想像以上の消費スピードに娘である先生もびっくりで
「母がすごく気にいったみたい!追加注文できるかな?!」と、
5kg、10kgと何度も追加注文の末に、なんと合計18kg!
お母様が気に入って毎日2~3個ペースで食べてくれたようで、
農家さんも何度も同じ人が注文するものだから「え!追加?!」と驚いて笑っていました。
長野の農家さんに通い始めたきっかけは、素敵な人の役に立ちたいと思ったからでした。
今回、FAXか電話注文受付のみ対応している農家さんのりんごを
SNSを通じて直接顔を合わせた人だけだけど、確実にりんごを届けられたことで
農家さんも受け取った人も十分に喜んでもらえるんだ、と
人に喜んでもらうことの原点に立ち返りました。
美食家のお母様においしいりんごを知ってもらえたことも大収穫。
今後もりんごを育てた農家さんの、「顔の見える範囲の人に届けたい」という思いを
小さくても丁寧に繋いでいけるために、今年は長野に通ってりんごの様子を伝えていきたい。
4.10.2023
DAYS / Reiko Takami Column
歩いても歩いても
わたしの向こう見ずな挑戦
旬の時期が短い山菜をいただく

なんだか東京は初夏のような陽気の日が続いたこともあり
例年より2週間ほど早くGW前には山菜が収穫の時期を迎えると
農家さんからお聞きして4月末に急遽長野へ行く予定を立てました。
私も季節になると山に取りに行ったり
収穫したものを送ってもらうので
春はとれたての山菜をいただく機会が増える嬉しい季節です。
山菜は春の訪れを感じる季節の味覚として知られていますが
一気に出てきてすぐに成長するタケノコのように
食べる時期を過ぎるとすぐに固くなってしまいます。
長野県の山菜は山に自生しているものが多く、
旬の時期になると地元の人たちが山に出かけて採取することが一般的。
代表的な山菜にわらび・たらの芽・ふきのとうなどがあります。
わらびは山菜の中でも特に高級なものとして知られ
とろみがあってシャキッとした食感が特徴です。
また、たらの芽は春先に山肌に芽吹くたらの木の新芽を摘み取って収穫します。
私はりんご農家さんが手打ちしてくれたお蕎麦に乗せる天ぷらが一番好きです。
たらの芽は天ぷらにすると苦味が消え甘みが増すので
山菜の苦味が気になる方もおいしくいただけます。
ふきのとうは春先に山林に自生するキク科の植物の芽で
少し苦味があるので、塩や砂糖を加えて下味をつけて食卓に並ぶことが多いです。
長野県の山菜は、季節限定の味覚であり地元の人々にとっても大切な食材です。
春の訪れを感じるこの季節にぜひ山菜を味わってみてくださいね。
12.15.2022
DAYS / Reiko Takami Column
歩いても歩いても
わたしの向こう見ずな挑戦
旬を手軽に美味しく。
あったか汁物たべながら慌ただしい師走に気づくこと。

白い湯気が立ち上る、大鍋にたっぷり入った熱々の汁物。
何度も息を吹きかけて舌を焼きながら食べた長野の鍋料理を食べた思い出は、
それだけで体と心をポカポカ温めてくれます。
長野のお母さんが作ってくれた素朴なおいしさ、
毎日食べても飽きない、大好きなあの味をいただくと
「ああ、冬がきたな」と季節の巡りを感じます。
この時期は宴会や集まりが多い。
そして、知り合いのつながりで呼ばれる忘年会がある。
普段あまり会えない人と会うために年末のスケジュールを空けていく。
そんな具合で、いつも師走は慌ただしくすぎていった。
しかし、最近はコロナもあって忘年会もめっきり少なくなった。
人が嫌いになったわけではないのだけど、そうなって初めて気づいたのは、
人生の残り時間に限りがあって、明日終わるかもしれないから、
食事を一緒にする時間をもっと大事に考えようということ。
疲れきるなら、無理はしない。
参加するかしないかで変わる関係なら、少し距離を置いてみる。
長野ですき焼き鍋を突きながら思う。
わたしより歳を重ねている先輩の話は何事もシンプルだ。
歳をとるほどに透き通っていくような、
そんな生き方はわたしの目指すゴールでもある。
そこに向けて少しずつ整えていきたい。
難しいけれど、まずは持ち物や新年のスケジュールを
見直すところからはじめてみようかな。
11.7.2022
DAYS / Reiko Takami Column
歩いても歩いても
わたしの向こう見ずな挑戦
人と一緒に過ごす時間にみつけた「自分」の感覚。

