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DAYS

STAY SALTY ...... means column

Rei Shigeta Column

続・それでも世界は美しい。

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重田 玲
ライター/編集者

1985年生まれ、山口県光市出身。

日本ジャーナリスト専門学校卒。

編集プロダクション、ボクシング雑誌(フリーランス)、出版プロデュース会社を経て、

現在は株式会社西北社にてライター・編集者として活動。

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私は彼から多くのことを学んだ

9.5.2022

DAYS /  Rei Shigeta Column

続・それでも世界は美しい。

私は彼から多くのことを学んだ

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本を贈られるという経験

ここ数日(いま8月20日です)は、なんだか涼しい日が続いていますね。

あれ、このまま夏が終わって秋になるのかな~なんて思っていますが、どうなんだろう。

で、秋といえば読書ということで、今日は本にまつわるお話を。

(ちょっと、いやだいぶ強引…!)

 

皆さん、本を贈られた経験はありますか?

私は何度かあります。

 

20歳前半(だったと思う)のお誕生にもらった『葉っぱのフレディ』は、自分で読む以上に、息子6歳が寝る前に読んでくれるようになって、そのストーリーの雄大さをしっとりじっくり感じるようになりました。

 

30歳を過ぎて結婚出産し、苦手な家事に日々に追われて辛かったときにいただいた『わたしがラクする家事時間』は、ノウハウの背後から「そんな焦らなくて大丈夫だよ~」という声が聞こえてくるようで、読むたび心が軽くなって、今でも時々見返しています。

 

本に限らず贈り物はみんなそうかもしれませんが、贈り手がどんな気持ちで用意してくれたのか……そこに想いを馳せる瞬間が、なんだか嬉しいし恥ずかしいですよね。

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『俺はその夜多くのことを学んだ』

私が最初に本をもらったのは(肉親はノーカウントということで…あと、誰か忘れてたら本当にごめんなさい)19歳のときです。

 

当時私は、高校の事務職員として働いていました。

事務室で事務仕事をしつつ、図書室の本を管理する仕事もしていました。

自分自身も高校を卒業したばかりだったということもあって、学校の先生たち、特に保健室の先生とは仲良くさせていただいていました(よくお茶してた)。

その保健室で出会ったのが、定時制に通うお兄さんでした。

 

言葉を選ばずにいうなら、見た目はもさっとした感じのお兄さんで(ほんとすみません)、コミュ力もそんなにないといいますか、エンジンかかると饒舌なんですけど、ハキハキしてる感じでも、あとチャラい感じでもない。とっても地味な感じの人でした。

そのお兄さんは本を読む人だったので、図書室を開けて本を貸し出して、どんな本が面白いか…なんて話もしていたように思います。たぶん。

(もう15年くらい前なので、記憶が曖昧汗)

 

で、バレンタインのとき、保健室の先生にあげるのと一緒に、お兄さんにもチョコレートをあげました。

手作りのトリュフ。「え、形が変!」って笑われたことは鮮明に覚えています。ディスられた?ときの記憶力ってすごい。

そのお返しに頂いたのが、本でした。

三谷幸喜の『俺はその夜多くのことを学んだ』(幻冬舎文庫)です。

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「重田さんは大きな夢を持っていて、いいですね。」

 

『俺はその夜多くのことを学んだ』は、唐仁原教久さんの絵と、三谷幸喜さんの文章で綴られた、ある男性の恋愛物語です。

物語といっても、一晩の出来事です。さらりと読めるのに、うまく恋ができない男性のもどかしい気持ちがドンドンバリバリ伝わってきます。

 

そんな本と一緒に、お手紙ももらいました。

いつも話し相手になってくれてありがとう、という感謝の言葉と。

重田さんと話した後は気持ちよく授業が受けられる、ということと(定時制だったから授業は夜なんですよね)。

重田さんは大きな夢を持っていていいですね、その夢が叶うように陰ながら応援しています、ということと。

 

当時の私は、そのお兄さんとの関係性を何か違うものに(例えば恋人とか?)したいわけではなかったので、

その本をもらったから、そのお手紙をもらったからといって、何かアクションを起こしたというわけではないのですが…今でも時々、その本を選んで私に贈ってくれたそのお兄さんの気持ちを想像して、なんか、泣きそうになるんですよね。

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顔を忘れても、存在は忘れない。

 