3年振りに長野県飯島町のりんご農家さんのお家へ遊びに行くことになりました。
特別な予定はないものの、ふと頭に浮かんだのはずっと会えていなかった人たちの顔。
SNSで連絡はとれるから、また今度、また今度…といって会えないまま、
でもずーっと気になっていた人たち。
せっかく長野に行くのならと、気になるあの人たちに会いに行くことに。
ビールがカラダに染み渡る午後6時。
JR飯島駅のロータリから大通りに入ってすぐのところにある居酒屋さんへ。
畳張りのお座敷席で、すでに懐かしい人たちが「久しぶりじゃん!元気?」と
満面の笑みで迎えてくれました。
会えなかった時間を取り戻すように、近況報告会をして気づいたら3時間が経っていました。
お互いの仕事の話、最近の農業の話、旅行の話、年末年始の里帰りの話。
最後はゆり農家を営むご夫婦のお子さんに「家に遊びにおいでよ」と言われて嬉しくなり、
ハイタッチして別れました。
みんなと別れた後、じわじわと膨らむ嬉しい気持ち。
話した時間はそれほど長くはなかったけど、良い暮らしをしている人たちの話しをするだけで
こんなに気持ちを晴れやかになるものなんだなと改めて感じた1日でした。
人と話す時間を満喫することで、自分の好きなものや感覚を再確認。
そして、ひとしきりいろんな会話をした後に、「ぼーっ」とする。
そのわずかなひとときが、気持ちの切り替えになる。
気が付いたからといって、何かが変わるわけではないけれど、
ただおいしいごはんを食べて、ゆっくりと深呼吸できる場所で
もっと「ぼーっ」とした時間に浸りたい。
新しいものが入る「心の隙間」をつくるために。
10.7.2022
DAYS / Reiko Takami Column
歩いても歩いても
わたしの向こう見ずな挑戦
山国は豊かだ

秋になると「旬の食材のきのこが〜」なんて、
きのこを紹介する広告を見かけるたびに
「(人工栽培だから)年中ありますけども」とツッコミを入れたくなる秋の味覚「きのこ」。
ほとんどのきのこに共通して言えるのは、
低カロリーで食物繊維やビタミンDが豊富ということ。
加えて、理想的な食事とも言われる「まごわやさしい」食(豆・ごま・わかめ<海藻>・野菜・魚・しいたけ<きのこ>・いもを使う食事)にも入ったスーパーフードでもあります。
その中でもいわゆる「天然物」と言われる山で採れるきのこが、
今年は猛暑の影響で森のきのこ菌が高温で弱り、ずいぶん生育が遅れたようでした。
天然物は見つかる保証がないけれど、見つかったときの喜びもあって
思うようにいかないところも含めて直前までいろんな意味でドキドキ。
そういったところも、スーパーで当たり前のように食材が買える状況とは全く違う。
結果的に、台風による雨で山が潤いきのこ菌が活発に活動を始めたことで、
立派なサイズのものを送っていただき、ホッと一安心。
だけど、本当に旬を迎える、この季節しか採れない山きのこは、
山国でしか出回らないんだなあと、飯島町から食材を送ってもらってわかった。
9月に届いたきのこの名前は「ショウゴンジ」。
歯切れや口当たりがよく、収穫量が多いので長野県含め全国広い地域でよく食べられているそう。
でも、スーパーでこんなカタチのきのこを見たことがない。
「大きさ」がオバケ級でまず驚いた。
人工栽培しめじの4倍くらいの大きさのショウゴンジ。
これを飯島町のお母さんが甘く食べやすいように煮つけた状態にしてくれていた。
「これは炊き立てのご飯に混ぜ合わてね」
「これは焼きシャケのホイル焼に入れてね」
長野のお母さんかお父さんのどちらかの手書きメモ入りの贈り物を見ていると心がほっこりする。
娘でもないのに、こんなに良くしていただける関係に一番感謝したい。
秋は食材がおいしい季節であり、わたしにとって「ほんもの」と出会える貴重な季節。
「ほんものの食材たち」を知るたびに、長野の自然をゆっくりと知っていく過程があるから
きまぐれ食堂はやめられない。
9.5.2022
DAYS / Reiko Takami Column
歩いても歩いても
わたしの向こう見ずな挑戦
約束のない時間