きっとお兄さん、これまで恋がうまくいったこと、なかったんだろうなぁ(失礼)。

もしかして、私のことが好きだったのかなぁ。

お兄さんには、叶えたい夢が、なかったのかなぁ。

(当時の私はライターになりたくて、1年後には東京の専門学校に入学する予定だった)

若くて怖いもの知らずで、無邪気に夢に向かって突き進む私のことが、羨ましかったのかなぁ(お兄さんの方が結構年上だった)。

人の気持ちなんて何もわかってない私は、無意識に、お兄さんのことを傷つけたり、していなかったかなぁ。

 

いろんな気持ちが湧き上がってうまく整理はできないのですが、自分が思っている以上に、自分は誰かの心に影響を与えているものなんだな、と。

そして自分が思っている以上に、誰かの存在は自分の心から消えないんだな、と。

 

お兄さんがこの本と手紙で何を伝えたかったかはわからないんですが、お兄さんの存在は今でも私の心にグッサリ刺さって残っていて、

(でももう顔が思い出せない、ほんとごめんなさい)

こうして時折思い返しては感情が揺さぶられるということは、何ていうか、もう勝ちですよね。お兄さんの。

いや、勝ち負けの話じゃないんですけど。

でもこれ、手紙だけじゃ成立しなかったと思うのです。あの本の、ちょっと笑えるのに切ない感じとか、不器用さの奥にある絶望感とか、そういうのがあったからこそ、で、それがびっくりするくらいお兄さんの在り方にフィットしていたからこそ(お兄さんは三谷幸喜説)、私の中からお兄さんが消えて無くならないんだろうなって、思っています。

どうやってあの本に出合ったんだろう? 聞くの忘れたなぁ……。

 

一緒に過ごした時間は、1年くらい。人生で考えたら、結構短い。

でも消えない存在感。

私も誰かの心にそんなふうに残ってみたいなぁーと、ちょっとだけ思います。

おじさんの蹴りから学ぶ、社会の見方。

5.5.2022

DAYS /  Rei Shigeta Column

続・それでも世界は美しい。

おじさんの蹴りから学ぶ、社会の見方。

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あれは、私のせいなのか?

 

2021年の初め、1月が10日くらい過ぎた頃のこと。

晴れた気持ちの良い朝、息子(当時4歳・やんちゃ)を自転車の後ろに乗せて、川沿いの道を鼻歌交じりで走っていました。

フンフンいいながら、保育園遅刻する~とか、今日のお昼ごはん何かなぁ~とか、そんなたわいもない話をしていたような気がします。

 

すると前方に、50代くらいかな? 

鮮やかなオレンジのダウンを着たおじさんが歩いているのが見えました。

進行方向は同じ。

チラッと振り向いたおじさんは、私たちの存在に気づいて、ちょっと道を譲ってくれました(ように見えました)。

 

あら、ありがたや。

この川沿いの道、狭いしなぁ。

と思っておじさんの横を通り過ぎようとした瞬間、自転車の後輪に蹴りをくらいました。

 

え、え、えー!!

 

…私は軽くパニック。

(でもコケなかった自分を最大級に褒めたい。ナイス体幹、ナイスバランス感覚)

 

「ええええどういうこと!?」と鬼の形相(いや泣き出しそうな顔です)で振り向いておじさんの顔を見たら、もう一発蹴らんとばかりの姿勢(サッカーのフリーキック前みたいな)だったので、ひぃ~なんかよくわからんけどもうとりあえず逃げます~ということで自転車を飛ばし、怖すぎてすぐさま近くの交番に駆け込みました。

 

が、まぁ特に怪我もしてないし、であれば被害届を出すほどでもないよねという空気でもあって、「パトロール強化しますね」という若い警察官の言葉に、混乱した頭と心をとりあえず納得させました。

異常に跳ね上がっていた自分の心臓の音が忘れられません。

すんごいバイブスでした…(いやバイブスの使い方)。

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私には見えない理由がある、のかもしれない。

その後しばらく、2週間くらいは、そのオレンジのダウンのおじさんに怒りと恐怖を感じていました。

 

というかなぜ蹴った?

私なんか悪いことした?

なんであんな怖いことする人が野放しなんやろ…。

ていうかはよ警察に捕まれ!何普通に生活しとるんじゃ!

捕まらないならせめて家から出るな。

やっぱり治安悪いんかな~東京って~。

あぁ、明るい道を歩くのすら怖いなぁーこんな不安に思ってしまう毎日嫌やなー。

というかなんであんなおじさんのこと気にして生きなきゃいけないの?私の頭と心のキャパシティを返せ!

 

でも、ひととおりおじさんを悪者にして(いや実際悪いよね)文句言って責め立てて、あとちょびっと(ほんとにちょびっとだよ)トークのネタにして人に語りまくって…すると時計の針が一周回ったような感覚になって、ふと思ったんです。

ほんとにあのおじさんだけが悪いんかなぁ、と。

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怖いものに蓋。をしたらいけない場合も、あるかもしれない。

 

そんな折に、一冊の本を読みました。

『ケーキの切れない非行少年たち』

 

著者は、児童精神科医。

罪を犯して少年院にいる少年の中には、認知能力が弱く、罪を反省する以前にそもそも世界を、社会を正しく(という表現が適切かわかりませんが)認知できていない子がいるということ。また、そうした少年たちの多くが、認知能力が弱いという事実に気づかず・気づかれず、とても生きづらい世界を生きる中で、犯罪を犯してしまうということ。そしてそれは、幼児期の教育によって防ぐことができるということ…などが書かれていました。

(上記認識が違っていたらごめんなさい、ぜひ本を読んでください)

 

別に、あのおじさんが「認知能力が弱くて犯罪を犯す人」だと言うわけではないです。

いや確かめようもないし、もし仮にそうだったとして、だからって許すつもりはないです。

何をしてもいいわけじゃない。

息子がケガでもしていようもんなら、人を寄せつけない野良猫、いや飢餓と怒り(の感情があるのか知らんが)のダブルパンチで襲いかかってくる猛禽類さながら、私は相手の人をガッチガチに追い詰めたと思う。

マジでほんとにボコボコにしてたと思う。

(実際、それができる力は持ってると思う)

 

けど、それでボコボコにやっつけて、警察に捕まえてもらって、はい万事解決!って、それで終わっていいのかなぁと思ったわけです。

おじさんが私の自転車の後輪を蹴る、その前に。

止める手立てが何か、あったんじゃないかなって。

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怒れる母は「俯瞰」を覚えた。

 

(上記小見出し、ぜひドラクエのレベルアップの効果音つけて読んでね)

さて、故意かどうかにかかわらず、誰かを傷つけてしまう、誰かに恐怖を与えてしまう、社会にはそんな人がいるものです。

そういう人って、怖いよね、あんまり近寄りたくないよね、傷つくのは嫌だし怖い思いもしたくない、だから排除してしまおう、見なかったことにしよう…。

じゃない社会であるほうが、いいんじゃなかろうかなと。

反射的に湧き上がる怒りや嫌悪は、きっと抑えられない。

けど、そのあと立ち止まって、グッと俯瞰して、猛禽類(まだ言うか)さながら空高く舞い上がり、そこから自分や、社会を見つめてみる。

そうして、どうしてこんなことが起きたのかな?と考えてみる。

さらに、この社会で自分や家族や大切な人が心地よく暮らせるために、自分にできることはなんだろう?って、考えて、行動するのが、社会を構成する一人である、っていうことなんじゃなかろうかなって。

(だからといってこのおじさん事件に関して何か行動を起こしたわけじゃないです…すみません…でも社会を俯瞰してみるようにはなった気がする…人間としてのレベルアップだと思いたい)

 

この連載?のタイトル。

めちゃ悩んだのですが(ええひとえにセンスがないからですね)、「続・それでも世界は美しい。」としました。

某名作少女漫画と同じでしょっていうツッコミは受け付けません(椎名橙先生、そしてファンの方、もし検索でここまでたどり着いたならごめんなさい)。

まぁ人生いろいろありますが、それでも世界は美しいなぁと、思って生きていける私でありたいなと、思っているからです。

 

いきなり蹴りつけてくるおじさん。

怖いよね。

なんで私と息子がって、今でも思ってます。

もし大怪我でもしてたら、もしもし死んでるなんてことがあったなら、こんな綺麗事口が裂けても言えないと思う。

でも、できるならば「それでも世界は美しい」と、そう思える生き方をしていきたいなぁーと思う、今日このごろなのです。

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