長野の夏はカラッとした暑さで、冷房がないお家も多いことをご存知でしょうか。
冬の寒さ対策には「掘りごたつ」や「豆炭(まめたん)」を使ってしのぐのに、
夏はかろうじて扇風機がちっとも涼しくない風を、
そよそよと運んで気持ちよく汗をかいていた。
日中は頻繁にフルーツと冷たいお茶で水分補給を繰り返し、
お腹が空く前に夕食の時間がやってくる。
日が落ちれば外に出て夕涼みもできるし、
都会と違って高温多湿で寝苦しさを感じることもなく
穏やかな1日がゆっくりと過ぎていく。
夏に遊びに行ったとき、度々名古屋から遊びに来る3人のお孫さんたちと会うことがあった。
実家に帰省する本当の家族と、血の繋がっていない東京在中のよその者が
一緒に遊び、食事の準備を手伝い、食卓を囲んでご飯を食べる光景は、ちょっと面白い。
私など、実家に帰っているかのような気分にさえ錯覚していた。
小学校に上がる前のお孫さんたちにパワーをもらう夏は
いくら暑くても、いつだって楽しみだった。
言葉には出せなかったけれど、長野に頻繁に通っていた頃は
外部からの刺激にひどく疲れていたような気がする。
気力が減退することはあったけれど、その時はあまり意識していなくて
自力で何かに気づくまで、遠くから自分自身を見守る日々が続いていた。
普段は予定がぎっしりだったりするけれど、約束のない、名前のない時間が欲しいと
夏がくるたびに長野で過ごした時間が懐かしい。
なんの予定も入れずに、広い空、山並み、美味しいご飯、暑い夏に汗をかける日が
もうすぐそこまできていると思いながら、
秋になれば、山から吹き下ろす冷えた空気とともに、
真っ赤なりんごが甘く実って食べごろになる季節を今年も楽しみに待っている。
7.11.2022
DAYS / Reiko Takami Column
歩いても歩いても
わたしの向こう見ずな挑戦
上手にできなくても、せめて丁寧に

6月末にきまぐれ食堂にきてくださった方から、おもしろいお話をいただいた。
気がつくとこの場所でほぼ毎月ランチを出すようになって3年目。
この活動に対するはじめてのインタビュー依頼だった。
2019年からコロナ渦でお休みをはさみながら、この日で26回めを迎えたきまぐれ食堂。
実はLittle Japanの代表である柚木さんが「レンタルキッチン」という
シェアキッチンサービスを構想している時から、参加させてもらっている。
このサービスを利用しているメンバー中で、いつのまにやら古株になってしまった。
柚木さんとの出会いは、友達に連れられて参加した地域活性のイベントだった。
この日はじめてLittle Japanに訪れたわたしは、会場の雰囲気がとても気に入ってしまった。
通りに面した大きな窓から光が入るカウンターキッチン、最大で20名ほどの席数。
カウンターキッチンから、食事をしている人に話かけやすいレイアウトもわたし好みだった。
その頃、ちょうど千葉の実家近くで今の活動の原点でもある食のイベントを何回か終えて
東京の会場を探していたこともあり、イベント終了後に柚木さんにキッチンを借りたいと相談。
とんとん拍子にお借りするお約束をして、きまぐれ食堂をはじめることになった。
それから2年。わたしのつくるごはんを楽しみにしてくれる友人に支えられて、
思いつきで始めたわたしの活動に興味を持ってくれる人も少しだけ増えてきた。
今のわたしがインタビューを通して何を言うのか自分でも未知数だけど、
とても貴重な機会をいただけたことに、会場を快く貸してくださった柚木さんや
いつも楽しみに来てくれる友人たちに感謝したい。
「食」でつながるゆるやかな出会いを大切に、今また次のきまぐれ食堂のメニューを考えている。
5.5.2022
DAYS / Reiko Takami Column
歩いても歩いても
わたしの向こう見ずな挑戦
お昼ごはんの心意気

土曜日が好きです。
それも、長野から採れたての野菜が届いた日なら最高で、
翌日にきまぐれ食堂で食べてもらうことを思うと
ワクワクしてついつい夜更かししてしまう。
先日、山菜が食べたいなと農家さんに事前にご相談し、
コシアブラとタラの芽を送ってもらった。
新鮮だからこそ爽やかな青葉の香りは春らしく、
季節に合わせて色とりどりの野菜たちが
月に1度だけメニューとしてお皿の上に並ぶ。
母が作ってくれたレシピや、そうでないものも含めて
届いた野菜が美味しくなるように丁寧に作る。
決して手際が良いとは言えない料理の腕前を恥ずかしく思いながらも、
美味しそうに食べてくれている人を見ることが素直に嬉しい。
苦手なことも数をこなせばある程度はできるようになるもので、
今なら新しいチャレンジができるかもしれないと思うようになった。
野菜の美味しさだけに頼っていてはいけないと前々から思っていたので、
今月から少し薬膳を意識したメニューにしている。
まだまだ努力が必要ではあるけれど、
どんな流行にも不況にも負けない、ただひたすらに美味しくて
体に優しいお昼ごはんを作りつづけたいと思う。
見せないところにたっぷりとこだわりを詰め込んで。
4.5.2022
DAYS / Reiko Takami Column
歩いても歩いても
わたしの向こう見ずな挑戦
4月の東京で

4月の東京は新しい人たちに満ちている。
進学や就職や転勤のため上京してきた人で、駅も道も膨れ上がっている。
ホームで人とぶつかりそうになったり、いつもより音量の上がった車内アナウンスを聞いたりすると、
エネルギッシュな季節がまたやってきたなと、こちらまで新しい気持ちになる。
4年前、わたしもあんな風に緊張気味に、
新宿から高速バスに乗って道路標識や地名や山並みを見ながら長野に向かっていた。
「地方に関わる仕事をしたい」と思い目的地を探していて、
友人に紹介してらってやっとたどり着いた長野だった。
そこで私は目を丸くした。とにかくどこに行ってもたくさんの食事を出してくれるのだ。
食卓にはいつもできたての手料理が並んでいて朝昼晩ずっと満腹状態。
そして、たまたま居合わせた現地の人たちと食事を囲み、
たわいのない会話から笑顔が増えて穏やかな表情になる。
とにかく常識やものを知らないというキャラクターづけだった私さえも、
この土地の人は受け入れてくれる不思議な場所だった。
東京と、ご縁でつながった長野と。呼吸の深さが違うように感じるのは、
6年住んでも無意識のうちに東京ではどこか緊張しているのかもしれないと思う。
長野にいると、呼吸がゆっくり深くなる。
高速バスで東京に戻るみちすがら、窓ガラスに映ったなんとものんびりと、
たるみきった自分の顔を見てハッとすることも。
第二の故郷の空気は、いつ行っても私に甘いのである。